2021年12月25日

聖夜から12夜へ

今日から12夜。
シュタイナーが弟子に伝えたという12夜の話がある。

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12聖夜は、私たちの中に生きる12の力の象徴である。
ゆえにこの徴しは12夜のみならず、永遠に妥当である。

12聖夜を体験するあいだに、私たちは次の12か月の種を蒔く。
私たちは毎年、聖12夜を適切に過ごすよう努めなければならない。


厩は、魂の中のつつましい場所の象徴であり、そのような場所で世界を変える子どもが生まれる。
我々自身の魂がそのような場所となる。

あなたの魂に敬意を表して、立ち止まり、注目してほしい。
私たちが行使することのできる、感情、思考、意思という贈り物について考えてみてほしい。


クリスマスは霊的に高まる時期であり、現代世界の唯物論的思考と衝突することがある。
私たちは、霊的な自我と地上の自我を体験することの間の繊細なバランスをとらなければならない。

私たちの課題は、私たちの霊的な自我が私たちの地上の自我を支えていることを常に認識することによって、その二つを統合することだ。

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ベツレヘムの暗い夜、厩で生まれる聖なる子どもの物語は、未来において一人一人の魂の内で実際に起こらなければならないことだとシュタイナーは言う。
そうなれば、やがてクリスマスの降誕の物語も必要なくなるそうだ。

未来においては最も重要な祝祭が、クリスマスからヨハネ祭に移り変わっていくというのも、そういうことなのかもしれない。

別のところでこんな言葉を聞いたことがある。
『キリストがベツレヘムで千度も生まれたとしても、それがあなたの中でないなら何の意味があろうか』

魂の深奥の、貧しくつつましやかな場所がやがて聖所となる。
その約束の時、約束の場所に向かって、12聖夜の旅は巡るのだろう。

今年も心静かに。
  
posted by Sachiko at 22:55 | Comment(0) | クリスマス
2021年12月21日

もうひとつの「手回しオルガン」

以前「手回しオルガン」というタイトルで書いたのは、ムーミン谷に春が来てみんなが目をさます時、手回しオルガンを回しながらトゥティッキが谷間の向こうへ去っていく話だった。

エリナー・ファージョンの短編「手まわしオルガン」は、短編集「ムギと王さま」に収録されている。


闇夜の森を抜けて家路をたどる旅人が、森で道に迷ってしまう。
寂しさから独り言を言い続けているうちに、音楽がきこえてきたのに気がついた。

それは手回しオルガンの音だった。
旅人が「おい、どこにいるんだい?」と声をかけると、「ここですよ、だんな」と答える声がした。

たのしい曲が続くあいだ、旅人は陽気に踊った。
街角で弾くことから引退したオルガン弾きは、今はどこでも好きなところで弾いているのだった。

次の曲が始まると、草木や虫や花たち、小川も空の星も、森の中のすべてのものが踊りはじめた。

旅人はいつの間にか踊りながら森を通り抜けて、町の灯が見える道に出ていた。


真夜中の森のオルガン弾き.....なんとも不思議な光景だ。
最初に読んだ時には一瞬、旅人の声に答えたのはオルガンそのものかと思ったが、ちゃんとオルガン弾きがいた。

しまいには森のすべてのものが踊りはじめる、楽しく不思議で美しく、ほんの少しばかり不気味でもある物語。


大道芸人のいる街角は、色彩と仄暗い闇とが混在する、古い時代のフランス映画やイタリア映画を思わせる何ともいえない人間臭さがあった。

その気分は人生の幸福も苦難も、物語の中に包みこむ。
“人の世は舞台、男も女も役者にすぎぬ”という、シェイクスピアの名言のように。


札幌でも昔、夏ごとにフランスから出稼ぎに来ていた大道芸人がいたけれど、その後道路や公園での大道芸を禁じるような条例ができたらしい。

杓子定規になった現代社会は、アナーキーな匂いのする組織化されない人間を嫌う。彼らの存在はどこか不安を誘うのだろう。

けれど自然界の2:8の法則のように、規格外を排除しようとすると、また新たな規格外が生まれる。
そうした規格外は、実は血の通った世界のために必要な存在ではないのだろうかと、森を抜ける旅人もオルガン弾きもいなくなった時代に思う。
  
posted by Sachiko at 22:22 | Comment(0) | 児童文学
2021年12月17日

やっと根雪♪

アドベントの3週目も終わりというところで、やっと雪らしい雪が降った。もうこれで根雪になるだろう。
やはりクリスマスの時期はこうでなくては♪

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これから朝にかけては吹雪模様のようだ。
明日の最低気温−7度、真冬日。
凍れる空気に身体が生き返る気がする。

向こう一週間雪マークが並んでいる。
一面の白、白、白....
聖夜の気分が満ちる、雪のアドベント。

snow2.jpg
  
posted by Sachiko at 22:29 | Comment(2) | クリスマス
2021年12月13日

「アンナの赤いオーバー」

「アンナの赤いオーバー」(ハリエット・ジィーフェルト 文/アニータ・ローベル 絵)

anna.jpg

この絵本の展開は、エルサ・ベスコフの「ペレのあたらしいふく」に似ている。
違っているのは時代背景で、戦争が終わった頃のことだ。
そしてこのお話は事実に基づいているらしい。


「戦争がおわったら、あたらしいオーバーを買ってあげようね」

お母さんがそう言ったのは去年の冬のことだ。
アンナのオーバーはすり切れて小さくなっている。
でも戦争が終わっても店はからっぽ、物もなくお金もない。

アンナの家にもお金はないけれど、すてきな物がいろいろある。
お母さんは、お百姓さんのところへ行って、おじいさんの金時計を羊の毛と取りかえてもらうことにした。羊の毛を刈る春まで待たなくてはいけないけれど。

春、お母さんは糸紡ぎのおばあさんに、ランプと引き換えに羊毛を紡いでくれるようにたのんだ。
夏、お母さんは森でコケモモを摘んで毛糸を赤く染めた。
そして機屋さんのところへ行き、ガーネットのネックレスと引き換えに布地を織ってくれるようにたのんだ。

次にお母さんは布地を持って仕立て屋さんに行き、ティーポットと引き換えにオーバーを縫ってくれるよう頼んだ。
そして、すてきなオーバーが出来あがった。

ふたりはオーバーを作ってくれた人たちみんなを招いてクリスマスのお祝いをすることにした。


すてきで高価な品物がたくさんあるアンナの家は、元々かなり裕福だったらしい。
でも戦争が終わった今はお金がないし、売っている店も品物もない。
(お父さんはどうしたのだろう)

日本でも戦争中は、高価な着物を持って田舎へ行き、お米などと交換したという話がある。

仕立て屋さんの一週間分の仕事に匹敵するティーポット!?と、少し驚きだけれど、誰もが大変だった時代、ひょっとしたらみんなは、可愛いアンナのために大サービスしてくれたのかもしれないとも思う。

最初のページには、壊れた町のようすが描かれている。
けれど全体の雰囲気は静かで優しい。
そしてすてきなクリスマスパーティが催される。

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ところで、羊を飼って毛刈りをするのは無理だけれど、羊毛を紡いで染めて織って、コートを仕立ててみようと考えたことがある。
どうなったのか......羊毛はまだ羊毛のままだ(-_-;
   
posted by Sachiko at 22:23 | Comment(2) | 絵本