2021年12月29日

5月に向けて---第五夜

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シュタイナーが伝えた12夜の話から

私たちは思考するとき、過去に考えだされた概念を結びつけることで現在を理解する。

このことは脳内で行われるのではない。
私たちの脳は、魂によって形作られた思考を見ることができる鏡のようなものだ。私たちの思考を体に送るのは魂なのだ。

これが、私たちが眠っているとき魂−アストラル存在−が退いてしまっていると考えることができない理由である。

しかし私たちの脳はまだベッドの中にいる。そして科学者たちは、なぜ脳が夜に働かないのかについて、種々雑多な考え(正しいもの以外の)を抱いている。

これらの思考をどれだけコントロールできるかと言うなら、100%である。私たちの集中力を研ぎ澄ますことが、必用なすべてなのだ。

もし私たちが思考に集中することができれば、それとともに私たちは変容する。
私たちは思考を、霊感の息吹のごとく体験し、わかりきった退屈な道から解き放たれて自由になったと感じるだろう。

私たちは思考を、感情によって暖め、意思によって生き生きとさせるために、直接的にコントロールする力を得る。
このことは私たちに、いつも容易に見出せるとは限らない真我の直接体験をもたらすだろう。

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現代科学はいまだ脳を絶対視していて、魂について語るのはタブーのようだ。
人間の中では頭(脳)が一番賢いと信じられているけれど、現実をよく観察すると、頭がどれほど騙されやすく錯覚しやすいかがわかる。

無意識的な日常の中では、思考はほとんどコントロールされない。
頭の中はすぐに、次々と現れては消えて行く混乱した思考のおしゃべりでいっぱいになる。

思考を観察しようと立ち止まって静かになるとき、初めて“意識”が立ち現れる。
思考しようと意図したことだけを思考できるようになるべきだとシュタイナーは言ったが、現段階の人間にとってはまだ難しい。

つまり、考えたことがすぐに現象化しないのは、今の段階では恩寵なのだ。
未来、人間が進化していつか文字通りの創造者になるために、思考のコントロールという修練の途上にある。

毎年の12夜の旅は、宇宙的な旅の小さな模像を描く。
  
posted by Sachiko at 15:18 | Comment(0) | クリスマス
2021年12月28日

4月に向けて---第四夜

もう第4夜か....と、年末にやらなければならないことのリストを見ると思ってしまうのだけれど、静けさにフォーカスするということを毎日意識するだけでも、内側に空間が開ける気がする。

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シュタイナーが伝えた12夜の話から

私たちには3つの魂の力、感情、思考、意志があるが、私たちの全体としての魂の気分は私たちの感情のはたらきに集約される。

私たちの魂の中で感じる基本的な体験は、私たちが好むものや嫌うもの、共感と反感、または愛と憎しみに引き寄せられる。

自分の性向を考えた場合、何を受け入れ、何を拒否し、何に惹かれ、何に反発するかを観察すれば、自分自身をはっきりと理解することができる。

これは私たちの今生の生い立ちに影響されていると言う人もいるが、本質的には私たちのカルマと過去生からの体験に直接関連している可能性がある。

私たちは私たちを喜ばせるものすべてに惹かれ、他のすべてを無視する。
これは、この世界の大部分が、まるで存在しないかのように、気づかれずに私たちを通り過ぎてしまうことを意味する。

このことは私たちに有害な影響を及ぼし、私たちが自らの高次の自己と関わり、私たちの内にキリスト存在を目覚めさせることを妨げる。

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12聖夜のような特別な時間にこれらのことを考えると、日常の中では人間はまるで眠っているかのように見える。

けれど魂の共感と反感は、まさに日常生活のあれこれの出来事によって引き起こされる。

それらに飲まれ翻弄されるのか、一段高い立ち位置から観察するのかによって、道をもう一歩進めるのか同じところを回りながら留まるのかの違いが出てくるだろう。

12夜は、人間が日常の外に引き上げられて、ある種の“機会”が与えられる(それを望むなら)、恩寵のような領域にも思える。
  
   
posted by Sachiko at 13:58 | Comment(0) | クリスマス
2021年12月27日

3月に向けて---第三夜

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シュタイナーが伝えた12夜の話から

私たちが霊的な洞察を持つなら、私たちはほんとうに、全体の一部であることがわかる。
そのとき私たちは、その為すことにかかわらず、自分たちを全体の一部として見ることを欲するようになる。

この選択は、私たちが旅の途上にあり、いつかそこにたどり着くというある種の信仰を持っていることを意味する。

しかし、私たちが運ぶ荷物を見るためにこの霊的な洞察も用いる必要があり、そうでなければ霊的能力を誤って使うことになる。

その荷物とは何だろう?
恨み、許しの欠如、恐れ、愛の欠如、自分の意見、一方的態度、嫉妬、自分への過小評価、自分への過大評価、さらに多くのあれこれが続く。

この荷物は、これらによって自身を肥大させる下位の自我に属している。

私たちが高次の自己、いのちのパンである真の自分自身に達するところまで来た今、私たちはもはやこれらのものにかまけることはできない。

他者をそのままで愛することは、誰を愛し、誰を愛さないかを決めるよりもはるかに容易である。
他人を赦すことはすぐさま満足をもたらすことはないが、赦せば世界が変わる。

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いつもながら、12夜が要求する課題は簡単ではない。

個々の人間が全体の一部であること、より高次の存在に進化する旅の途上にあること、愛することと赦すこと.....

たぶん、言葉としては何度も聞いたことがあり知っているのだ。
けれどまさに個々の人間として分かれていることが、それを難しくしている。

そこで、書かれているような霊的洞察というものを使う必要があり、12夜というこの特別な期間には、その洞察を幾らかでも強めてくれる力がはたらいているのではないかと思う。

毎年の12夜を適切に過ごすことが遠い未来につながっているという認識を持って受けとる力は、旅の糧となるのだろう。
  
posted by Sachiko at 16:19 | Comment(0) | クリスマス
2021年12月26日

2月に向けて---第二夜

今年の12夜も毎日更新できるかどうかわからないけれど、この時期は規則的なリズムで生活することが重要だという。

外的にそれが難しい場合は、内部で神聖さを意識するように注意深く努めること。
(日本の年末は慌ただしくて、などと言い訳するのはやめよう....)

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シュタイナーが伝えた12夜の話から。

・・・私たちが霊的な自己の目を通して人生を注視するとき、私たちは自身をより強め、より客観視することができるように、人生のすべての困難を引き寄せていることがわかる。

キリストは、霊的な自己としての“私で在る”という意識をひとりひとりが行使できるようにするために地球に降りた。それは真のクリスマスの贈り物である。

他者が私たちにしたことを非難するたびに、私たちはこの贈り物を拒むことになる

私たちは、自分に起こったことが何であれ、それを自分自身が引き寄せたものであると認めたときにのみ、この贈り物を受け取る。

私たちが人生で起こるすべてのことに対し、興味深く見る観察者になることができたなら、私たちはキリストと共に立ち、彼の働きを分かち合う。

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人生の責任を引き受ける.....
引き受けることの中にこそ祝福があるというのに、その贈り物を拒むほうが(外部の何かや誰かのせいにするほうが)楽で得なのだと思ってしまいがちだ。

その贈り物がどれほどすばらしいのか、完全に体験した人はほとんどいないだろう。恐れがそれを拒んでしまう。
そうして、闇の中にとどまることを選ぶ。慣れた場所こそ居心地がよいと思い込んで。

1年で最も暗い時期の12夜、この闇の中に敢えて降りて行った先に、光り輝くクリスマスの贈りものがある。
神聖な宝探しのように、12夜はやはり特別な旅だ。
  
posted by Sachiko at 22:23 | Comment(0) | クリスマス