2019年09月26日

自然災害と元素霊・2

『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。

子供の頃から自然に霊視力があり、自然界の元素霊たちを認識していたオランダ人女性、アニー・ゲルディングによって、このようなことが書かれている。

彼女はかつて、自然霊の世界における大きな混乱を知覚したことがある。そのときコーボルト(オランダ語の地の精)のグループは彼女の庭の薪小屋を出て、道路を渡ろうとするかのように門を抜けた。

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突然彼らはいなくなり、どこにも見あたりませんでした。
これは彼らが誰かを混乱させたいときのお気に入りのトリックの一つです。

今見えるかと思えば、また見えなくなります。人は自分の目を疑い始めますが、彼らはまさにそれを望んでいます。
しばらく待ってみましたが、彼らが戻らないので、私は歩きだしました。

驚いたことに、少し経って私は彼らを再び見つけました...しかし、彼らは門を通り抜けずに再び消えました。そのトリックは少なくとも3回繰り返されました。
その振舞いから、私は彼らが何かを伝えようとしたのだと確信しました。

それは何だったのでしょう?私はそのコーボルトたちと実際には接触していなかったので、推測することができるだけです。
家に帰って私は、5人のコーボルトが薪小屋のことで私の注意を引こうと試みたと、同居している友人たちに話しました。
いつもながらのことですが、誰も私のいうことを信じませんでした。

そしてコーボルトのグループは彼らが住んでいた場所から逃げだしました。自然霊たちは一般に、一つの場所に落ち着いて留まるのが好きなのですが。

近くの村では、何本かの木がなぎ倒されました。
翌朝とても早い時間に大きな旋風が襲い、私たちの薪小屋を破壊しました。屋根の大部分が吹き飛ばされ、側壁も破損しました。まさにコーボルトたちがいた場所です。コーボルトたちは私に警告したかったのです。

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自然界で実際に物理的事象が起きる前に、エーテル界で何らかの混乱がすでに起きている。
来るべき出来事は、先んじてその影を投げかける。


自然霊を知覚する人々の話にはいつも共通点があり、彼らが同じものを見ているのだということを裏付けるようだ。

地方によってノームやコーボルトなどの名前で呼ばれる地の精は、賢くて人間をからかうのが好きだ。そして人間と友だちになりたがっている。
このことはウルスラ・ブルクハルトの「Karlik」にも書かれていたが、ここでは来たるべき災害を警告しようとしている。

災害が目に見える形で起こる前に動物たちが逃げることができるのは、自然霊に導かれているからではないかと考えるのは、むしろ自然に感じる。

この話のように、人間にも警告は与えられているのだろう。
自然霊たちの繊細な声は、内的な微かな声としてやってくるのかもしれないけれど、現代社会に生きる人間は内側に耳を傾けなくなって久しい。
  
posted by Sachiko at 21:41 | Comment(0) | 妖精
2019年09月25日

自然災害と元素霊

『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。

このところ世界的にも自然災害の規模が大きくなっていると感じる人は多いと思う。
本の中では、2004年のインドネシアでの地震と津波を例に、自然災害について一章が割かれている。

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元素霊を研究することで、自然災害が地球全体を揺るがすときに何が起こるかが自然に明かされる。
巨大地震と津波のような混乱のとき、地球には何が起きているのだろう。

科学者はその後、地球の自転に不規則性を発見した。地球が動揺し、生物全体が揺さぶられたかのようだ。

生物学者は、クジラやイルカなどの海の哺乳類、また陸上の多くの哺乳類がどうやって生き延びたのかを考えた。
スリランカの自然保護区では数百人の死者が出たが、保護区の動物たちは免れていた。どのようにしてか、彼らは自分自身を救う能力を持っていた。

多くの動物が自分自身を助けることができたことについて、生物学者は懐疑的だったが、それはほんの偶然というものではなかった。

かつてルーマニアでこのような事件があった。
町のまん中にある大きな池で、無数の魚が水面から跳び上がっていた。数分後、大きな地震に見舞われ、町は壊滅した。
このような時、動物たちは何を知覚するのだろう?

シュタイナーは、動物には特定の事柄を知覚する身体的能力だけでなく、本能的な霊視力もあると言っている。
自然災害の直前に、エーテル界では何が起こっているのだろう?

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動物が地震などを予知する話は、日本でも古くからある。科学者は、人間には感じられないかすかな振動を知覚するのだろうと言う。でも単に物理的な振動なら、車の往来が多い場所でも起きる。

「エーテル界では何が起こっているのだろう?」
現代自然科学はまだ、物質界しか研究対象にしていない。それ以外の世界については“非科学的”と排除されてしまう。

人間が傲りを捨て、科学の限界を超えて動物たちのあとをついて行ってみたら、何が起きるのだろう。
人間界で災害と呼ばれる現象において、自然霊たちはどのように関わっているのだろうか。

科学が触れようとしないそれらの領域に分け入らないかぎり、人間の古い頭脳ではもう限界にきている気がするのだが.....
この本が出たのは2006年で、2011年の地震と津波はまだ起きていない時だ。
  
posted by Sachiko at 22:16 | Comment(2) | 妖精
2019年09月23日

オセロ

ある時、オセロ(ゲーム)のコマは一種類しかないということにふと気づいて、あらためてすごい発見をしたような気がした。

チェスや囲碁は、駒(石)が最初から白黒二種類に分かれている。
…が、オセロは白黒が表裏一体、同じものなのだ。

つまり、同じもの同士が互いに自分が隠した裏側と戦っている。
オセロで遊んでいる時にそんなことは考えないだろうが、まるでこの二元世界の仕組みのようで、なんだかとても深くないか...?と思ったのだ。

今日は秋分の日、昼と夜がちょうど半分ずつ。
昼と夜も、分かれた別物ではない。宇宙空間から地球を見れば、昼と夜は表裏一体、同じ地球の上を交代しながら回っている。
そして太陽は天秤座に入る。これもバランスの星座だ。

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〈水辺の9月〉 https://fairyhillart.net

september1.jpg
  
posted by Sachiko at 22:03 | Comment(2) | 未分類
2019年09月22日

高みの星

昨日の続きで、破壊力よりもさらに高い領域というとき、思い起こすのはこの物語だ。

『指輪物語』の中で、滅びの火の山に向かう絶望的な旅の途中、サムは白い星がひとつ雲のあいだから瞬いているのを見る。
その美しさは彼の心を打ち、望みが戻ってきた。

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・・・結局はかの大いなる影もつかの間の些々たる一事象にすぎないのではないかという考えが、まるで透き通った冷たい一條の光のように彼を貫いたからです。
かの影の達しえぬところに光と高貴な美が永遠に存在しているのです。

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悪というものは、理由があってこの物質次元でのみそのような姿をしているのであり、別の次元ではまた別様の在り方をしているのだという。

サムは絶望感が極みに達したときにも、最後の瞬間それを希望に転換させる。
指輪が滅びのき裂に投じられたあと、山道を下りていくフロドとサムのほうへ火山から流れる火が迫っていき、まもなくのみ込まれそうになる。
二人が倒れたとき、大鷲がやってきて彼らを運び去った。

サムが目を覚ました時、頭上にはブナの大枝が揺れ、若葉を通して陽の光が射しこみ、大気はかんばしい香りに満ちていた。


黙示録では地上世界は火で滅びることになっているが、結局はこのサムの物語のようなことなのではないか....

滅びの火の上には永遠の星があり、火の中で倒れたはずが、目を覚ましたら美しい緑の野にいるのではないか、と思うのは、希望的観測に過ぎるだろうか。
  
posted by Sachiko at 22:17 | Comment(2) | ファンタジー