2019年10月03日

スティルウォーター教

これなら信者になってもいいかな、と思う「スティルウォーター教」は、以前少しだけ触れたことがあるが、ターシャ・テューダーが家族とお遊びで作った宗教だ。

静かな水のように心穏やかに暮らすこと、大きな波に流されず自分の速さで進むこと、を信条とする。

「スティルウォーター教徒は生活を楽しみます。重荷にしてはいけません。」(ターシャ・テューダー)


時代はますますそれとは真逆の方へ煽ってくるように見えても、それが自分の心に沿わないなら、ほうっておけばいい。

私はルンバよりもほうきが好きだ。
それは1分間に何グラムのホコリを除去するか、という計測とは別の次元のことだ。
その別次元の感覚を何と呼ぶのか、言葉ではうまく表せないけれど。
(もちろん掃除機も使う。ある時代で時間を止めたいわけではない。ターシャも、掃除機も冷蔵庫も使っていた。)

昔、ガスコンロの上にのせて使うタイプの古いオーブンが家にあった。温度設定もアナログだったが、コツを掴めば何の不自由もなくパイも焼けた。
電気を使わない古い道具には、使う人の「手になじむ」という感覚がある。そうして道具はその人の暮らしになじんでいくのだ。

ターシャは短いスカートが流行しても、「わたしはこれが好き」と長いドレスを作って着続けた。
最新流行のものは、いちばん先に古びてしまうものでもある。半年前の流行など、もう誰も憶えていないだろう。

自分自身の「好き」にほんとうに従うときは他人の動向は気にならないし、外側の何かの力に煽られることもない。

効率を追い、無駄だと言って切り捨てた時間の中にあったものが、実は人生そのものだったとしたらどうだろう。
「価値のある良いことは、時間も手間もかかるもの」(ターシャ・テューダー)
  
posted by Sachiko at 21:36 | Comment(2) | 暮らし
2019年10月01日

ケンタウロスの花

昔からおなじみの花、ヤグルマギク。
別名をコーンフラワーというのは、穀物畑によく生えていたからだとか。

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白やピンクなどいろいろな色があるが、中でもやはりこの青は美しい。
昔からどこにでもあり、ほとんど雑草に近い花に思えるが、ドイツの国花はこのヤグルマギクだ。

学名はセントーレア(Centaurea)という。ケンタウロス(Centaurus)に由来する名前だ。

ケンタウロス族の中で、ケイローンと呼ばれるケンタウロスは、芸術や医術に優れた、賢く善良なケンタウロスだった。
このケイローンが負傷したときに、ヤグルマギクの花によって傷を癒した。

屈強なケンタウロスと小さなヤグルマギクの花がどこでつながるのかと思ったら、そんな話があったのだ。

確かにヤグルマギクはハーブ事典にも載っていて、花の浸出液には収れんや消炎の作用があり、古くから傷薬として使われていたという。

花は、エディブルフラワーとしてサラダに添えることもできる。青い花を夏のサラダに散らしたら美しいだろうと思う。

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この記事はどのカテゴリに入るのだろう...神話か庭かハーブか...
とりあえずハーブに入れておきました。
  
posted by Sachiko at 22:11 | Comment(2) | ハーブ
2019年09月30日

自然災害と元素霊・3

『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。

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2004年に破壊的な津波が起こるずっと前に、アニー・ゲルディングの本で自然霊たちについて次のように書かれているのを読んだとき、大きな衝撃を受けた。

『今後、多くの水関連の災害が発生するでしょう。
地震によって引き起こされる津波や、洪水もさらに多く起こるでしょう。』

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この、自然霊たちによる予言めいたものの中には、2011年の津波も入っていたのだろう。
だがこのような話は慎重に受け止めなければならない。
その点についても、Bastiaan Baanは語っている。

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自然霊たちのそのような声明にどうアプローチするかについては注意深くある必要がある。そこには二つの危険がある。

ひとつは、受け入れずにその可能性をあらかじめ排除してしまうこと、もうひとつは無批判にすべてを鵜呑みにしてしまうことだ。
適切な判断を下すにはその中間の位置をとる必要がある。

ルドルフ・シュタイナーは『自由の哲学』の中でこう説明している。
「意識的に、その考えから一歩引いて見ることができる。そうでなければ、その考えに隷従してしまう可能性がある」

20世紀には、人がそこから一歩引いて見ることなく、特定の考えに取り憑かれてしまうことがよくある。
この距離を持つことによって、考えや事象をそれ自体としてそこに留まらせる。そうすればのめり込んで自分を見失うことはなくなり、内的な自由を保つことができる。

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自然霊という、現代科学の対象からは外れ、まだ一般的な認知もされていない存在については、やはり微妙な領域のようだ。
自然霊たちが物理的時空によって制限されないのなら、超えた位置から大きな全体としての地球を見て、その状態を予測することも可能なのかもしれない。

年々大きくなる自然災害という警告を前にして、生きた地球に謙虚に耳を傾けることができるように、まずは人間が正気に戻ることが火急の課題と思う。
  
posted by Sachiko at 22:25 | Comment(0) | 妖精
2019年09月28日

エゾシマリス

都心から地下鉄で5分、気が向けばふらりと彼らの住む場所へ行けるのは、思えば贅沢な立地だ。
エゾシマリスが可愛い姿を見せてくれた。

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以前はなかった気がするのだが、数年前から「野生動物にエサを与えないでください」というプレートがあちこちに設置されている。
そういえば以前、「いつも来てるのよ〜」と言ってリスにエサを与えている人を見かけたことがある。

「かわいいから」というペット感覚なのだろうが、野生動物が野生ではなくなってしまい、いろいろな点で動物にも人間にもいいことはない。あまりに身近にいると、このようなことも起こる。

知床でヒグマに餌付けしようとする観光客には、内心(一度食われろ...)などと思ってしまうのだが....(-_-)


9月末だというのに昼間はまだ夏に近い気温だけれど、これもあと少しのあいだだろうと思う。

オオウバユリの実はまだ緑色をしている。
茶色く枯れてはじけたものはなかなか趣きのある姿で、ドライフラワーとして使われる。

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posted by Sachiko at 22:00 | Comment(2) | 自然