2020年03月15日

今年もスノードロップ

春一番の花、スノードロップがひとつ咲いているのを見つけた。

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長く寒い冬が明けたあとの春は、ことのほか嬉しく、輝いて見える。
が、この冬はさほど寒くも長くもなかった。

せっかくスノードロップが咲いたのに、どこかで「ああ...もう春か...」などと思ってしまっている(-_-;
熟睡できないまま夜が明けて、「ああ...もう朝か...」と思う感じに似ている。

雪の降らない地方、冬でも何かの草や花を見ることができる地方では、冬と春をどこで区別するのだろう。

凍てつく冬と、最後の雪をつらぬいて光が輝き出るような春のコントラストが美しいのに...
この冬は、真冬日も長続きせず、何度も雨が降り、くっきりしたコントラストが味わえなかった。

家の裏ではふきのとうが顔を出している。
冬は終わってしまった。気を取り直して春を楽しむことにしよう。
イースターまであと1か月を切っている。
  
posted by Sachiko at 22:25 | Comment(0) | 季節・行事
2020年03月14日

小人たちの旅・2

『ZWERGE, GNOME UND FANTOME』(アニー・ヘルディング著)より。

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うぬぼれた人々は、証明されていないものや未知のものなどを迷信として片付けてきましたが、今日では超自然的(つまり、証明不可能)な現象は、数十年前よりも敬意をもって扱われるようになりました。

フェルウェにおいては、そうした古い家族の言い伝えが新たによみがえるということが起こっています。
それらのロマンティックで秘密に満ちた話、祖父母が若かった頃の体験は、若い世代に引き継がれ、穏やかに語ることのできる物語として再び明るみに出てきています。

それぞれの家族には独自の体験談があり、日が短くなり夜が長くなるころに、暖炉のそばで語り継がれました。
それらは不思議で神秘に満ちた詩的な物語です。

フェルウェの人々はそうした秘密の物語を、すぐにはよそ者に明かさないため、私は少しずつ彼らの不安をやわらげ、信頼を得ていき、やがて彼らの物語を聞くという大きな特権を得ることができました。

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そうしてアニー・ヘルディングは幾つかの物語を書き留め、自身の経験を加えていった。


小人たちが住処である土地を離れるときには常に理由がある、と書かれている。
小人たちの行列として知覚されたものは、もうひとつの世界に存在するものたちの、独特のエネルギーの動きだったのだろう。

たとえば、春になってシベリアに帰る白鳥の群れや、桜前線の北上といった目に見える現象の背後で、それらの現象を司る目に見えない存在たちがいっしょに旅していたとしてもまったく不思議ではない。

季節が移ろって行くとき、昼と夜が交代するとき、別の目が開けたなら、そこに自然霊たちの軽やかなダンスを見ることができるだろう。


そして、自然環境に変化が起きた土地から自然霊たちが去っていくという話は、アニー・ヘルディングだけでなく自然霊を知覚する複数の人々が同じように語っている。

あくまでも物質界だけを唯一の世界と信じる文明を突き進むのか、その背後の世界に敬意を払う文化に移行するのか、世界が大きな分岐点に来ていることを確かに感じる。
  
posted by Sachiko at 21:45 | Comment(0) | 妖精
2020年03月12日

「マーヤの植物だより」

「マーヤの植物だより」(レーナ・アンデルソン)

「マーヤ」シリーズの絵本は三冊あり、訳者によって、作者の名前がアンダーソンだったりアンデションだったりアンデルソンだったりする。
ここではスウェーデン名としてなじみのあるアンデルソンを採用。

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たくさんの木や草や花やハーブとともに、マーヤはすばらしい時を過ごす。
トネリコの枝につるしたブランコに乗ったり、弟のペッレの誕生日にイチゴのケーキを作ったり、カシの木のてっぺんを別荘にして、ひみつの友だち(ドングリの妖精)と過ごしたり...

仲良しの友だちといっしょにラベンダーのサシェを作ったり、シダの葉の下で雨宿りしているトガリネズミに出会ったり、チャイブを刻んでオムレツに入れたり。

一日の終わりに、歯をみがいたあと、お気に入りの椅子でのんびりとスイカズラの香りを吸う時間、外はまだ明るい。

ひとつひとつの植物に、短い詩のような言葉が添えられている。

子どもが育つのに最もよい環境は田園だという。
自然が大好きな少女マーヤの、豊かでしあわせな植物ライフのお話。

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posted by Sachiko at 21:29 | Comment(0) | 絵本
2020年03月10日

小人たちの旅

『ZWERGE, GNOME UND FANTOME』(アニー・ヘルディング著)より。

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オランダのフェルウェ地方の人々に、小人たち(ドワーフ)について尋ねると、彼らはイエスともノーとも言わずにゆっくりと頷きます。
けれどそうした話は、見知らぬ人に安易に明かされるべきではありません。

小人たちはあらゆる方向から集まり、来ては去っていきます。
彼らが特定の地域に留まっているかぎり、そう悪いことはありません。
でもデンマークやスウェーデン、ノルウェーに去っていく場合は、よくないことになります...

北フェルウェのこの地域で、少数の人々は小人たちの移動について知っていました。
小人たちが北へ大移動することは、農民たちによって目撃されていて、ほとんどの場合、知られた同じルートを通っていたことは、古い記録にも残されています。

少し後に私はそれを自分で経験することになります。
ここベルヴェデーレの森を通る小人たちの行列は、三日三晩続きました。
彼らは私たちの土地を横切り、果てしなく続くような列を作って、南西から北東に移動しました。

北フェルウェの人々は、超自然的な事柄について、通常よその人には話しません。
けれどフェルウェでも他の場所においても、そうした事柄について話すことへのためらいは変わってきているようです。

例えば、自分では小人を信じていなくても、子どもたちにはおとぎ話を読んであげた大人たちのように、合理的な頭の人々が肩をすくめたとしても、それらは再びそれ自身を確立してきています。

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まるで民族大移動のような、小人たちの大移動!
おとぎ話の中に追いやられたはずの小人たちは、それを知る人々によって、安易には語られることなくそっと守られてきたのだろうか。

同じ自然界を共有しながら、人間とは別の次元に生きる存在たち。近年は次元を隔てる壁が薄くなり、彼らを知覚する人々が増えているという。
そして実際、自然霊たちを扱った自然哲学が、ひとつのジャンルとして確立しているようだ。(この分野の本は日本にはあまりなく、翻訳本もほとんど出ていない。)

この本にはアニー・ヘルディングによるスケッチや水彩画が多く掲載されている。
これはそのひとつ。
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posted by Sachiko at 22:44 | Comment(0) | 妖精