2020年01月09日

パラダイスの木

ウルスラ・ブルクハルト「Das Märchen und die Zwölf Sinne des Menschen(メルヒェンと人間の12感覚)」より。

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創世記にまつわる伝説の中で、すべての人々に前進する力を与える別の木のことが語られている。

アダムとイブの末息子のセス(セツまたはセトと表記されることもある)は、楽園の知恵の木と生命の木の樹冠がともに成長した姿を見ることができた。

大天使ミカエルはこの木から3つの種を彼に与えた。父アダムが死んだ時にセスが墓に種を埋めると、燃えるような繁みになった。そこから切り取った木片は、また新しく芽を出して花や果実が常に育っていった。

楽園の繁みの木からは、モーセの杖とソロモンの神殿の門が作られた。その木はベテスダの池に癒しの力を与え、キリストの十字架も楽園の繁みの木で作られた。

すべての人が自我の木を植えて世話をする必要がある。
それは困難な仕事であるが、楽園の繁みを思い出すために善いことだ。そして人は自分の木にふさわしい大きさを見出すだろう。

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前回、宇宙樹ユグドラシルは人間の永遠の自我の担い手であるという話があった。
すべての人が植えて育てるべき自我の木は、楽園の思い出につながっている。このことが呼び起こす感情を、しばらく響かせてみよう。

自分の木と、それを育てる困難な仕事...、自我の木の根元では運命が紡がれている。そこからこの言葉を思い出した。

「自分の十字架を背負って、私についてきなさい」(マルコ福音書8-34)

キリストの十字架が何の木かという話はあちこちの伝説にあるが、もちろんここで言われているのはその種の話ではない。

十字架(地上の歴史的な意味ではなく、宇宙的な意味で)が楽園の木でできているのなら、マルコ伝の言葉も、一般のキリスト教会の解釈とはいくらか違った光のもとに見えてくる。

木という象徴は、どこか深いところで融け合うように人と親和する。この章の木の話は、まだもう少し続く...
   
posted by Sachiko at 22:07 | Comment(2) | ウルスラ・ブルクハルト
2020年01月07日

オラフ・アステソンの夢の歌・3

昨日のエピファニーで、長いクリスマスシーズンが終わった。

私がオラフ・アステソンの夢の歌について知ったのは、昔ある冊子にその一部が紹介されていたのを読んだのがきっかけだった。
その本はもう手元にないので正確に覚えてはいないが、印象に残っているのはこの部分だった。

 そこで私は邪悪な男を見た
 最初に見たのは---
 小さな男の子が彼の腕に抱かれていた
  彼は膝で歩いていた
 痛みの法廷で
 審判が下されなければならない

男は自分が殺した子どもをそこで一定期間抱いていなければならない。この領域で人間は自分がしたことの結果を引きうけるが、懲罰というより調整的なかたちで、という説明がされていた。

オラフ・アステソンは13日の眠りの中で、エーテル界を通り、エレメンタル界を通り、アストラル界で、この世の罪のすべての結果を体験する。それは、地上に降りて以降の人類がたどった道だ。

歌には、北欧の古い秘儀参入の道のすべての要素が含まれているが、後の時代にはそこにクリスマスの要素が混ざるようになったと言われる。

現存している歌は、もっと大きな全体の一部分だという。
そもそもこの歌は、人類の未来において全貌が明らかにされるようなものらしい。

どうやら手に負えないものに首を突っ込んでしまった気がする。
エピファニーも過ぎたことだし、もし次のクリスマスシーズンまでこのブログが続いていれば、もう少し続きを紹介できるかもしれない....

今回の参考文献↓

olaf.jpg
  
posted by Sachiko at 22:07 | Comment(0) | クリスマス
2020年01月05日

宇宙樹ユグドラシル・2

ウルスラ・ブルクハルト「Das Märchen und die Zwölf Sinne des Menschen(メルヒェンと人間の12感覚)」より。

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自我の木は、地球の奥深くにしっかりと根を下ろしている。
運命の泉でノルンたちは時の流れを紡ぎ出し、魂の温かな力は喜びや悲しみと結びつく。未来を示す名を持つノルンのスクルドは、現在の人生の中から罪を未来へ紡ぎ出す。

けれど、人の温かい心はいつか運命に新たな転換をもたらし、罪を赦す神の子を見出すだろう。
多くの未来を持つ三つの力強い根から強大な幹が成長し、強大な樹冠が形成される。

シュタイナーの「神話と伝説」ではこのように語られている。
「木の先端は霊界に突き出している。豊かな樹液のしずくが霊の土地から流れ落ちる。

宇宙樹の頂上で放牧される山羊の角から、雫は絶えず滴り落ちる。下の世界は上から来るものによって受胎する。リスは上へ下へと走り回り、争いの言葉をあちこちに運ぶ。その様子は高次の自然に対する低次のものの闘いだ。」

人間は未だ不完全であり、木において結びつく相対するものの調和は常に乱されている。樹冠が霊的に成長していても、リスはまだ動物的で、混乱をそこにもたらす。

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樹木神話は世界中にあり、このように語られると、宇宙樹は宇宙的存在としての人間の姿そのものに見える。
その頂は天に至るが、根の下では運命が紡がれ、調和を乱す動物的なものが走り回っている。

こうして神話は、特別な響きをもって魂に働きかける。
人間には神話が必要だ。というより、人と神話は互いに映しあい、属しあっている。
この不可分のものを分離させたとき、人間は単に古い物語を失うのではなく、自分自身、人間であることそのものを失っていく気がする。
  
posted by Sachiko at 22:27 | Comment(0) | ウルスラ・ブルクハルト
2020年01月04日

宇宙樹ユグドラシル

ウルスラ・ブルクハルト「Das Märchen und die Zwölf Sinne des Menschen(メルヒェンと人間の12感覚)」より。

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正反対のことを通して、人間は自身を人間たらしめる。
人は地上をつかのま通り過ぎるものでありながら、なお永遠である。多くの点で獣のように生きるが、それでも高い理想に向かって努力する。

これを示すひとつの例は、レムニスカート(∞)の上部と下部のふたつの円の結合である。私たちは木の中に、根と樹冠がかたち作るもうひとつのイメージを見る。

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ユグドラシルについては、以前別の記事で少し触れたことがある。
私が13歳の時、たまたま聞いた「ユグドラシル」の名前に、なぜか雷に打たれたような衝撃を受けたという話だった。

「エッダ」の最初の章「巫女の予言」で、トネリコの大樹であるユグドラシルについて述べられている。
ユグドラシルには三本の根があり、それぞれ、神々の住まうアスガルズ、巨人族の住むヨーツンハイム、凍てつく暗黒のニッフルハイムに続いている。

根の下の泉のほとりには、ノルン(運命の女神)と呼ばれる三人の乙女が住んでいる。それぞれウルズ(過去)、ヴェルダンディ(現在)、スクルド(未来)という名を持ち、人間や神々の運命の糸を紡いでいる。

ユグドラシルは、Ygg(オーディンの別名)のdrasil(馬)という意味だと言われているが、ウルスラ・ブルクハルトのこの本には別の記述がある。

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ユグドラシルは『私』であり、自我の担い手である。
Yggは「私」であり、drasilは「担う」という言葉に語源を持つ。

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神の名が「I AM」であるように、北欧神話の主神オーディンの別名が「私」であっても不思議はないかもしれない。同様に、人や荷を運ぶ馬が「担うもの」を語源としていたとしても。

こうして、神話はもう一段深いところに光を当てられる。
この自我の担い手が運ぶのは小さなエゴではなく、人間の中の永遠性を持つ自我だ。

だとすれば、自我が本格的に活動し始める思春期に、この巨樹のイメージが電撃のようにやってきたのも偶然ではなかったのだろうか。
新年最初の記事を何にしようかと思っていたとき、やはりこの宇宙樹の話がふさわしい気がしたのだ。
ユグドラシルの話はもう少し続く。
  
posted by Sachiko at 22:46 | Comment(0) | ウルスラ・ブルクハルト