2020年07月22日

探検のはじまり

グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。

うたう魚かもしれないとみんなが耳を澄ました口笛のような音は、白鳥のヒナたちだった。

別の家族に迷い込んでしまった1羽のひな鳥を助けて元の家族に返したり、川に潜って水門の鍵を見つけたり、アーサー王がかぶるようなヘルメットを拾ったり、盛りだくさんの探検のもうひとりの主人公は、この川そのものだ。

三人の子どもたちによって次々と明らかにされていく川の魅力に、このあたりの住人たちは気づいていないだろう。

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子どもたちは、けっしておしゃべり三人組ではなかった。
アイダとオスカーは、ほとんどひとめ見ただけで親友になった。そしてふたりともピンを愛した。
(ちなみに、アイダとオスカーは11歳、ピンは9歳)

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女主人が彼らに命じた規則らしいものは、食事に遅れないことだけだった。
ミス・シビラはたくさんの料理を作って、子どもたちがそれを次々と平らげるところを見るのを無上の楽しみにしている。

時間など気にしないオスカーやアイダに、食事時間を守らせるのはピンだった。
けれどピンは少食なために、ついにミス・シビラのお気に入りになることができなかった。


子どもの頃の長い一日、朝早くから遊べる夏休みの一日は、特に長かった。
大人の目には取るに足らないものに見える宝物、あるいは大人になると見えなくなるあれこれ。
一瞬限りでとっておくことのできない音や色や香りや手触り。

それらを余すところなく味わう三人の子どもたちは、グリーン・ノウにふさわしかった。
彼らをここに呼び集めたのは、グリーン・ノウそのものだったように思える。

この夏、グリーン・ノウの川は、子どもたちにゆったりと寄り添いながらその秘密を明かしていく。
  
posted by Sachiko at 21:45 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン
2020年07月20日

すべての惑星が...

明日から一週間ほどのあいだ、夜明け前の空にすべての惑星が並ぶ。

zenwakusei.gif

全部が見えるのは、午前3時から3時30分くらいまでのわずかな時間だ(※これは札幌の場合。他の地方では多少時間帯や位置がずれる)。
準惑星に降格されてしまった冥王星も、土星と木星の間くらいの位置にいる。

と言っても天王星、海王星、冥王星は肉眼では見えない。
(天王星と海王星は、双眼鏡や望遠鏡があれば見える)
水星と木星は地平線すれすれのところにいるので、これもよほど空の開けたところでなければ見るのは難しい。

実際に見るのが難しくても、この時期、惑星たちがこんな並び方をしていることを知ると、何か不思議な気分になる。

私はホロスコープには詳しくないけれど、このわずかな時間帯に生まれる子どもは、どんな運命を持っているのだろう?などと思う。
新しい時代に向けて、特別な使命でも携えて来るのだろうか。
  
posted by Sachiko at 21:54 | Comment(2) | 宇宙
2020年07月18日

うたう魚

グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。

川は大雨が降るとすぐに氾濫するので、このあたりの川沿いには家や工場が建っていない。
グリーン・ノウ屋敷は、洪水を避けられるほどの高さがある島にあるのだ。

三人の子どもたちは、屋根裏部屋の窓から身を乗り出して川を眺めた。
川にはたくさんの島があり、上流には水門がある。三人は何一つ見落とすまいと、窓から窓へと駆け回る。

アイダは、川や雲や地面がピンの目の中に小さく映っているのを見る。
ピンは言った。

「・・・地面は、何キロも何キロもひろがって、あちこちに、森や、イグサや、滝や、水車が見え、夜鳴き鳥がおり、鐘があり、歌をうたう魚がいる。」

「すてきだわ、そういうの・・・ピン、うたう魚がいるっていうの、ほんとうなの?それとも、ただ、そう考えているだけ?」

するとオスカーが言った。

「おとうさんがよく言ってたけど、この世の中でほんとうのものはただ人間の考えだけなんだって。どんなものでも、だれかがそれを考えなかったら、ぜんぜんないのと同じなんだ。考えというものは、鉄砲でも撃ち殺せないものだ、ってね。

おとうさんはそう言ったために、ロシア人に撃ち殺されてしまった。でもおとうさんのその考えは、撃ち殺されていないんだ。だって今、ぼくがその考えをうけついで、考えてるんだもの。
だから、ピンがうたう魚がいるというのなら、なんとかしてきいてみようよ。そう思わない?」


わずかな間に、三人はすでに深い友情で結びついたように見える。これもグリーン・ノウの魔法かもしれなかった。

鳥が歌うのなら、魚も歌うことはないだろうか、魚独特のやり方で。
そういえば、水の精は歌う。セイレーンとかローレライとか。そして水の精は魚の姿をとることができる....


翌朝、朝食をすませた三人は、庭のはずれのボート小屋で見つけたカヌーで川に漕ぎ出す。
彼らは川のどんなものも見逃しはしなかった。

アイダが、目を閉じて聞こえる音全部を言ってみることを提案した。
水の音、生きものがたてる音、草木が擦れる音、泡の音、ありとあらゆる音、音...

「ねえ・・いまきこえる音、うたう魚かもしれないわよ。」

五感を全開にして、子どもたちは川を味わう。
だれでも、注意深く感覚を研ぎ澄まして自らの器を差し出した分だけ、世界は繊細で多様で美しい姿を見せてくれる。

最初の朝の川遊びがすでにこんなに豊かなのだから、このあと、どれほどの冒険が待っていることか....
  
posted by Sachiko at 22:01 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン
2020年07月16日

「グリーン・ノウの川」ふたたび

以前少しだけ紹介した、ルーシー・M・ボストンの「グリーン・ノウの川」。
このすばらしい夏休みの物語をほんのサワリだけで通り過ぎてしまうのはもったいない、もう少し深入りしてみたくなった。

事の起こりをおさらいすると、ある夏、オールドノウ夫人が旅に出ているあいだ、モード・ビギン博士は本を書くために、ミス・シビラ・バンとともにグリーン・ノウ屋敷を借りていた。

そしてビギン博士はあることを思いついた。

「難民児童夏期休暇援助会に手紙を書いて、子どもたちを呼んでやりましょう。」

驚き心配するミス・シビラに、博士は言う。

「・・川があるでしょう。それにこの家だってあるし。この家がすばらしい遊び場だってこと、見ただけではちょっと信じられないですけどね。」

ビギン博士はこの家の魅力がわかる人だった。そうでなければオールドノウ夫人は留守宅を任せはしなかっただろうが。

こうして、ハンガリー難民のオスカーと中国人難民のピン、博士の姪の娘アイダがグリーン・ノウにやって来たのだった。
アイダはここに来る道中に、すでにこのグループのリーダーとしての地位を築いたようだった。

ビギン博士は、子どもたちに大きな屋根裏部屋を与えたあとは、もう口出しはしなかった。

その部屋はピンの目には仏教の道場に見え、オスカーには十字軍のお城に見えた。
やってくる人それぞれに合った仕方でお客を迎えるというグリーン・ノウ屋敷の魔法がすでに働いていた。

窓からは美しい川が見える。この川がこれから始まる物語の舞台になるのだ。
宿題や登校日などというものはなく、大人の目も光っていない、ほんものの夏休み!

「グリーン・ノウの川」は、作者67歳の1959年に出版された。
ピンやオスカーが難民になってしまったように、あの時代も世界は混乱していた。

でもルーシー・M・ボストンの精神は若く自由でみずみずしかった。
自由は、人間存在の核心だ。
「あんまり自由すぎてもダメ...」などという人は、自由の意味を知らない。

グリーン・ノウで夏休みを過ごす子どもたちの冒険は、彼らがやがて獲得するだろう真の自由へと後押ししてくれる、かけがえのない体験になるはずだ。
  
posted by Sachiko at 22:34 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン