2021年04月07日

石けんの香り

マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。

6月、学校は終わり、明日は出発という日、ローエラは町に買い物に出かけた。アディナおばさんからもらったお金をほとんど貯金しておいたのだ。

まず、家の周りにまく花の種をたくさん買う。
それから寮母のスベアおばさんにハンカチ、アディナおばさんには帽子に飾る布製の花、モナにはイヤリング、そして、町の思い出に自分用に何か買うのも悪くない。

思い出にしたいものは何だろう。それは都会の香りだ。
化粧品店で特別の石けんを探しているらしいローエラに、売り子も手伝ってくれた。
ローエラは店にある石けんひとつひとつの匂いをかぎはじめる。

「おぼえてると思い込んでいるだけじゃないの?もののかおりくらい、記憶があやふやなものはないんですよ。」

「あら、ちゃんとおぼえているわ。」

ローエラがついに見つけた石けんは、思いのほか高価だった。
売り子は機転をきかせ、箱入り石けんをばら売りにして、ローエラが持っているお金でちょうど足りると言ってくれた。

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このかおりこそ、ローエラが身につけて森の家に帰りたいとねがっていたものだ。町にきて以来ほとんど毎日なじんできたかおり、そして、すっかり魅せられてしまったかおりだった。

それは美と才能のシンボルであり、ほのぼのとただようかおりだけしか感じとれない、至高のものをあらわしている。

そのかおりは、ローエラの担任であるローズマリー=スコーグ先生が、手をあらうのに毎日つかっていたせっけんのかおりであった。

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香りは記憶と強く結びついていると言われる。
でも言われてみれば、店の売り子が言うように、香りの背景にあった出来事や情景を思い出すのと、その香りそのものを正確に覚えているかどうかはまた別のことなのか。

ちなみに私は牛乳石鹼の青箱の香りが好きだけれど(シンプルに石けんらしい香りだ)、赤箱はそうでもない。
D...石けんは、香りが好きになれずに使うのをやめてしまった。
私がボディソープ派にならないのは、まさに石けん特有の香りのせいだ。

香りは確かに、記憶と結びついている。
濃いコーヒーの香りは、早朝のホテルのダイニングの香りとして、旅の思い出を呼び起こす。

そこまではっきりと意識されない、空気の中にほんのかすかに漂うだけの微細な香りもある。
物理的な感覚に訴える香りだけでなく、似た雰囲気のものを指して、「同じ匂いがする」という表現があるように、香りと言うものもまた、見える世界と見えない世界のあいだにあるのだろう。

今日はなんだか妙な話になってしまったけれど、ローエラが町の思い出に石けんを選んだのは、絶妙な選択だった気がするのだ。
  
posted by Sachiko at 22:37 | Comment(2) | マリア・グリーペの作品
2021年04月04日

イースター2021

今年は雨混じりで肌寒いイースターサンデーになった。
何と、今週後半の予報には雪マークがついている。

イースターに飾る花といえば水仙、でも今年は早めのイースターなのでまだ咲いていない。

クロッカスやチオノドクサはもう咲いている。
スノードロップは終わりかけだ。
チューリップの芽は葉っぱになり、ライラックの芽も間もなく葉っぱのかたちになりそうだ。

早春の植物は、一日で様子が変わってしまう。
自然霊たちに意識を向けると、春の喜びに満ちて植物たちに働きかけているエネルギーが伝わってくる。

この季節には毎年言っている気がするけれど、自然霊たちとともにイースターを祝うことはほんとうに大切だ。

物質的な仕方での環境保全対策ももちろん重要だが、自然界の背後にある霊性を見ずに人間の都合だけを土台にするなら、費やすエネルギーの割には功を奏さず、結局また新たなひずみを引き起こしかねない。

自然霊の存在に意識を向けるか向けないかで、人間が世界に放射するエネルギーは全く違うものになるからだ。
彼らと協力するなら、人間が頭で考えるのとは違う、真に調和のとれた叡智が輝き出てくるはずなのに....


今年は忘れずにホット・クロス・バンズを焼いた。
たっぷりのドライフルーツとシナモン、ナツメグ、オールスパイスなどを入れた、イースター前の聖金曜日に食べる菓子パンだ。

我が家では多めに焼いてイースターの朝にも食べる。
イギリス在住の人によれば、これはスーパーで一年中売っているそうだが、やはりこの時期だけの特別なパンにしておきたい。

hotcrossbuns.jpg
  
posted by Sachiko at 22:31 | Comment(2) | 季節・行事
2021年04月01日

チェンジリング

先日あるところで、妖精が人間の子どもをさらう物語は、自然界が人間の力を求めていることの表現だという話を聞いた。

チェンジリング(取り替え子)の話はケルト文化圏に多い。
典型的な話は、妖精が人間の赤ん坊をさらい、代わりにしわくちゃで醜い妖精の子どもを置いていき、その子は間もなく萎びて死んでしまう...というパターンだ。

置いて行かれたのは妖精の子どもではなく、年老いた妖精だという説もある。チェンジリングをうまく追い払うことができると、ゆりかごにはほんとうの子どもが戻ってきている。
妖精は自分たちの血統を良くするために、美しく健康な人間の子どもを欲しがるのだそうだ。


シュタイナーの妖精論では、人間が世界の事物をただ見るだけではなく、理念・概念・美の感情などによって精神化するとき、精霊たちを救済し解放することになる、と語られている。
それは物語の世界とは異なるが、その背景にあったものだ。

自然界の背後の霊的存在を知覚する霊眼が、しだいに朦朧とした残照のようになった時代が中世だという。その残照が、伝承物語のかたちを取っていったのだろう。


人間は自然界に属していて、そこでの役割を持っている。
人間が介入しない、いわゆる“手つかずの自然”のままにしておくのよい考える人もいるが、やはり自然界は人間の手と意識、何より霊性を必要としている。

自然界を、自分自身と切り離された単なる物質資源としてしか見なくなった人間は、救われない妖精たちによって魔法をかけられてしまったチェンジリングのように見える。

地球にやさしいという名目のあれこれの技術開発よりも、魔法を解いて本来の人間を取り戻せば、自然と人間とのほんとうの関係が見えてくるだろう。妖精は人間が必要なのだ。
  
posted by Sachiko at 22:40 | Comment(0) | 妖精
2021年03月29日

帰郷の準備

マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。

白日夢から醒めたローエラは、パパのことを冷静に考え始めた。
こうあってほしいという自分の心に惑わされたことが、今ではわかる。すべては幻だった....

あの晩家が恋しいと泣いていたモナは、もうけろりとしている。でも、モナには頼る人が誰もいない。
ローエラは今になってアディナおばさんのありがたみがわかった。
それでおばさんに、今学期が終わったらすぐに帰ると手紙を書き、森の家の気がかりなことなどを尋ねた。

すぐに返事が来て、すべては無事だとわかった。
町はもうローエラをつなぎとめる力を持たない。
町暮らしで失われかけた自分の力が戻ってくるのを、ローエラは感じていた。

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ローエラが気にかけていたのは、懐かしい森の家と、周りの景色のことだった。

パパ・ペッレリンはまだ立っている?花は咲いた?ライラックはつぼみをつけている?リンゴの木はどうなった?ポーチの脇のアオイは?......


町暮らしで失われかけた力は、どのようなものだっただろう。
町にあるものはすべて何かの代用品のように、ローエラには思えたのだ。
生き生きとした暮らしの代わりの刺激、喜びの代わりの娯楽、気を紛らわすための騒音、そして人はすれ違っても挨拶さえしない。

森は人を自由にし、本質につなぎとめる。森にあるものはすべて生きているか、かつて生きていたもので、ほんものだ。
森に帰ることが決まったローエラからは、内から泉のように湧き出る生命の力がよみがえってくるのが感じられる。
 
posted by Sachiko at 22:09 | Comment(0) | マリア・グリーペの作品