2020年03月23日

フェルウェの妖精たち・2

『ZWERGE, GNOME UND FANTOME』(アニー・ヘルディング著)より。

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妖精界は、人間の言葉や思考では簡単に理解できない、それ自体の法則に従っています。

小人は、妖精界の他の存在と同様、非物質的な存在であり、大地からの霊性の現れです。
それで名前も「地の精」あるいは「地の小人」と呼ばれます。

彼らは物質に対して力を持ち、例えば私たちが水に潜ることができるように、大地に潜ることができます。
木の幹や石の中を歩いたり、岩の中に姿を消すことができ、岩の物質性は障害にはなりません。

小人たちにとって、私たちのエネルギーは重く粗雑すぎるので、人間に近づきすぎることは好みません。
自然霊たちは私たちのオーラから影響を受け、その色に反応します。それは絶えず変化し、私たちの内面の感情や意思を反映するものにもなり得ます。

妖精界の存在たちは、望めば人間のような姿をとることができます。
小人たちの大移動のとき、彼らは旅行鞄のようなものや道具類を持っていましたが、衣服も含めて、それらは模倣されたイメージです。

小人たちのコミュニケーションは言語を通してではなく、テレパシーや表情、身振りによるものです。

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人間が水に潜るように、ノームたちが地に潜れるという話は、なんだかとても腑に落ちる。
単に、そういうことなのだ。
もしも気体の中だけを自由に動ける存在がいたとしたら、人間が水に入るのを見たら魔法のように見えるかもしれない。

シュタイナーの妖精論の中にも同じような話が出てくる。
『ノームにとって地球全体は、通り抜けることができる空洞なのです。岩石や金属は、ノームが歩き回るのを妨げはしません。』(「天使たち 妖精たち」より)

植物の根が大地の中に伸びるとき、その周りでノームたちが活動している。軟らかいミミズが硬い土の中を移動できるのも、土の中を旅するノームたちがいるからだ、と.....

物質界からだけでは、自然を理解できない。
ここでも何度も書いているけれど、自然霊とのつながりを回復することなしには、地球と人類の未来はない。
自然界が度々送ってくる警告は、火急のアラームなのだと思う。
  
posted by Sachiko at 22:36 | Comment(0) | 妖精
2020年03月21日

フェルウェの妖精たち

『ZWERGE, GNOME UND FANTOME』(アニー・ヘルディング著)より。

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妖精界において、小人は特殊な位置づけにあります。
他のエルフたちは、繊細で優雅で軽やかな、女性的な自然霊ですが、小人はより地上的でこの世界に近い存在に見えます。

小人は通常、やや屈んだ格好で、老人のような長い髭と、形のいい鼻を持っています。
神秘的な存在の小人たちは、神々がまだ地上を歩いていた古い時代から人間と関わってきました。

小人たちは私たちを助けることができ、前夜には終わりそうもないように見えた仕事が、彼らの働きによって、翌朝には突然片付いていることなどが伝えられています。

自然霊たちは、動物にとってもリアルな存在です。
ある日私が森を散策していた時、痩せた小人が私といっしょに走っているのに気づきました。

猫もいっしょにいましたが、猫は明らかに小人をよく知っていて、彼らが初めて会ったのでないことは、その反応からすぐにわかりました。
彼らは互いの周りを回りあってたわむれながら、私について来ました。

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小人たちが仕事を助けてくれるなど、古いおとぎ話のような話だけれど、きっとおとぎ話のほうが体験に基づいていたのだ。

ところで妖精や小人たちの名前は、日本語に訳しにくい。
本の中ではいろいろな呼び名が書かれている。
Erdmännchen、Zwerg、Gnome、Kobold、Wichtel....
日本語ではどれも「小人」だ。

ちなみに白雪姫の小人は“Zwerg”だが、ルンペルシュティルツヒェンの小人は文字通りMännchenとかMännlein(小さい人)と書かれている。

ずっと昔、日本のどこかの民間伝承で、「こぼると様」という存在を崇めている話を聞いたことがある。
コーボルトはオランダ起源なので、オランダ貿易の時代に文化が紛れ込んできたのかもしれないが、調べてもわからない。もう消えてしまったのだろうか。

いずれにしても、ドワーフそのもの、ノームそのものを表わす日本語はないのが悩ましいところなのだ。
   
posted by Sachiko at 22:13 | Comment(4) | 妖精
2020年03月19日

夜明け前の星たち

夜明け前の南東の空、細い月の傍に、土星、木星、火星が集まっていた。

wakusei.gif

天気予報で早朝晴れることを確かめ、この星たちを見るために5時前に起きた。空が開けた場所なら、地平線上に水星も見えるはずだ。

ここにはいない金星は、今は宵の明星として、西空に夜9時過ぎまで見えている。

今月11日以降、惑星たちはまたすべて順行している。
星たちはみなそれぞれに、“何か”ではなく“誰か”なのだということが、この時代、いっそうはっきりと響いてくる。

そして明日は春分、また大きな節目だ。
気がつけばもう、最低気温もプラスになっていて、雪が消えた場所には新しい芽が出ている。

芽吹きの春、植物が発芽する力には、火星のはたらきが関わっているという。
  
posted by Sachiko at 22:11 | Comment(0) | 宇宙
2020年03月17日

ふきのとう収穫

裏のふきのとうを採ってきた。
雪の下にはまだもう少しありそう。

fukinotou2.jpg

こうして毎年、春には同じ植物が芽を出し、年中行事が繰り返される。
これは、女性が本来得意とする、循環する“まるい”時間だ。

「同じことの繰り返し...」などとぼやくには及ばない。
暮らしはこのような循環でできている。
それはいのちのリズムで、とても古い時代の文化を形づくっていた。

古い叡智はどこかに隠れ、それを細々と保ち続けた民族も、歴史の端に追いやられてきたけれど、どうやら裏が表になる時代が来たようなのだ。

神の呼吸はゆったりとしていて、変化に要する時間は、人間の時間から見れば途方もなく長く困難に感じるかもしれしれない。

人間が神のリズムで生きていれば、それもどうということはないのだろうか。1万年以上続いた縄文時代のように。

なんだか壮大な話になったけれど、ふきのとうの話だったっけ?これは今年も天ぷらと化した。
  
posted by Sachiko at 22:40 | Comment(2) | 季節・行事