2021年01月13日

パパの存在

マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。

ある吹雪の日、ローエラはまた村へ遠征に行かなくてはならなくなった。こんな日は村人も外に出ていないのでかえって都合がいい。

バスケットを一杯にしての帰り道、後ろから車の音が聞こえた。
ついに、アグダ・ブルムクヴィストが来たのだ。
早く家に入って鍵をかけてしまおうと思ったが、遅かった。
ローエラは岩のあいだの落ち葉の陰に隠れた。

アグダと、もうひとり男の人がいる。おしゃべり、笑い声。
ローエラの目に、アグダはいやな人間に見える。
小さい弟たちをひきとってくれるのは、こんな人だったのか...
ローエラは二人の話し声に聞き耳を立てた。

...子どもたちの出費はイリス(ママの名前)が持ってくれる....
...小さい頃のローエラは手に負えない子だった、きっと父親似なんでしょうね...
...美男だけれど横柄で高慢な人だったわ...

何度もパパの話が出てきた。いい話ではなかった。
長いあいだ、ローエラにとって存在しなかったパパが、実在のものとなった。
アグダの話はもう聞きたくない。あの人たちにパパのことをとやかく言う権利はない!

ローエラは裏から煙突に登って叫んだ。

「とっとと立ち去れ!消えてなくなれ!」

投げつけた菓子パンやケーキが二人に当たったようだ。
車の音が遠ざかっていった。

一見勝利したように見えたが、この事件はアグダを一層熱心にさせてしまった。翌朝、アグダ夫妻といっしょに、児童保護委員会の代表ふたりがやってきた。

女たちはさっさと荷物をまとめ、弟たちとローエラは、家を後にしなければならなかった....

-----------------

子どもは、保護されなければならない。学校教育も受けなければならない。それは間違っていない。
けれど、ここで登場する大人たちとローエラとの極端な温度差....

事務手続き、杓子定規、決まりごと、書類、大人の都合、お役所仕事、浅い常識...
そうした言葉を寄せ集めてできているような人々...
さらに、アグダ夫妻には抜け目のないずるさがある。
車に乗せられたローエラの“いのち”が、敗北を噛みしめる。

児童保護委員会の女の人はアグダよりましで、アグダに取り上げられそうになった家の鍵を返してくれて、町ですごすのは冬のあいだだけだと言った。
森の中で子どもだけで暮らさせるわけにはいかない。子どもの保護は、この人たちの仕事だ。

それは外的な保護で、魂に寄り添うことはない。もっともローエラもそんなことは望んでいない。
まるで、互いに遠く離れた別の次元に住んでいるような人々...

車に乗る前に、パパ・ペッレリンのところを通った。
パパの古着を着たかかしが腕をひろげて立っている。ローエラはその腕に飛びこんでいきたかった。

ここではかかしでさえ、はるかに生き生きと温かく、ローエラに近い存在に見える。
  
posted by Sachiko at 22:47 | Comment(0) | マリア・グリーペの作品
2021年01月10日

村への遠征

マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。

ローエラたちのめんどうを見てくれるアディナおばさんは、足を折って入院してしまった。

夫のダビードおじさんが代わりに食べものを持ってやって来て、何かいるものはないかと尋ねた。
おじさんは迷惑がっている、ここへも、お義理で来ただけだ....ローエラはさとった。

おじさんが帰って一週間、食料もお金も底をついた。
ローエラを児童ホームに入れようとするアグダ・ブルムクヴィストが留守中に来ないか心配で、家を空けることができない。
でも、とうとう村まで行かなければならなくなった。

村での用事は、犯罪ではないけれど、だれにも目撃されたくない種類の仕事だった。

村の肉屋とパン屋の物置には、傷みかけたものを入れる樽が置いてある。豚の餌にするのだ。
中にはたいして傷んでいないものも放り込んである。

こんなによい品物を捨てるなんてもったいない、村の人はぜいたくだ、とローエラは思う。
パン屋を出たとき、あいにく村の女の子に見つかった。

「あっ、ノミのローエラだ!ジプシー娘!どろぼうネコ!」

女の子が金切声を上げ、通りの家々の窓が開いたときには、ローエラはとっくに姿を消していた。

こうしてローエラと弟たちは細々といのちをつないでいた。
パパ・ペッレリンのポケットにはときどき食べものが入っていたし、腕には一日おきに牛乳ビンがかかっている。

-----------------

・・・がんこで自尊心のつよいローエラだが、この援助だけはよろこんでうけいれていた。
なぜだろうか。おなさけではなくてあたりまえのこととしてあたえられたものだからであり、また、もし立場がぎゃくならきっとローエラもそうしてくれるはずだと、フレドリク=オルソンが考えているのを知っていたからである。

-----------------


だいぶ時間が空いてしまったけれど、「森の少女ローエラ」の続き...
あまり目撃されたくない種類の、ローエラの村での仕事は、村の人々から見れば、あまり目撃したくない光景でもあるだろう。

どこから見るかによって、人も物事も、まるで違った姿で映るものだ。
物語では、自分の力で幼い弟たちに食べさせようとする誇り高いローエラに光が当たっている。

村人たち、アディナおばさん、ダビードおじさん、帰ってこないママ...
ローエラから見たその人たちと、その人たちから見たローエラ。
関係性も、それぞれ違っている。

「おなさけではなくてあたりまえのこととしてあたえられたもの」
この言葉がキラリと光る。

「あの子は、ひとにめぐんでもらうくらいならぬすみをはたらくほうがましだと思う子だ」と、村の人たちはうわさしている。

子どものローエラと、老人のフレドリク=オルソンの関係は、対等なのだ。だから、たとえ立場が逆になったとしても同じように対等だ。

パパ・ペッレリンのポケットで贈りものを交換しあう以外、直接の関わりあいがほとんどないにも関わらず、ふたりには不思議な内的なつながりが感じられる。
たぶん、どこか似た種類の人間なのだ。

そして、冬になったある日、ついにアグダ・ブルムクヴィストがやって来た.....
  
posted by Sachiko at 21:56 | Comment(0) | マリア・グリーペの作品
2021年01月08日

冬らしい冬

二週間ほど真冬日が続いていて、まだもう少し続くという予報が出ている。

年末年始の数日間の気温の低さは、76年ぶりだったとか。
雪は少し少なめだけれど、なまぬるかった昨冬とは違って満足のいく冬になった。

パウダースノーが踏み固められた上を歩くと、靴の下で雪がキュッキュッと音を立てる。
この音がしなければ本物の冬ではない。

アドベントからエピファニーまで、自然界がいちばん暗い時期にクリスマスの光がある。

冬至から2週間以上経ち、独特の聖夜の気分も過ぎて、今はもう陽射しが強くなってきたのがはっきりわかる。
季節は刻々と変化していく。

寒さに弱いので室内に避難させたローズマリーが、季節外れの花をつけていた。

rosemary.jpg
  
posted by Sachiko at 21:55 | Comment(0) | 自然
2021年01月06日

エピファニー --- 1月6日

聖十二夜の旅を終えて、今日はエピファニー。

元のテキストの「TWELVE HOLY NIGHTS ― A Contemplative Guide」には、この日の分の記述もあるのだが、それは著者による「Fifth Gospel a Novel」という本の一部が紹介されているもので、わかりにくい内容なのでここでは省いた。

シュタイナーの「第五福音書(Fifth Gospel)」は日本語版が出ている。
これもシュタイナーの著作の中で最初に読む本ではなく、宇宙進化やキリスト教密儀についてある程度知ってから手にする本だと思うので、これもこれ以上は触れない。


2020〜2021年にかけての十二夜は、時代の変わり目として特に重要だと感じて始めたこの旅は、思った以上にずっしりとした体験になった。

人間は大宇宙の写しであるということをあらためて感じる。
宇宙は叡智に満ちていて、星々や天使たちはそれぞれの持ち場で今も役割を遂行している。

地上の人間社会だけを唯一の現実として見ていると、人間存在を認識することはできない。人間は宇宙に属している。
人間が自分を貶めることは、宇宙を貶めることになる。

アドベントの始まりから5週間以上経って、今日でクリスマスシーズンは終わる。
今年は遥か天空から降り注ぎ続けているものを感じながらのエピファニーとなった。

--------------------

・・・
それは、太陽と月とあらゆる惑星と恒星が、じぶんたちそれぞれのほんとうの名前をつげていることばでした。

そしてそれらの名前こそ、ここの〈時間の花〉のひとつひとつを誕生させ、ふたたび消えさらせるために、星々がなにをやり、どのように力をおよぼし合っているかを知る鍵となっているのです。

これらのことばはすべて、彼女に語りかけられたものなのです!
全世界が、はるかかなたの星々にいたるまで、たったひとつの巨大な顔となって彼女のほうをむき、じっと見つめて話しかけているのです!

 ミヒャエル・エンデ「モモ」より
・・・
   
posted by Sachiko at 06:00 | Comment(2) | クリスマス