2019年10月09日

イボタの実

イボタの木は私が植えたのではなく、家の裏手の隅に最初からあったものだ。熟すと青黒くなる実は、今年はほとんど実らず、小鳥たちの餌にもなりそうもない。

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子どもの頃、向かいの家の角に生えていた。花を摘んで何かの遊びに使ったことがあったかも知れない。
どうということもない木だったが、そのあたりの景色と一体になって、記憶の中で不思議に存在を主張している。

生垣に使われているのを多く見かけたが木の名前はわからず、ずっと後になってイボタだと知った。
初夏には芳香のある小さな房状の白い花が咲く。すこしジャスミンの香りに似ている気もする....

ふだんはめったに見にも行かず気に留めることもない木なので、気がつけば伸びた枝が塀越しに裏の家のほうへはみ出している。

切らなければ...と思いつつ見ると、小さな実が少しばかりついて、葉っぱとともに秋の色になっていた。
  
posted by Sachiko at 22:01 | Comment(0) | 自然
2019年10月07日

ヨドカス

『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。

この本では、アニー・ヘルディングの絵が幾つか紹介されている。ここではトンヘレンの近くのヒースの繁みにいるヨドカスを見ることができる。

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彼女はそのコーボルトに、珍しいモウセンゴケの仲間を見せてくれるように頼んだ。その植物はこの地域では絶滅したと考えられていて、地元の森林官もそう言っていた。
彼女はヨドカスの助けを借りてその植物を見つけることができたのだが.....

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「・・・私たちは狭い道を歩きました。以前何度もモウセンゴケを探した場所でした。私は、先を歩くヨドカスを追い続けました。
コーボルトはとても素早く動きます。歩くときは浮かんでいるようにほとんど地面に触れず、雪の上でも足跡を残しません。

湿地にはヘザーの繁みや背の高いイグサなどが密集して水際が見えにくく、沼に落ちそうでした。
ヨドカスは私をからかっているのでしょうか?どこにも姿が見えず、彼は空気の中に姿を消していました。

どこにもモウセンゴケは見えませんでしたが、私ははっきりと声を聞きました。
「あなたはその上に立っている!」

私は失望し、すこし恥ずかしくなっていて、ほんとうにその植物の上に立っているとは信じられませんでした。
背の高い草をよけてもう一歩踏み出したとき、私が立っていたその場所で、緑の苔のあいだに花咲くモウセンゴケが丸く広がっていました。

これはほんとうにヨドカスが見せてくれたのか、それとも偶然だったのでしょうか。人間は疑うことをやめません。
私はモウセンゴケをひとつ掘り上げ、あとで戻すつもりでそれを証拠として家に持ち帰りました。」

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超自然的な存在の助けで見つけにくい植物を見つける話は、古いおとぎ話のようだ。
冬の森で季節外れのスノードロップを見つける話や、小人たちの助けで、やはり冬の森でいちごを摘む話など。

物語の中でそうした助けを得られるのは純粋な人間だ。
疑いを持たずに自然霊とつながることのできる人々がまだ存在した古い時代に生まれた物語だろうか。

おとぎ話ではなく現実の話では、フィンドホーンを思い起こす。
農業に適さないと言われた北の砂地が、自然霊たちのアドバイスを受けながら、巨大な野菜や輝く花を生み出す楽園に変貌したのだった。

物事が八方塞がりになったときは上が空いていると言われる。
普通の人間が知覚できる範囲の世界が八方塞がりに見えても、別の次元の存在たちと協力することで開かれる道が、まだ残っているのかもしれなかった。
疑うことをやめて、自然霊たちとつながろうとする人間が増えていけば.....
  
posted by Sachiko at 22:31 | Comment(2) | 妖精
2019年10月06日

コーボルト

『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。
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アニー・ヘルディングの本を読んだ後、私は彼女を何度か訪れ、一緒に自然を観察した。彼女は私に自然霊を描いた何十枚もの絵を見せてくれた。

私は、この年配の女性(彼女は80歳以上だった)が明らかに日常的に自然界の背後の事象を見ることができたことに深く驚き、感銘を受けた。

アニー・ヘルディングは、1903年にインドネシア(当時のオランダ東インド)で生まれ、子供の頃から霊視能力を持っていた。
彼女は文章と絵の才能を伸ばし、1950年代から、霊視したことを言葉とイメージで表現するようになった。

そして、長い年月にわたって交流したコーボルトに似た自然霊ヨドカスとの出会いを、文章と水彩画で記録した本を作った。
このコーボルトは、オランダのフェルウェの村、トンヘレンの近くでさまざまな異なる形で彼女の前に現れた。

私たちが持っている小人たちのイメージはあまりにも固定されている。現実にはこうした存在たちは、霊視者の目の前に多くの異なる色と形をもって現れる。

彼女は、自然の精霊は非常に変化に富んでいて、それらを適切に描写することはほとんど不可能だと言った。

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アニー・ヘルディング(オランダ語の発音では“ヘルディング”だと思うのでこの表記にした)の、コーボルトとの交流の話は、以前紹介したウルスラ・ブルクハルトの「カルリク」を思わせる。

普通の人間が、目や耳など、この物質界を知覚するための感覚器官を持って生まれてくるように、霊視者と呼ばれる人々は、物質界とは別の領域を知覚する器官を生まれつき持っているようだ。

普通の人が、例えば同じ1本の木を見たときに同じように知覚するように、霊視者たちが自然霊を同じように知覚してもまったく不思議ではない。
それを描写する場合は、木の描写と同じで、それぞれの感性によって違いが出るだろう。

視覚を持たなかったウルスラ・ブルクハルトはカルリクの姿を塑像として作り、アニー・ヘルディングはスケッチや水彩画で描写した。

ヨドカス(Yodokus、読み方はこれでいいのだろうか...)と呼ばれるコーボルトとの交流におけるエピソードがこのあと続いていくが、これもとても興味深い。
   
posted by Sachiko at 22:16 | Comment(0) | 妖精
2019年10月04日

メープルシロップの話

季節外れの夏日も終わり、この週末からは一気に気温が下がるようで、本格的に紅葉も進むだろう。ようやく本来の秋がやってきた。

「植物と叡智の守り人」(ロビン・ウォール・キマラー著)の中に、伝統的な方法でシュガーメープルの樹液を採取する話が載っている。(樹液の採取は冬の終わりで、これも季節外れの話なのだが...)

大量の樹液を、夜通し煮詰めて煮詰めて、わずかなシロップができる。火が燃えさしになってしまい、朝、ポリタンクの中の樹液が凍っていた。

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・・・私はふと、私たちの祖先がどうやってメープルシュガーを作ったか、以前聞いた話を思い出す。表面の氷は水だけなのだ。
・・・
人々は毎朝氷を取り除き、桶に残った砂糖水はそのたびに濃くなった。濃縮されてから煮詰めれば、ずっと少ないエネルギーで砂糖ができる。
凍りつくような夜の寒さがたくさんの薪の代わりをしたのだ。

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寒さが薪の代わりをする....
このことから、オホーツクの流氷でオンザロックを作る話を思い出した。
海水から真水を取るには、加熱して出た蒸気を冷やして水にするが、表面を凍らせて水だけを取ることもできるわけだ。

ほぼ水だけが凍るといっても100%ではなく、実際には流氷には薄い塩味がついていて、他のミネラル分も抜けきらず、味はまずいらしい...
樹液の上に張る氷も、ほんのわずか甘いのかもしれない。

私はプリンを作るときには、カラメルを使わずメープルシロップをかける。これがいつからか定番になった。
カエデ属の紅葉は美しい。北海道に多く自生するイタヤカエデからも、メープルシロップを採ることができるそうだ。
  
posted by Sachiko at 22:08 | Comment(0) | 季節・行事