2020年06月28日

「オメラスから歩み去る人々」

アーシュラ・K・ル=グウィンの短編「オメラスから歩み去る人々」。
SFに分類されているこれらの作品を、ル=グウィンは、サイコミス(心の神話)と呼んでいる。

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豊かで美しく誰もが幸せなオメラスの都には、ひとつの秘密があった.....

ある建物の地下室の暗闇に、性別不明のひとりの子どもが座っている。生まれつきか、あるいは境遇のせいで知能が退化したのかはわからない。
一日にわずかな食べ物と水が与えられ、裸でやせ細っている。

オメラスの人々の幸福、健康、豊かさ、都の美しさ....すべてがこの子どもの不幸に負っていることは、みんなが知っている。

子どもたちは8歳から12歳のあいだに、このことを大人たちから説明される。彼らはそこで見たものに衝撃を受け、怒りと無力さを感じる。
できるなら助けてやりたいと思うが、もしそうしたら、その瞬間、オメラスの繁栄と美と喜びは滅び去ってしまうのだ。

子どもたちは怒りと悲しみに長いあいだ思い悩むが、やがてこの掟を受け入れ始める。
だが時に、地下室の子どもを見に行った少年少女の中に、家に帰ってこない者がいる。時には大人の中にも、ふいに家を出る者がいる。

彼らは都の外へ出て、ひとりで旅する。そして二度と戻ってこない....

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オメラスの都は....どこかの世界に似ている。
そのからくりを皆知っているが、沈黙し受け入れる(ただ、子どもたちは知らされていないかもしれない)。

簡単便利で快適に見える都市の暮らしはどのように成り立っているのか。何でも豊かに手に入ると錯覚することのできる安価な品々は、どこでどのように作られているのか....
でもアンフェアな搾取のシステムを解体すれば、繁栄の都は滅び去るとしたら...?

この物語が発表されたのは1973年、もう半世紀近く前だが、今この時、とても今日的なものに見える。
物語の締めくくりはこうだ。

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彼らがおもむく土地は、私たちの大半にとって、幸福の都よりもなお想像に難い土地だ。それが存在しないことさえありうる。
しかし、彼らはみずからの行先を心得ているらしいのだ。
彼ら――オメラスから歩み去る人々は。

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持続不可能で不当なシステムが崩れ去ろうとするとき、力強く歩みだし、行先を心得ている人々がいるのはいいことだ。
それならば、新しい地はたしかに存在するだろうから。
  
posted by Sachiko at 22:07 | Comment(2) | SF
2020年04月02日

「お召し」

小松左京の「お召し」という短編がある。ずいぶん昔に読んだので記憶が曖昧になっているけれど、ある日突然、12歳以上の人間が消えてしまった世界の話だったと思う。

世話をしてくれる大人を失ったことを受けとめた子供たちは覚悟を決め、自分たちで知恵を出しあって社会を構築しはじめる。

社会は機能していき、長い時が経って、やがて大人という存在がいたことも忘れられていった。赤ん坊は、どのようにしてか、ふいにこの世界にやってくるのだ。

だが人々は12歳になると、この世界からふっと消えてしまう。このことは「お召し」と呼ばれていた。

機構のトップの立場にある少年(その世界では成年)は、ふと思う。どこかに、自分たちよりも大きく賢い存在がいるような気がする....
それにこの頃高い声が出しにくい、これも「お召し」が近いせいだろうか....


大人たちの次元がどうなったのかは、物語には書かれていないので想像してみるだけだ。
赤ん坊は生まれたとたん姿を消してしまう。そしてある日突然、12歳の賢い少年少女が現われるとしたら....
すでに「お召し」を通過した大人たちは、彼らををどのように迎えるのだろう....


子ども時代が終わるのはいつか、ということでは、ある印象的な体験がある。
6年生の終わり頃だったか、夜中に部屋でこっそりラジオを聴きながら思った。

「小さい時は、おとなはおそくまで起きていられていいなあ...なんて思っていたけど、今こうして夜中にこんなものを聴いていても、たいして素敵なことではないな....」

そう思った時、なんだか子ども時代が去っていくのを見送っているような気がしたのだった。


SFというジャンルはこれまで扱ってこなかったが、私は10代の頃には海外物をけっこう読んでいた。日本の作家では光瀬龍が好きだった。
新しくSFカテゴリを作ってみたけれど、たぶんめったに更新されない気がする....
   
posted by Sachiko at 21:58 | Comment(0) | SF