2020年02月22日

「ルンペルシュティルツヒェン」・2

・・・三日のあいだに自分の名前を言い当てたら、子どもを取らずにおこう、と小人は言った。

お妃は、聞いたことのある名前をすべて思いだし、他の名前があるなら国じゅうを回って聞き出してくるようにと使者を送った。

あくる日小人がやってきたとき、お妃は知っている名前すべてを並べ立てたが、小人はそんな名前ではないと言う。

二日目には、めったにないおかしな名前を並べてみたが、小人はそんな名前ではないと言った。

三日目に使者が戻って来てこう報告した。
「森の中で、小人がひとり、焚火のまわりを飛び跳ねながら

 今日はパン焼き
 明日は酒づくり
 あさってにはお妃の子ども
 うれしいことに誰も知らない
 おれの名がルンペルシュティルツヒェンだということを

と、歌っておりました」

お妃が大喜びしていると、まもなく小人が入ってきた。

「さあ、おれの名前はなんというんだ?」
「ルンペルシュティルツヒェンとでもいうの?」

お妃が名前を言い当てると、小人は腹立ちまぎれにわめき、自分で自分のからだを引き裂いてしまった。

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ヨハネス・W・シュナイダー著「メルヘンの世界観より。

焚火の周りで踊る小人は、名前が事物に力を与えることができるような太古の意識の中にいる。
太古の魔術的文化のように、強い意志のはたらきを通して何の変哲もないものを金に変えることができる。言うなれば意思を思考のはたらきに変える。

メルヒェンに子どもが出てくるとき、それは必ず未来を意味している。
この場合は、お妃が小人の名前を言い当てる(太古の文化の本質を探り出す)ことによって、人間の未来が守られる、ということになる。

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名前を知ることでその相手に対して力を持つという話は、現代作品では「ゲド戦記」を思い出す。
太古には名前が呪術的な力を持っていたと言われる。
現代において多くのことが混乱しているのは、人間が事物の正しい名前や、名前というものの扱い方を忘れてしまったからではないか、という気がする。
人間の未来のためには、太古の力を持つ小人の名前を言い当てることが必要なのだ。

ルンペルシュティルツヒェンという、いかにもドイツ語らしい響きが私は好きだが、以前グリム童話集の中にこの物語を探そうとしたとき、なぜか見つからなかった。
岩波版のグリム童話集は全訳なので、ないはずはない。
しばらく探して「がたがたの竹馬こぞう」という訳になっているのを見つけた.....
  
posted by Sachiko at 22:15 | Comment(2) | メルヒェン
2020年02月21日

「ルンペルシュティルツヒェン」

グリムのメルヒェンの中で「ルンペルシュティルツヒェン」は、ドイツの子どもたちにはなじみ深いお話らしいけれど、発音しにくく聞き慣れない名前だからか、日本ではさほどメジャーではない。


・・貧しい粉ひきに、美しい娘がひとりいた。
この粉ひきが王さまに会ったとき、「娘は藁をつむいで黄金にすることができる」と言ってしまい、王さまは娘を連れてくるように言った。

王さまは娘に部屋いっぱいの藁と紡ぎ車を渡し、明日の朝までに藁を金にできなければ、お前の命はない」と言い渡した。

娘が途方に暮れて泣いていると、小人がひとり入って来た。小人は、娘の首飾りと引き換えに、朝までに藁をすっかり金に紡いだ。

それを見てもっと黄金が欲しくなった王さまは、さらに大きな部屋いっぱいの藁を紡ぐようにと娘に言った。
娘の指輪と引き換えに、小人は藁を金に紡いだ。

三日目、娘はもっと大きな部屋に連れて行かれた。もう小人にあげられるものはない。小人は、娘が王さまのお妃になったら最初の子どもをくれるように言った。娘は約束し、小人は朝までに金を紡いだ。

王さまは娘と結婚し、一年後に子どもが生まれたが、お妃は小人のことなど忘れていた。
そこへ小人が現われ、約束のものをくれるよう要求した。

お妃があまりに嘆き悲しむので、小人は三日だけ待ってやることにした。「そのあいだに自分の名前を言い当てたら、子どもを取らずにおこう」と小人は言った・・・


ヨハネス・W・シュナイダー著「メルヘンの世界観」の中では、このように語られている。

藁とは何か....実を取ったあとの残滓、生命がなくなって形だけがそこにあるものだ。
藁を紡いで金にするというイメージは、形骸化した命のない世界に永遠の生命あるものを与えることを示唆する。

以前「ホレおばさん」のところで、メルヒェンにおける黄金には、世界のはじまりから存在していた古い黄金と、地上での生活を通して新たに紡ぎだされた黄金二種類あるという話を紹介した。

ここでは、娘が持っていた首飾りや指輪が古い黄金で、藁から紡ぎ出されるのが黄金が新しい黄金として描かれている。
人間が未来へと進むためには、すでに持っている過去からの財宝をいったん背後に置いて世界にゆだねる必要があるのだという。


だがメルヒェンを現代的な頭の知性で解釈し理解することは、ともすれば本道からずれてしまう。
藁を紡いで、それを輝く黄金に変える....
このイメージをしばらく内側に響かせてみるとき、そこにある種の体験が浮かび上がってくる気がする。
古い時代の人々は、この内的な体験によってメルヒェンが語ることを直接理解できたのだろう。

お妃は小人の名前を言い当てられたのか.....話は続く。
  
posted by Sachiko at 21:55 | Comment(0) | メルヒェン
2019年03月28日

「ホレおばさん」異譚・4

娘が井戸を通ってホレおばさんの家に着く前に、野原でパン焼き窯とリンゴの木に出会う。

このパンとリンゴについて、「メルヘンの世界観」(ヨハネス・W・シュナイダー著)では、それらは地上生活を通して内面にたくわえられた、人生の実りだと言われている。
しかもそれは、天上界よりもさらに高次の存在たちの糧として差し出される贈りものであるとされる。

地上で働き者だった娘は、かまどからパンを取り出し、木からリンゴを揺すり落として、高次元の糧を用意することができたのだ。

この働き者というのは別に、毎日何時間残業したかというような話ではないだろう。
シュタイナーは「愛を持って為すなら、すべての行為は倫理的である」と言っていて、逆に、仕事をするとき「仕事だからと割り切ってやる」というやり方が一番いけないのだ、とも言っている。

これは以前フィンドホーンの話で触れた、LOVE IN ACTION−「愛を持って為す」ということにもつながる。

地上に実る作物が人間の糧になるように、人間の魂の実りは、天使や高次存在にとっての糧になるのか....

人間が高次の世界に糧をもたらすことができなくなれば、地上もまた荒廃するだろう。
人間の使命は、この世の物質的な活動だけにあるのではなく、高次の世界にも関わっている。

メルヒェンを読むときに感じる独特の気分は、単に「おもしろいおはなし」を読むのとは違っている。
無意識のうちに、はるかな天上の世界から降りてくる響きを魂が捉えるからだろうと思う。
 
posted by Sachiko at 21:15 | Comment(2) | メルヒェン
2019年03月27日

「ホレおばさん」異譚・3

しばらく間が空いてしまったけれど、ホレおばさんの話の続き....

このメルヒェンは人間の運命を表している。地上での生き方によって、次に地上に戻ってくるとき、黄金に覆われるか、コールタール(不運)を浴びるか、という話だった。

コールタールの運命と黄金の運命。完全にどちらか一方だけという人間はいないだろう。
ほとんどの運命は、さまざまな割合で、黄金とコールタールが入り混じっている。

メルヒェンにおける黄金には二種類あるという。
世界のはじまりから存在していた古い黄金と、地上での生活を通して新たに紡ぎだされた黄金と。ホレおばさんの黄金は、新しい黄金だ。

大きな輪で見るなら、運命は公正なのだ。
外面的に一見不公平に見えようと、宇宙的な秩序の元に運命は作られている。

カルマに良い悪いはなく、運命は命を運ぶと書くので、ほんとうの意味では悪いようにはしない、という話を聞いたことがある。
ではコールタールを黄金に変える方法はあるのだろうか。

ここでまたもうひとつ別のおとぎ話を思い出す。
「美女と野獣」で、美女が野獣をそのままの姿で愛したとき、魔法が解けて、野獣は王子に変わる。

張り付いたコールタールの運命を、これでよかった、と受け入れ愛したときに、変容が起こる気がするのだ。
 
posted by Sachiko at 22:21 | Comment(2) | メルヒェン
2019年02月24日

「ネズの木」または「柏槇(ビャクシン)の話」

岩波文庫版では「柏槇(ビャクシン)の話」と訳されている。
この世的に読むと、怖いと言われるグリム童話の中でも特に怖い(>_<;)
なので、あえて解説を参照してみる。
まずはあらすじを...
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昔、長いこと子どもをほしがっている夫婦がいました。
ある冬、妻がビャクシンの木の下でりんごを剥いているときに指を切って、血が雪の上に落ちました。

「血のように赤い、雪のように白い子どもが一人あったら、どんなにうれしいことでしょうねえ」

やがて妻は、雪のように白く血のように赤い男の子を産んだあと、死んでしまいました。夫は妻をビャクシンの木の下に葬ってしばらく泣きましたが、やがて新しい妻を娶り、女の子が生まれました。
妻は男の子に、それはつらくあたるようになりました。

ある日妻は、男の子にりんごをあげると言って箱の蓋をあけ、男の子が身を屈めたとたんに蓋を閉めたので、男の子の首はりんごの中に落ちました。

妻は自分のせいではないことにするために、首を男の子の体の上にのせ、椅子に座らせて手にりんごを持たせると、娘のマリアに、兄の耳をぶつように言いました。
マリアが耳をぶつと、男の子の頭が転げ落ちました。

母親はマリアに「黙っているんだよ。もう取り返しがつかないんだから、兄ちゃんをスープにしよう」と言って、男の子のからだを刻むと、煮込んでスープにしました。
やがて帰ってきた父親には、息子は田舎の大伯父のところへ行ったと嘘をつきましたが、マリアはずっと泣いていました。

父親は「このごちそうはどうしてこんなにおいしいのかな、もっとくれ」と、骨はぜんぶ下へ捨てて、すっかり食べてしまいました。

マリアは骨を絹の布に包んでビャクシンの木の下に置くと、木の中から美しい鳥が飛び出し、歌いながらどこかへ飛んでいきました。骨はもうありませんでした。

鳥は、飾り職人の家の屋根で歌って、金の鎖をもらい、靴屋の屋根で歌って靴をもらい、粉ひき場のそばで歌って石臼をもらいました。
それから家のほうに行き、ビャクシンの木に止まって歌いました。

 おかあさんが、ぼくをころした
 おとうさんが、ぼくをたべた
 いもうとのマリアが
 ぼくのほねをみんなさがして
 きぬのきれにつつんで
 ビャクシンの木の下においた
 キーウィット、キーウィット、なんときれいな鳥だろ、ぼくは

お父さんが外へ出て鳥をながめると、鳥は金鎖をお父さんの首に落としました。マリアが外に出ると、鳥は靴を落としました。
お母さんが外に出ると、鳥は石臼を投げ落としたので、お母さんはつぶされてしまいました。

その場所から靄や火が立ちのぼり、消えたと思うと、そこに男の子が立っていました。三人は大喜びで家に入ると、食卓にすわってごはんを食べました。

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なんともシュール....
でも、白い雪の上に落ちた赤い血、そのような子どもがほしい、というところなど「白雪姫」を思い起こさせる、やはりこれはメルヒェンなのだ。

首を切り落とすということには、古い秘儀では、頭による知覚や知性を排除するという意味があるという。すると人間は、心で考え始める。

頭の知性による文化を発達させる時代は、やがて行き詰る。
頭を切り落とすという犠牲ののち、感情や胸による思考が、未来につながっていく....
これもまた、未来を予見するようなメルヒェンに見える。

首をはねるというメルヒェンは他にも幾つかある。
シュナイダーは、大人が子どもに話して聞かせるときに実際に首をはねるところを想像してしまうと残酷なことになるが、そのメルヒェンの意味を理解したうえで静かに語るなら、子どもはその雰囲気から受け止めることができるという。

子どもに話して聞かせるメルヒェンとして、この「ネズの木」を選ぶことは、あまりないかもしれないが.....
 
posted by Sachiko at 21:53 | Comment(2) | メルヒェン