2020年09月12日

勝手に作るスピンオフ

大人というものは、どうしようもない....
子どもたちのぼやきで、「グリーン・ノウの川」は終わっている。

「グリーン・ノウの川」には、家主のオールドノウ夫人も、ひ孫のトーリーも、この家に“属している”過去の子どもたちも登場しない。

物語の舞台は主に川で、グリーン・ノウ屋敷そのものが持つ不思議さも、あまり前面には出てこない。
言わばこの物語自身が、シリーズの中のスピンオフのようなものだ。


ほんものの田園の物語には、想像の余地がある。
ルーシー・M・ボストンの別の短編『リビイが見た木の妖精』の中で、グリーン・ノウそっくりの家---これも明らかに作者のマナーハウスがモデルなのだ---に住む画家のジューリアさんがこう言っている。

「ほんものの田園では、どんな不思議なことだって、自由に想像できるわ。それが田園のすばらしさよ。」


それならば勝手に更なるスピンオフを想像してみよう。
毎度のことながら、グリーン・ノウ物語からは去りがたい。

このあと、アイダは家に、オスカーとピンは難民児童収容所に帰ったはずだ。
その後オスカーはカナダの家族にもらわれて行ったのだという。
祖国ハンガリーどころか、ヨーロッパからさえも離れることになったオスカー。

いつか大人になったとき、グリーン・ノウを訪ねたいと思うかもしれない。あれほどすばらしい夏休みはなかっただろうから。

オールドノウ夫人は作者自身がモデルだと言われている。
けれど第1巻が刊行された時、ルーシー・M・ボストンは62歳で、まだひ孫がいるような齢ではないので、オールドノウ夫人は本人よりもかなり上の年齢に設定してあるようだ。

それでも作者同様長生きだったとしたら、20歳になったオスカーがグリーン・ノウを訪ねたとしても、オールドノウ夫人はまだ健在だろう。
夫人もトーリーも、きっと喜んで彼を迎えるだろう。

第4巻「グリーン・ノウのお客さま」には、このように書かれている。

この子たち、アイダやオスカーやピンは、去年グリーン・ノウに遊びにきた。・・・この家があの子たちの心をとらえ、今またあの子たちをここにつれもどそうとしているのだ。

4巻の終わりでオールドノウ夫人は、残りの夏休み、アイダがグリーン・ノウに来られるように取り計らっている。でも、これではひとり足りない。
グリーン・ノウがもう一度、三人をここへ呼び戻そうとしたとしても不思議ではない。
グリーン・ノウが建っている場所は、ほんものの田園なのだ。
   
posted by Sachiko at 22:05 | Comment(0) | ルーシー・M・ボストン
2020年09月10日

道化テラック

グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。

夏休みの終わりが近づいたある日、ミス・シビラの荷物を持って村のバス停まで送ったピンは、すっかり興奮して帰ってきた。

ピンは村の店で、『新人大スター 巨人テラック出演』と書かれたサーカスのポスターを見たのだ。サーカスは今夜始まる。
ピンは店で荷下ろしの手伝いをしてお金を少しもらっていた。

「・・・店の人たち、人手がたりないんだって。ぼくたち三人が行って手伝えば、ビギン博士をお礼にサーカスへ招待するくらいのお金ができるんじゃない?」


サーカスのショーが始まり、さまざまな出し物を見ても、子どもたちはテラックを待ちかねていらいらしていた。
ついにテラックが登場したが、博士は他の出し物のとき以上の興味を示してはいなかった.....

道化になったテラックの演技はすばらしかった。観客は興奮して大喜びだった。三人は博士にきいた。

「あの巨人をどう思った?あれが証拠になるでしょ、ね?もうだれも、おばさんのあの歯がほんものでないなんて言えませんよ、ね?」

だがビギン博士の答えはこうだった。

「かれはとてもおもしろかった。とてもすばらしいこしらえものだったわ。」

びっくりした子どもたちがどんなに彼はほんものだと主張しても、博士は作りものだと言い張って取りあわなかった。

「だけど、おばさんは巨人を信じてたんでしょ?」

「たしかに巨人がいたことを信じてます。そう、二千年前にね。
今はもうぜんぜんいないのよ。」

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「ピン、がっかりしたわ。おとなにはなんにもしてあげられないのよ。おとなってどうしようもないものなのよ。」

ピンはため息をついた。
「ぼくにはわからないな。それが世界じゅうでいちばんほしいもので、しかもそれが目の前にあるっていうのに、なぜ見ようとしないのかしら。」

オスカーはもったいぶって言った。
「おとなってものは、しょっちゅうそうなんだ。“いま”あるものはきらいなんだ。ほんとうに興味ぶかいものがあるとしたら、それは“むかし”のものでなくちゃならないんだよ。」

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こうして本物の巨人テラックの姿は、見ようとしない博士の目には見えなかった。

モード・ビギン博士にとって、巨人がいた痕跡は過去の地層から出てくるべきで、今目の前にいてはならなかったのだ。
あの発掘委員会の人々にとって、巨人の歯が認めがたいものだったのと同じように....

三人の子どもたちのぼやきで、物語は終わっている。
でもこの夏休みがすばらしかったことに変わりはない。
この章の始まりにはこう書かれている。

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夏休みが毎日こんな冒険の連続になろうとは、だれだって予期していない。アイダとオスカーとピンは、することがなくなったり、退屈したりすることは、まったくなかった。

あたりまえの楽しみならたくさんあり、まったく同じということはないとしても、なんどかくり返すことができる。

だがほんとうの冒険というものは、けっして二度とくり返すことができない。そういう冒険を子どもたちはしたのだった。

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これで、普通のレジャーとほんとうの冒険とが、天と地ほど違うものであることがわかる。
グリーン・ノウでの夏休みは、子どもたちの中で生涯輝き続けるだろう。

川の冒険でなくても、生涯輝き続けるような何かを自分自身の内に見出すことができるなら幸せだ。

ところで最後に測ったとき、アイダの身長は2センチほど伸びていた。
アビシニア種パラドゥルラの効果かどうかは定かではない。
   
posted by Sachiko at 21:29 | Comment(0) | ルーシー・M・ボストン
2020年09月04日

月の魔法・2

グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。

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太陽がかがやいているときには、みんなまぶしがって、それから目をそらせる。だが月は、見るひとの目も心も空のてっぺんに引きよせる。

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グリーン・ノウは、いつもとは全く違う姿、まるで柳細工のかごのように見えた。
ピンが言った。

「へんだと思わない?月の光が、まるで家ぜんたいをすきとおっているみたいだ。」

「あれはイグサでできてるんだよ。」とオスカーは、まるでそれが当然のことのように言った。
月の催眠術にかかってしまった子どもたちは、異様なものに気づいた。

それは枝角を生やした雄鹿の頭を持ち、足は人間の素足だった。
鹿の角をつけ槍を持ち、牙や角や歯のじゅずを首からぶら下げた奇妙な狩人たちは、月に向かって、恐ろしい身ぶりで儀式の踊りを始めた。

子どもたちは、儀式を終えた狩人たちが襲いかかってくるように感じたが、彼らは傍を通り過ぎて川に向かい、カヌーで遠ざかっていった。


すべてが過ぎ去ったが、子どもたちは、どこへ行けばよかったのだろう。
オスカーが言った。

「・・・ぼく川には行きたくないな、もうたくさんだもの。ぼくたち、もうほんとうに難民になっちゃったんだ。」

三人は、よそよそしい“編んだ家”に向かった。
そのとき、雲に隠れていた月が現れ、美しい光の下でグリーン・ノウがふたたび穏やかな姿を現した。

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子どもたちはうれしくなり、ほっとして息をついた。そして、目に見えるものをしっかりと見すえ、ふたたびどこかへ見失ってしまわないように、だいじに心に暖めながら、ゆっくりと家のほうへ歩いた。

その夜、三人は同じベッドで眠った。なぜって、オスカーも言ったとおり、「もうたくさん」なほどのことをかれらは経験したのだった。

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朝食の時、思いがけずミス・シビラが話に加わり、さらに月の詩まで朗読した。

 清らかな、美しき、狩りの女王よ
 すでにはや、太陽は眠りにつけり―
 きみはいま白銀の玉座につきて
 目もあやに輝かせ、安らけき世を

「ゆうべはとてもロマンチックだったのよ。・・・とってもしぜんな気もちになったの。芝生でダンスをしたくなりましたよ。」

子どもたちはおどろきでいっぱいの目でシビラ・バンとそのビーズの首かざりを見つめていた。


真夜中の月の魔法にかかり、守ってくれるグリーン・ノウさえ失ってしまったように見えたときも、彼らはひとりぼっちにはならず三人いっしょにいられた。

ここではイグサも、楽しい昼間、静かな池のまわりで揺れていたイグサとはまるで違っていた。

グリーン・ノウはとても古い家で、多くの不思議が満ちている。
それよりもはるかに古い時代、ここで何があったのかは誰も知らない。

グリーン・ノウでは時々時間が交錯する。満月の夜、子どもたちはそんな時間を拾ったのか、それもあの古い羊皮紙の手紙といっしょに長い年月封じ込められていたものを開けてしまったからかもしれなかった。

そして、ミス・シビラが見せた思いがけない不思議さ。
明るく楽しいばかりではない深さ不思議さが、この物語の醍醐味でもある。
子どもは、深淵からそう遠い存在ではない。
  
posted by Sachiko at 22:12 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン
2020年09月02日

月の魔法

グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。

オスカーがイグサの繁みの中で見つけた緑色のビンには、羊皮紙の手紙が入っていた。
手紙の最初には、「月の女王の島」と題した、家のシルエットと満月の絵が描かれていた。

「これは、1647年、ペニー・ソーキ―のピアース・マドレー牧師が書きしるす告白であります・・・」

本文はこのように始まっている。
どうやらピアース・マドレー牧師は信じがたい経験をして、誰にも打ちあけることができない思いを手紙に書いてビンに収めたのだ。

「・・・洪水がこの告白を遠くまで運び、時がたって、幸いそれを信じてくださるかたの手にはいるようにと、願っています。」

そうして、手紙は子供たちの手に入った。
三人は満月の夜、何が起こったのかを探ることにした。

グリーン・ノウの近くで恐ろしいことが起こるなんて想像できないと、アイダが言った。

オスカーは言った。

「グリーン・ノウだって世界のはじめからここに建っていたわけじゃない。・・・この家より古くからあったものじゃないかな。なにかとても古くて、わけがわからないようなものなんだ」

月は真夜中に家の上にくるはずだった。

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子どもたちはすっかり月の魔法にかかり、その大むかしからの自然のままの光のなかで起こることは、すべてが正しい調和をもっているように感じていた。
・・・
ふいにアイダが叫んだ。
「わかったわ!グリーン・ノウだって島の上にあるじゃない!あれはここで起こったのよ。」

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月が見せるものは、太陽の下で見るものとはまるで違っている。
これまで子どもたちは、もう夜の力が薄れていく夜明け前や、太陽の光のもとで冒険を楽しんでいた。
出会ったものたちも、奇妙ではあったが恐ろしくはなかった。

だがここに来て、まったく異質なもの、得体のしれない太古の影の中に踏み込んでしまったように見える。
月の光は美しいのか恐ろしいのか、月にはいくつもの顔がある。

ピアース・マドレー牧師の名前は、この後の第5巻「グリーン・ノウの魔女」でも登場するが、それはまた別の機会に。

折しも今日は満月、グリーン・ノウの月の魔法もまだ続く。
  
posted by Sachiko at 21:41 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン
2020年08月31日

委員会は大騒ぎ

グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。

子どもたちがグリーン・ノウに戻ると、発掘委員会は大騒ぎになっていた。
怒鳴り声、テーブルを叩く音、書類の束を投げつける人....

「抗議します!」
「けしからん!」
「権威を傷つけるものだ!」
「なまいきなつくりごとだ!」

誰かが「モード・ビギン博士はぺてん師だ!」とどなり、モード・ビギンも、「あなたこそばかなおいぼれじじいよ!」と答えて腰を下ろした。

窓から見ていた子どもたちは拍手喝采し、委員会の人たちは子どもたちに気づいて、ようやく騒ぎは静まった。

委員会の人たちにとって博士の『巨人の歯』は、現実にあってはならない、認めがたいものだったのだ。

「これが証拠よ!これは巨人の歯です!わたしたちがいましなければならないのは、これが出てきたじゃりの土地をみつけ、時代をはっきりさせることだけです」

ビギン博士はそう言ったが、相手にされなかった。
お客たちはミス・シビラにおいしい料理のお礼をのべながら帰っていった。


静かな池での、子どもたちのすばらしい時間とは対照的に、大人たちの滑稽な大騒ぎは、まるで次元が急降下したように見える。
波立つ水面は何も映さない。誰もかれもが自分の姿すら見えなくなっているようだった。

グリーン・ノウではよく変わった出来事が起こるが、委員会の騒ぎはそれとは違って、この屋敷にそぐわなかった。
もっともこの大騒ぎの原因は、子どもたちがテラックからもらった歯だったのだが....

そしてビギン博士が委員たちに対して言った、見ようとしない者ほど見えない者はいない、という言葉は、後に博士自身に返ってくることになる。
  
posted by Sachiko at 22:16 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン