2020年08月03日

飛ぶ馬の島

グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。

朝食前にたっぷり探検をした子どもたちは、暑い昼間、土手で眠り込んだ。午後には、休みで遊びに来た人々が川に群がり、モーターボートも走り回っていた。

グリーン・ノウでは、その人に応じた出来事が起こる。
川で起こる不思議なことは、この三人の子どもたちにだけ明かされる秘密のようだ。

アイダはピンとオスカーに、今日は昼間たっぷり眠ったので、一晩中外に出てみることを提案した。

「家の向かい側の大きな島で、一晩すごしましょうよ。」

島には「上陸禁止」の立て札がたくさん立っていたらしいが、彼らはそんなことは気にしなかった。


禁止立て札を無視したり夜中に抜け出して遊びに行ったり、今どきの頭の固い大人たちは、この物語自体にクレームをつけるかもしれないとふと思ったが、そういう人々がこの物語を読むことはないだろう。

グリーン・ノウの川が、騒がしく夏の遊びに興じる人々にとってはごく普通の川で、その静かな魔法のはたらきをけっして見ることはないように。


おやつの時間、子どもたちは夜に備えて、ビスケットや菓子パンをポケットにすべりこませた。
そして夜中にそっと家を抜け出し、島の土手にすわって耳を澄ませた。何かが近づいてくる足音がした....

「馬よ!何百ぴきも!」

子どもたちは馬のほうへ進んで行ったが、どうしても近づくことができなかった。

「そのうち、水を飲みにくると思うよ。魔法の言葉でもあればいいんだけどな。」オスカーが言った。

「だまって!ぼくはいま、川の音に耳をすまして、魔法をかけてるんだ」ピンが言った。

アイダははっとして息をのんだ。・・・馬の背の上でなにかがばたばた動き、一瞬、空の一部を見えなくしたのだ・・・

「ピン!なんの魔法をかけたの?馬に羽が生えてるわ。」

「ぼくは川に、魔法のことばを与えてくださいってたのんだんだ。そしたら川は、なんどもなんども答えてくれた。
それはぼくの名前なんだ。HSUなんだ。ああ、HSU。HSU。」


HSU(スー)というのは、ピンの本名だ。
英語では発音しにくいため、ピンというニックネームで呼ばれることになった。
今はもう彼をほんとうの名前で呼ぶ人はいない。彼自身の他には。

このあと、馬の群れは子どもたちを仲間にしてくれた。
闇が薄らぎ、馬たちが飛び立っていったあと、彼らは家に帰ってベッドに入り、いつもの朝食の時間に目をさました。

子どもたちは大きな紙に、これまで探検した場所を書き込んでいたのだが、ピンはそこに中国の文字でこう書いた。

「飛馬島」

川が与えた魔法の言葉がピンのほんとうの名前だったように、文字もまた、彼のほんとうの言葉で書かれる必要があったのだ。
   
posted by Sachiko at 22:37 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン
2020年07月30日

難民と世捨て人

グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。

グリーン・ノウの川はけっこう大きな川なのか、幾つもの島があり、支流がある。ある朝子どもたちはカヌーに乗って、家の裏側にある川を漕いでいった。

人目につかず、草が生い茂り、倒木が川をせき止めている場所を超えてカヌーを進めた先で・・・
腰に粗布を巻いただけのやせた男が釣りをしていた。
この世でたったひとりで生きている人間の、不思議な表情を浮かべて。

「魔法使いだよ。」ピンがそっと言った。
「あの人、逃げてきた難民だよ。」オスカーが言った。

オスカーはたびたび難民という言葉を口にした。
1羽だけはぐれてしまった白鳥のヒナを、難民ひな鳥と呼んだ。
そしてこの場所に来る前、ツタに覆われた廃屋を見つけて、アイダが悪魔の隠れ家だと言ったときもオスカーは、「悪魔の難民だね」と、夢でも見ているような声で言った。

子どもが難民になるというのがどういうことかは想像を超える。
彼らは家族を失い、外国にいて、母国語ではない言葉を話している。

ピンがあいさつすると、男は振り返った。
「どなただな?」
「ぼくたちも難民なんです。」オスカーが言った。

アイダが差し出したキャンデーを味わうと、彼は少しずつ過去を思い出し始めたようだ。
「・・・朝めしにはベーコン・エッグ!あったっけ、ベーコンってのが!」

男の気持ちがわかった難民のオスカーとは違い、アイダは途方に暮れてこんなことをきいた。
「ベーコンを、切らしてたんですか?」

「・・おじさん、食べものを十分食べてないんじゃない?お店でベーコンを売ってないんですか?」
「店だって?」男は軽蔑したように言った。

「お金を持ってないの?」
「持ってないし、ほしくもないさ。わしがここに来たのは、お金の話にあきあきしたからだよ。
だれもかもが、それを手に入れるために生涯はたらきつづけ、だれもかもが、くる日もくる日も、しょっちゅう、それがたりないと言っている・・・」

彼は、元はロンドンのバス運転手だったと言った。
人間というものがいやになり、ある日、ここに来たのだという。

子どもたちは木の上の小屋に案内された。
小屋には蓄えた木の実や草の実、川で拾ったという生活道具があり、きれいに整えられて、片隅にはバス運転手用の服がぶら下がっていた。
彼は誰にも気づかれずにここにいる。

「ぼくたち、けっしてだれにも言いやしないよ。ぼくたちも難民なんだもの。」オスカーが言った。

ふいに男は、子どもたちがカヌーの跡を残したかどうかを気にしはじめた。誰かが気づいてここに来ては困るのだ。

「さあ、行きな。もうここへくるんじゃないぞ。
・・・わしはきみたちの夢を見た。きみたちはわしの夢を見た、な?」

黙ってカヌーを漕いでそこを去った子どもたちだったが、去る前にアイダはブリキ缶にキャンデーを入れ、ピンは枕の下にナイフを置き、オスカーは運転手の服のポケットに釣り糸を入れてきたことがわかり、みんなは幾らか気がらくになった。

家に帰るとミス・シビラがすばらしい朝食を用意してくれていた。
つまり、悪魔が棲んでいそうな廃屋の冒険も、世捨て人に会ったのも、朝食前の出来事だったのだ....

子どもの時間と空間は、大人のそれとは違っている。特に夏休みには。
好んで隠遁生活に入った川の世捨て人は、難民だろうか。
ふつうの人々のふつうの時間から抜け出さざるを得なくなったのだから、ある意味難民かもしれない。

時計もカレンダーも持たない彼の時間は、どこか子どもの時間に似ているようで、やはり全く違う。

「みんなでまた、あの人に何かおいしい食べものを持っていってあげたいわ」とアイダは言った。
アイダは難民ではない幸せな子どもだということも浮かび上がってくる。
  
posted by Sachiko at 21:49 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン
2020年07月22日

探検のはじまり

グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。

うたう魚かもしれないとみんなが耳を澄ました口笛のような音は、白鳥のヒナたちだった。

別の家族に迷い込んでしまった1羽のひな鳥を助けて元の家族に返したり、川に潜って水門の鍵を見つけたり、アーサー王がかぶるようなヘルメットを拾ったり、盛りだくさんの探検のもうひとりの主人公は、この川そのものだ。

三人の子どもたちによって次々と明らかにされていく川の魅力に、このあたりの住人たちは気づいていないだろう。

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子どもたちは、けっしておしゃべり三人組ではなかった。
アイダとオスカーは、ほとんどひとめ見ただけで親友になった。そしてふたりともピンを愛した。
(ちなみに、アイダとオスカーは11歳、ピンは9歳)

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女主人が彼らに命じた規則らしいものは、食事に遅れないことだけだった。
ミス・シビラはたくさんの料理を作って、子どもたちがそれを次々と平らげるところを見るのを無上の楽しみにしている。

時間など気にしないオスカーやアイダに、食事時間を守らせるのはピンだった。
けれどピンは少食なために、ついにミス・シビラのお気に入りになることができなかった。


子どもの頃の長い一日、朝早くから遊べる夏休みの一日は、特に長かった。
大人の目には取るに足らないものに見える宝物、あるいは大人になると見えなくなるあれこれ。
一瞬限りでとっておくことのできない音や色や香りや手触り。

それらを余すところなく味わう三人の子どもたちは、グリーン・ノウにふさわしかった。
彼らをここに呼び集めたのは、グリーン・ノウそのものだったように思える。

この夏、グリーン・ノウの川は、子どもたちにゆったりと寄り添いながらその秘密を明かしていく。
  
posted by Sachiko at 21:45 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン
2020年07月18日

うたう魚

グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。

川は大雨が降るとすぐに氾濫するので、このあたりの川沿いには家や工場が建っていない。
グリーン・ノウ屋敷は、洪水を避けられるほどの高さがある島にあるのだ。

三人の子どもたちは、屋根裏部屋の窓から身を乗り出して川を眺めた。
川にはたくさんの島があり、上流には水門がある。三人は何一つ見落とすまいと、窓から窓へと駆け回る。

アイダは、川や雲や地面がピンの目の中に小さく映っているのを見る。
ピンは言った。

「・・・地面は、何キロも何キロもひろがって、あちこちに、森や、イグサや、滝や、水車が見え、夜鳴き鳥がおり、鐘があり、歌をうたう魚がいる。」

「すてきだわ、そういうの・・・ピン、うたう魚がいるっていうの、ほんとうなの?それとも、ただ、そう考えているだけ?」

するとオスカーが言った。

「おとうさんがよく言ってたけど、この世の中でほんとうのものはただ人間の考えだけなんだって。どんなものでも、だれかがそれを考えなかったら、ぜんぜんないのと同じなんだ。考えというものは、鉄砲でも撃ち殺せないものだ、ってね。

おとうさんはそう言ったために、ロシア人に撃ち殺されてしまった。でもおとうさんのその考えは、撃ち殺されていないんだ。だって今、ぼくがその考えをうけついで、考えてるんだもの。
だから、ピンがうたう魚がいるというのなら、なんとかしてきいてみようよ。そう思わない?」


わずかな間に、三人はすでに深い友情で結びついたように見える。これもグリーン・ノウの魔法かもしれなかった。

鳥が歌うのなら、魚も歌うことはないだろうか、魚独特のやり方で。
そういえば、水の精は歌う。セイレーンとかローレライとか。そして水の精は魚の姿をとることができる....


翌朝、朝食をすませた三人は、庭のはずれのボート小屋で見つけたカヌーで川に漕ぎ出す。
彼らは川のどんなものも見逃しはしなかった。

アイダが、目を閉じて聞こえる音全部を言ってみることを提案した。
水の音、生きものがたてる音、草木が擦れる音、泡の音、ありとあらゆる音、音...

「ねえ・・いまきこえる音、うたう魚かもしれないわよ。」

五感を全開にして、子どもたちは川を味わう。
だれでも、注意深く感覚を研ぎ澄まして自らの器を差し出した分だけ、世界は繊細で多様で美しい姿を見せてくれる。

最初の朝の川遊びがすでにこんなに豊かなのだから、このあと、どれほどの冒険が待っていることか....
  
posted by Sachiko at 22:01 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン
2020年07月16日

「グリーン・ノウの川」ふたたび

以前少しだけ紹介した、ルーシー・M・ボストンの「グリーン・ノウの川」。
このすばらしい夏休みの物語をほんのサワリだけで通り過ぎてしまうのはもったいない、もう少し深入りしてみたくなった。

事の起こりをおさらいすると、ある夏、オールドノウ夫人が旅に出ているあいだ、モード・ビギン博士は本を書くために、ミス・シビラ・バンとともにグリーン・ノウ屋敷を借りていた。

そしてビギン博士はあることを思いついた。

「難民児童夏期休暇援助会に手紙を書いて、子どもたちを呼んでやりましょう。」

驚き心配するミス・シビラに、博士は言う。

「・・川があるでしょう。それにこの家だってあるし。この家がすばらしい遊び場だってこと、見ただけではちょっと信じられないですけどね。」

ビギン博士はこの家の魅力がわかる人だった。そうでなければオールドノウ夫人は留守宅を任せはしなかっただろうが。

こうして、ハンガリー難民のオスカーと中国人難民のピン、博士の姪の娘アイダがグリーン・ノウにやって来たのだった。
アイダはここに来る道中に、すでにこのグループのリーダーとしての地位を築いたようだった。

ビギン博士は、子どもたちに大きな屋根裏部屋を与えたあとは、もう口出しはしなかった。

その部屋はピンの目には仏教の道場に見え、オスカーには十字軍のお城に見えた。
やってくる人それぞれに合った仕方でお客を迎えるというグリーン・ノウ屋敷の魔法がすでに働いていた。

窓からは美しい川が見える。この川がこれから始まる物語の舞台になるのだ。
宿題や登校日などというものはなく、大人の目も光っていない、ほんものの夏休み!

「グリーン・ノウの川」は、作者67歳の1959年に出版された。
ピンやオスカーが難民になってしまったように、あの時代も世界は混乱していた。

でもルーシー・M・ボストンの精神は若く自由でみずみずしかった。
自由は、人間存在の核心だ。
「あんまり自由すぎてもダメ...」などという人は、自由の意味を知らない。

グリーン・ノウで夏休みを過ごす子どもたちの冒険は、彼らがやがて獲得するだろう真の自由へと後押ししてくれる、かけがえのない体験になるはずだ。
  
posted by Sachiko at 22:34 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン