2020年05月12日

エゾスズランの謎

森ですずらんを摘んだとき、従姉から「こっちのはエゾスズランだよ」と教わった花があった。

すずらんより大きく、一つの茎にたくさんの花が連なり、細長い花の先がすずらんのように小さく反り返っていて、葉っぱも似ていた。

そのことを思いだしてエゾスズランを調べてみたら、出てきたのは私の記憶の中のエゾスズランとは全く似ていない花だった。そもそもスズランにさえ似ていないじゃないか。

ezosuzuran.jpg

違う、これじゃない....
では、エゾスズランだと教わったあれは何だったのか...?

いろいろ探して、似ていると思ったのはオオアマドコロだった。
エゾスズランはラン科だが、オオアマドコロはスズランと同じユリ科で、花の季節もほぼ同じだ。

オオアマドコロはアイヌ語ではエトロラッキプと言って、薬用にも使われたそうだ。

amadokoro.jpg

同じくユリ科のヒメイズイも似ている。記憶ではラグビーボールのような形の花だったと思うので、花はこちらのほうが似ている気がする。

himeizui.jpg

でもどちらも、これだ!とは言い切れない。子どもの頃見ただけなので記憶があいまいになっている。
結局あの時のエゾスズランの正体は謎のままだ。

すずらんを摘んだ森はまだあるだろうか。
観光地からは遠く、開発が進んだ土地でもないので、ひっそりと残っているかもしれない。

大抵は小さくて地味な山野草は、森の中で人の手による世話も必要としない。
ただ自然の精たちとともにあり、静かに澄んだ“気”が、すっと立ち昇っているように見える。
   
posted by Sachiko at 22:11 | Comment(2) | 北海道
2020年05月09日

5月のちいさな鈴

すずらんのドイツ名は Maiglöckchen(5月の小さな鈴)という。何とも可愛らしい名前だ。

一般に花屋さんで売られているのはドイツスズランで、野生のものより少し大きい。庭の片隅に植えていたものはいつの間にか消えてしまったけれど...

小さな白い花は他の花とも調和しそうに見えるが、意外に庭の中で浮いてしまう、小さいながら個性の強い花だ。
たしかに、あまり花に詳しくない人でもすずらんはすぐわかると思う。

子どもの頃、田舎の親戚を訪ねたとき、近くの森ですずらんをたくさん摘んだことがある。

すずらんには全草にかなり強い毒性があることを知ったのはずっと後のことだ。葉っぱがギョウジャニンニクの葉に似ているので、間違って食べて中毒を起こしたという話がたまにニュースになる。

子どもがすずらんを触った手を口に入れたり、花粉が口に入っても危険らしい。
当時私がすずらんの花束に頬を寄せている写真が残っている。
親戚も毒のことは知らなかったのだろう。よく無事だったものだ....

その毒性のため、すずらんの群生地で眠るとそのまま死んでしまうという話を聞いたことがあるが、これは確かな話なのかどうかわからない。
北海道の各地にあった自然の群生地は、他の山野草同様、乱獲のせいでほとんど姿を消してしまった。

メンデルスゾーンの「すずらんと小さな花( Maiglöckchen und die Blümelein)」という歌曲がある。これも好きな歌だ。


  
posted by Sachiko at 22:22 | Comment(2) | 北海道
2020年05月03日

ギョウジャニンニク

家の裏に植えてあるギョウジャニンニクが大きくなってきた。

gyouja.jpg

本州では高山にしか生えていないらしい、北海道の春の山菜の代表格だ。
卵とじや辛味噌炒めなど、ごま油を使って調理するとおいしい。

近年は大きさの揃ったハウス栽培物が春先からスーパーで売られているが、栽培したものはどこか風味が弱い。

我が家のものも、植えっぱなしでもちろん肥料もやっていないのに、野生の味にはならない。
足りないのは、やはり力強い山野の精霊たちのはたらきだろうか。

かつては多くの人が山へ採りに行き、それぞれ秘密の場所を知っていたりした。以前、そんな場所のひとつを教えてもらって採ってきたこともある。

でも近年は乱獲のせいで野生のものはとても少なくなってしまったらしい。根を残しておけば翌年も生えるのに、根こそぎ持って行ってしまう輩が後を絶たなかったのだ。

家に植えてあるものは、実は数年前に知人が苗(?)をくれたのだが、持ってきたときの状態から見て、たぶんどこかの山中で根こそぎ採ってきたものかと推測する...(>_<)

アイヌ語ではプクサ、またはキトピロとかヒトビロなどと呼ばれ、傷や炎症の薬としても使われていたという。
自然界では稀少種になりつつある春の味、よく味わって食すことにしよう....
   
posted by Sachiko at 22:18 | Comment(0) | 北海道
2020年02月09日

マイナス15度♪

ここまで気温が下がったのは19年ぶりだとか。
これを「凍(しば)れる」というのだ。標準語とやらに訳しようがない。
条件がよければダイヤモンドダストが見えはじめる気温だ。

それで、とても久しぶりに、寝る前に水を落とした。
・・・これも説明しなくては。
凍結防止のための水抜き栓(寒冷地では必ず付いている)をひねって、水道管の中の水を抜くことを指す。

今住んでいる家では、夜間も暖房を入れっぱなしなのでマイナス10度くらいまでは大丈夫なのだが、さすがに15度となると、念のため水抜きをしておいた。

北海道に引っ越してきたばかりの人が、「流れる水は凍らない」という話を信じて、水道の水を細く出しっぱなしにしていたところ、翌朝大変なことになったという話を聞いたことがある。

あれは、チョロチョロと流しておけば0℃でも凍らない、というレベルの話で、マイナス10度以下なら滝でも凍る。

もっとも、氷点下や吹雪が心地よいと思うのは暖房が効いた家に住んでいる現代だからで、開拓時代には、今よりもはるかに長く寒かった冬を越すのは命がけだった。
そんな時代にも、雪や氷の様々な姿が見せる美を愛でる人は幾らかいただろうか。

外は雪が降っているが、数時間前まで雲の切れ間から満月が見えていた。冴え冴えとした月が高く上っているのを暖かい部屋から眺める。冬は快適な季節なのだ。
   
posted by Sachiko at 22:11 | Comment(2) | 北海道
2020年01月28日

雪だるまを見なくなった

その後少しばかり雪が降って、20センチのリンゴンベリーは埋まったが、相変わらず雪は少ない。

雪が降るかもしれないというだけでニュースになる地域もある。
1センチの積雪の恐れ、だって?それは積雪とは言わない。
少なくとも5センチ以下は積雪ではなく、単にうっすら白くなったというだけだ。

そうして1センチでも毎年大騒ぎするのに、今年もスリップ事故や転倒事故が多発しているらしい。
夏タイヤや夏靴(この言葉も北国だけ?)では、雪道やアイスバーンはけっして走れないし歩けない(学んでおくれ...)。

それにしても、街角で雪だるまを見かけなくなって久しい。雪で遊ぶ子どもの姿も見ない。
少ないとはいえ、雪だるまを作るくらいの雪はあるのに。


小学校2年の冬、授業で詩を幾つか書くことになった。
多くの子どもが雪や氷のことを書き、それがあまりに多いので、先生はしまいに「雪や氷ではないことを書きなさい」と言いだした。

それほど、雪や氷は子どもたちに親しかった。
雪はタダで無尽蔵にあり、雪だるまでもかまくらでも、お城や落とし穴でも、好きなように作ることができた。

「ムーミン谷の冬」で、初めて雪を見たムーミンに、トゥティッキが雪の話をする。

「…雪って、つめたいと思うでしょ。だけど、雪小屋をこしらえて住むと、ずいぶんあったかいのよ。雪って、白いと思うでしょ。ところが、ときにはピンク色に見えるし、また青い色になるときもあるわ。どんなものよりやわらかいかと思うと、石よりもかたくなるしさ。なにもかも、たしかじゃないのね。」

このようなことを、かつて子どもたちは体験として知っていて、雪や氷のことだけでも、豊かな詩の世界をつくることができた。
光があたって輝くつららのことや、降りしきる雪をじっと見ていると目が回りそうになること、雪や氷は白だけでなく、ピンクや青や緑にも見えることを。

ただでさえ気温が上がって冬が短くなり、家の造りも変わったために、つららを見ることも少なくなったこの頃。
雪や氷と親しまずに子ども時代を終えるのはほんとうにもったいない。
  
posted by Sachiko at 22:13 | Comment(2) | 北海道