2021年06月08日

もの送り

数年前に買ったまま積んであった『月と蛇と縄文人』を、少しずつ読んでいる。北海道の考古学者によって書かれた本だ。

アイヌ民族には「もの送り」という習俗があるそうだ。
ものをわざと壊すことによって、この世とは逆さまであるあの世に送るのだという。

これは現代のような破壊衝動による破壊とは全く異なる。
壊さなければあの世に送ることができない、壊れたものは、あの世でよみがえる。人も、肉体という器が壊れなければあの世に行くことができないように。

もうひとつ、家送りというのもある。
これは、本の著者が北海道で縄文時代の火災住居を発掘する機会があり調べた結果、それまでの「火事説」では説明しきれないものが浮かび上がってきた。

そして、アイヌには「チセ・ウフイカ」(家の焼却)という風習があることがわかった。
それはあの世に旅立つ死者に家を持たせるための送り儀礼だったのだ。
アイヌの考えでは家も生命あるもので、火を放って送った家は、あの世で生き返る。

「チセ・ウフイカ」は明治初期に開拓使によって禁止されたため、代わりにカス・オマンデ(仮小屋送り)が考え出された。
死者が出ると仮小屋を建てて、そこに故人の調度品を入れて焼くという習俗だ。それも現在では消えてしまったらしいが。


ひとつの文明が消え去るのは、より強大な力を持つ(そして全く別の価値観を持つ)民族や国家によって侵略され、滅ぼされたり変質してしまったりした場合が多い。
縄文、ケルト、マヤ、その他数多く。

そのように失われたものが、長い時を経てふたたび顧みられ、別の光を当てられることがある。
それらは消え去ってはいなかったのだ。

もの送りや家送りのように、文明送りというものもあるのだろうか。
例えばマヤ文明の滅亡については諸説入り乱れているが、中には、人々がアセンションして高次元の世界に行ってしまったという説もある。
消えたように見えて、別次元の世界に移行していたということは?

そしてある時代に「あの世」から、行き詰った後世の人間に古い叡智を新たなかたちで思い出させるために戻って来るということはないだろうか。
近年のマヤやケルト、縄文ブームなどを見てそんなことを思う。

joumon.jpg
  
posted by Sachiko at 22:39 | Comment(2) | 北海道
2021年06月01日

コロポックル伝説

家の裏に、いつの間にか殖えた蕗がわさわさと繁っている。
雑草扱いになっていたが、先日お店で貧相な蕗の束が売られているのを見かけた。

これなら家の蕗のほうがずっと立派だ...そう思って収穫してみた。
大きな鍋で茹でて保存し、毎日蕗づくしになっている。

fuki1.jpg

fuki2.jpg

蕗と言えば、コロポックルの話は欠かせない。
アイヌの伝承の中でも一番知られているのがコロポックル伝説だと思う。

きちんと整った物語があるわけではなく、伝説の中身も地方によって異なる。
コロポックルはアイヌ民族以前に蝦夷に住んでいた先住民だという説があり、めったに姿を見せない不思議な小人だったという話もある。

失われたもの、捉えがたいものは、物語の世界に棲みかを求める。
『蕗の下の神さま』という呼び名があるように、やはり蕗の葉の下に隠れている小さな妖精の姿が一番親しみやすいようだ。

子どもの頃、遠足の途中に蕗の繁っている場所があると、必ず何人かはそれを採って日傘にして歩いていた。

蕗の下にはコロポックルというイメージは、この地に定着しているのだ。こうして土地に根差した伝説に抱かれることは、一種不思議な安心感をもたらしてくれる。
  
posted by Sachiko at 22:39 | Comment(2) | 北海道
2021年01月19日

吹雪、地吹雪

昨冬はついに吹雪を見ないまま終わり、何とも不完全燃焼のまま春を迎えたけれど、今日は久々の吹雪になった。

今日の最高気温はマイナス6度、地吹雪を伴う理想的(?)な吹雪だった。

雪が降っていなくても、地面に積もっているパウダースノーが風で舞い上がるのを地吹雪という。
ほとんど視界が遮られ、ホワイトアウト状態になることもある。

窓から眺めている分には美しいけれど、こんな日は遠出しないほうがいい。
かつては市内でも、外れの地域では猛吹雪になる度に車が遭難し、死者が出ることも珍しくなかった。

昔は吹雪が多く、小学校の頃、ひどい吹雪の日は早めに授業が打ち切りになって集団下校、ということもあった。
温暖化が進んでからはそんな話は聞かない。


空や海など、一面の青があるところには神の力がはたらいていると言われる。
では一面の白はどうなのだろう。

一面真っ白な雪、雪、雪....
この世とは別の次元に移されるような、これほど美しい景色はないと思う。
雪(パウダースノー)のない世界は考えられないし、私は住めない。
  
posted by Sachiko at 22:30 | Comment(2) | 北海道
2020年05月12日

エゾスズランの謎

森ですずらんを摘んだとき、従姉から「こっちのはエゾスズランだよ」と教わった花があった。

すずらんより大きく、一つの茎にたくさんの花が連なり、細長い花の先がすずらんのように小さく反り返っていて、葉っぱも似ていた。

そのことを思いだしてエゾスズランを調べてみたら、出てきたのは私の記憶の中のエゾスズランとは全く似ていない花だった。そもそもスズランにさえ似ていないじゃないか。

ezosuzuran.jpg

違う、これじゃない....
では、エゾスズランだと教わったあれは何だったのか...?

いろいろ探して、似ていると思ったのはオオアマドコロだった。
エゾスズランはラン科だが、オオアマドコロはスズランと同じユリ科で、花の季節もほぼ同じだ。

オオアマドコロはアイヌ語ではエトロラッキプと言って、薬用にも使われたそうだ。

amadokoro.jpg

同じくユリ科のヒメイズイも似ている。記憶ではラグビーボールのような形の花だったと思うので、花はこちらのほうが似ている気がする。

himeizui.jpg

でもどちらも、これだ!とは言い切れない。子どもの頃見ただけなので記憶があいまいになっている。
結局あの時のエゾスズランの正体は謎のままだ。

すずらんを摘んだ森はまだあるだろうか。
観光地からは遠く、開発が進んだ土地でもないので、ひっそりと残っているかもしれない。

大抵は小さくて地味な山野草は、森の中で人の手による世話も必要としない。
ただ自然の精たちとともにあり、静かに澄んだ“気”が、すっと立ち昇っているように見える。
   
posted by Sachiko at 22:11 | Comment(2) | 北海道
2020年05月09日

5月のちいさな鈴

すずらんのドイツ名は Maiglöckchen(5月の小さな鈴)という。何とも可愛らしい名前だ。

一般に花屋さんで売られているのはドイツスズランで、野生のものより少し大きい。庭の片隅に植えていたものはいつの間にか消えてしまったけれど...

小さな白い花は他の花とも調和しそうに見えるが、意外に庭の中で浮いてしまう、小さいながら個性の強い花だ。
たしかに、あまり花に詳しくない人でもすずらんはすぐわかると思う。

子どもの頃、田舎の親戚を訪ねたとき、近くの森ですずらんをたくさん摘んだことがある。

すずらんには全草にかなり強い毒性があることを知ったのはずっと後のことだ。葉っぱがギョウジャニンニクの葉に似ているので、間違って食べて中毒を起こしたという話がたまにニュースになる。

子どもがすずらんを触った手を口に入れたり、花粉が口に入っても危険らしい。
当時私がすずらんの花束に頬を寄せている写真が残っている。
親戚も毒のことは知らなかったのだろう。よく無事だったものだ....

その毒性のため、すずらんの群生地で眠るとそのまま死んでしまうという話を聞いたことがあるが、これは確かな話なのかどうかわからない。
北海道の各地にあった自然の群生地は、他の山野草同様、乱獲のせいでほとんど姿を消してしまった。

メンデルスゾーンの「すずらんと小さな花( Maiglöckchen und die Blümelein)」という歌曲がある。これも好きな歌だ。


  
posted by Sachiko at 22:22 | Comment(2) | 北海道