2019年10月19日

シカ騒動

この夏は住宅街でのクマ騒動があったが、今度はシカが現われた。
それも、街のど真ん中を含む数か所で。

昔、「熊、出ませんか?」とこわごわ聞く観光客をからかう都市伝説として「時計台の周りに熊が出るんだよ〜」という話が出回っていたことがある。(本気にした人もいたらしい...)
これで「札幌駅のそばにシカが出る」という事実ができてしまった。

前回のクマ騒動は山林に近いところで起きたが、今回複数のシカが現われた場所は山林からはかなり離れている。
どこからどうやって出てきたのだろう...?

住宅街で車にぶつかった瀕死のシカは、安楽死措置となった。
森を出て街に迷い込むと、自然霊の導きを受けられなくなってしまうのだろうか。
田舎の道路にはよく「シカに注意」の標識がある。

熊は人を襲うかもしれないし、増えすぎたシカは畑の農作物を荒らすかもしれない。ハンターの数は減っている。
「問題視」という視点で見れば、野生動物に関することは問題山積なのだが....

エゾシカはアイヌ語で「ユク」という。
これは元々は「獲物」という意味で、必ずしもシカだけを指す言葉ではなかったそうだ。

地元のテレビで、アイヌ民族の短いドキュメンタリーをやっていた。
狩猟民族として、倒したシカに敬意をもって祈りを捧げる。
魂は神の世界に還るように、そして肉体は人の世界に捧げられたことに感謝して。

見ているうちに、現代人がいかに文化というものを失くしてしまったかを思い知らされる。

「問題視」という目に映るものはともかくとして、この大地に、クマやシカやキツネやリスがいることが嬉しい。
  
posted by Sachiko at 21:57 | Comment(2) | 北海道
2019年08月18日

キムンカムイ・2

以前「ある森の話」というのを書いたことがある(2018.7.5付)。
この時、キノコ採りに連れて行ってもらったのだが、それは熊の生息域でもある山の中だった。

案内してくれた人は道路際から山に向かって「熊さん、入らせていただきます。キノコを少し分けてくださいね」と挨拶してから入っていった。そうして熊除けの鈴を鳴らしながら歩き、食べられるキノコを教わった。


ドロシー・マクレーンの「大地の天使たち」の中には、ドロシーがヒグマの魂と同調したときのことが書かれている。
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そのヒグマは初めて人間から愛を直接投げかけられて、泣き出さんばかりに喜んでいました。そのとき、動物は人間とちがって、自分の形の外には出られないことがわかりました。

だから、荒野で熊と出会ったら、その熊としての本性と習性を忘れてはなりません。熊を熊として尊敬するのも、ひとつの愛の形なのです。

くろ熊は、「愛をもって歩く」ようにと、私たちに伝えてきました。人間が愛をもって歩けば熊にもそれがわかり、さらにすべての生きもののためになるそうです。

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「熊を熊として尊敬する」、まさに「キムンカムイ」として敬うことだ。
人間が愛をもっているか、それとも恐怖をもっているかが、彼らにはわかるのだろう。
もちろん山で(あるいは街なかで!)熊に遭遇したときは、その本性と習性を忘れてはいけない。

ドロシー・マクレーンは、畑を荒らすモグラやネズミの意識とコンタクトしたときのことも書いている。
ネズミの害についての恐怖と、そうなるであろうという期待がまさにその事態を実現していることを明らかにしていったのだが、もちろんそのプロセスは簡単ではなかった。

アイヌ民族など各地の先住民にとって、全ての生きものがひとつの大いなるいのちを分け合っていることはあたりまえだった。
恐怖でいっぱいの文明人がふたたびそのことを思いだすプロセスも簡単ではないだろうが、それはすでに始まっている帰還の道だ。
  
posted by Sachiko at 22:33 | Comment(0) | 北海道
2019年08月17日

キムンカムイ

数日前まで市内のクマ騒動が全国ニュースで流れていて、こういうのを見ると、市内全域にクマが出没しているようなイメージを持たれるかも...と思っていた。

山林と隣接しているエリアだけなのだが、それがけっこう多い。クマだけでなく、時々シカやキツネも出てくる。
この規模の都市でこれだけ野生動物が近くにいる例は少ない。

一週間ほどの騒動の後、クマはハンターによって射殺された。
家庭菜園の作物や果樹を食べ、民家のすぐそばを歩き、人が出くわしたら襲われるかもしれない。近くには小学校もあり、もうすぐ夏休みが終わる.....

昔の人は、動物が住む山と里山のあいだに実のなる木などを植えて緩衝地帯を作り、野生動物をそこで止めて人間エリアに入ってこないように工夫していたらしい。
今は、動物エリアのすぐそばまで宅地が迫っている。

ニュースの中で繰り返された、「害獣」「駆除」などの言葉がどうも気になっていた。
野生動物は元々、自然界の絶妙なバランスの環に組込まれている。人間もこの環の一部だったことを忘れてしまった今、バランスを壊すのは常に人間だ。

自然界のあらゆる存在の中に霊格(カムイ)を見ていたアイヌ民族にとっては、熊は、キムンカムイ(山の神)だ。
だが人を襲うと悪い神(ウェンカムイ)になってしまう。
「もののけ姫」の、たたり神になってしまった動物を思い出す。

撃たれたクマはどうなったのか。できるならイヨマンテ(熊送りの儀式)で送ってほしいと思ったが、そうはならないだろう。
  
posted by Sachiko at 21:27 | Comment(2) | 北海道
2019年05月08日

桜前線終着駅

桜前線の終着駅は、たいてい稚内か根室のどちらかだが、昨日、稚内でエゾヤマザクラの開花宣言があった。

あとは根室と釧路がまだ残っている。開花予想によれば、今年の終着駅は珍しく釧路になりそうだ。そうして、長い桜の旅は終わる。

あのへんはもうソメイヨシノの北限を超えているので、桜はチシマザクラになる。

世界の桜(サクランボではなく観賞樹の桜)の北限はどのあたりなのだろう。日本からはあちこちの都市に桜の苗木が贈られたりしているので、今はヨーロッパにも桜並木がある。

それでも近年は開花が早くなった。以前は終着駅に着くのが6月初めになることもあったのだ。
8月の半ば過ぎには大雪山系で初雪の便りが届き、そんな年にはあまりに短い夏が悲しかった。

桜が終着駅に着いたニュースを聞くと、マラソンの最後のランナーがゴールした時を見るような気分になる。
  
posted by Sachiko at 21:52 | Comment(2) | 北海道
2019年04月22日

ルパンの故郷

以前「廃駅」という記事(3月16日付)で紹介した根室本線のうち、釧路−根室間は花咲線と呼ばれる。ここも存続危機路線だ。

先日亡くなった、ルパン三世の作者モンキー・パンチ氏の出身地である浜中町は、この路線にある。近隣の他の町同様、人口数千人の小さな町だ。

かなり前、ルパンではなく他の作品だったような気がするが、このあたりの海辺の景色が出てきて、そこに登場した女子高生が霧多布(きりたっぷ)高校の生徒という設定だった。

その時は、霧多布にそんな高校あったかな?まあ創作だろう、などと思ったのだが、先日のニュースで、高校は実在し、しかも氏の母校だと知った(失礼しました)。

この地域は文字通り霧が多く、夏でも気温が上がらない。平らで何もないが海岸線は美しく、どこか日本離れしても見えるだろう。ジブリの「思い出のマーニー」の舞台も釧路湿原から霧多布岬あたりだ。

「ルパン三世」の、あの日本離れしたキレのいいセンスの持ち主の原風景がここだというのは、不思議でもあり、同時にわかる気もする。

ちなみに私は石川五ェ門が好きで、原作本のほうでお気に入りのエピソードがある。
何かの事件でルパンと次元が「時間はあとどのくらいあるんだ!?」と焦っている時、五ェ門がおもむろに懐から小さな日時計を取り出し、「俺の日時計ではあと15分...」などと言って「今どき日時計なんか流行るかっ!」と一喝されるのだ。あのアナクロニズム(>▽<)♪

珍しく五ェ門が主人公だった「ロシアより愛をこめて」では、ロシアの寒村の人々の言葉が北海道弁だった(>▽<)♪

実は私はごく幼い頃、この花咲線沿線の某所に短いあいだ住んでいた。ほとんど断片的な、かすかな記憶しかないけれど、白っぽくてあまり色彩のない景色のイメージが浮かぶ。

地味な風景の中を色鮮やかなルパントレインが走る様子は、奇妙な夢の中の光景にも見えそうだ。
   
posted by Sachiko at 21:13 | Comment(2) | 北海道