アイヌ民族には「もの送り」という習俗があるそうだ。
ものをわざと壊すことによって、この世とは逆さまであるあの世に送るのだという。
これは現代のような破壊衝動による破壊とは全く異なる。
壊さなければあの世に送ることができない、壊れたものは、あの世でよみがえる。人も、肉体という器が壊れなければあの世に行くことができないように。
もうひとつ、家送りというのもある。
これは、本の著者が北海道で縄文時代の火災住居を発掘する機会があり調べた結果、それまでの「火事説」では説明しきれないものが浮かび上がってきた。
そして、アイヌには「チセ・ウフイカ」(家の焼却)という風習があることがわかった。
それはあの世に旅立つ死者に家を持たせるための送り儀礼だったのだ。
アイヌの考えでは家も生命あるもので、火を放って送った家は、あの世で生き返る。
「チセ・ウフイカ」は明治初期に開拓使によって禁止されたため、代わりにカス・オマンデ(仮小屋送り)が考え出された。
死者が出ると仮小屋を建てて、そこに故人の調度品を入れて焼くという習俗だ。それも現在では消えてしまったらしいが。
ひとつの文明が消え去るのは、より強大な力を持つ(そして全く別の価値観を持つ)民族や国家によって侵略され、滅ぼされたり変質してしまったりした場合が多い。
縄文、ケルト、マヤ、その他数多く。
そのように失われたものが、長い時を経てふたたび顧みられ、別の光を当てられることがある。
それらは消え去ってはいなかったのだ。
もの送りや家送りのように、文明送りというものもあるのだろうか。
例えばマヤ文明の滅亡については諸説入り乱れているが、中には、人々がアセンションして高次元の世界に行ってしまったという説もある。
消えたように見えて、別次元の世界に移行していたということは?
そしてある時代に「あの世」から、行き詰った後世の人間に古い叡智を新たなかたちで思い出させるために戻って来るということはないだろうか。
近年のマヤやケルト、縄文ブームなどを見てそんなことを思う。
