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シュタイナーが伝えた12夜の話から
最後の聖夜の一歩を踏み出そう。
毎日歩んできたこれらの12の階梯は、次のクリスマスに私たちの存在が新たにされるまで、1年間の各月のテーマとなる。
私たちは自分の内面の在り方を観照してきた。そして自分の中で毎瞬間起こっている様々な動きに対し、さらに意識的になれることを願う。
私たちは、自分の感情がどのように湧き上がるか、放っておけば私たちを押し流してしまうかということを、より意識するようになった。
私たちの心の中を飛び交う思考の幾つかは、衝撃的なものだったかもしれない。それらはいつもそこにあったのに、気づかなかっただけなのだ。
また、行為への衝動がより意識的になり、自分の動機を評価する機会を得たかもしれない。
少なくとも、これらの3つの魂の活動をより意識するようになったなら、私たちは自分の存在の中で最高のもの、すなわち“私”を体験したことになる。
内なる“私”は、私たちに平静と目的を与え、世界や出会うすべての人々との関係のあり方を変えてくれる。
そのような“私”を体験できたとき、すべての人間の中にキリストが見えはじめる。
宇宙のキリストは、イエスという媒介を通してこの地上に降り、この霊は私たちの中に宿っている。
この霊は、主に私たちが呼吸するたびに、また私たちが食べる食物、キリストの体である大地で育まれた食べ物を通して、私たちの中に宿っている。
この現実を受け入れると、私たちは地球の生命力と、自分のエーテル体の中にも、キリストのエーテル存在を体験し始める。
今、私たちはすべての人をキリストであるかのように扱い始める。
否定的な思考は、それが形成される前に阻止する。
なぜなら、その思考がキリストについて考えていることになると知るからだ。
他者の中にいるキリストに敬意を払うからこそ、すべての感情や動機に気をつける。そうすることで、自分自身が変容し、相手も引き上げることができる。
パウロがこう言ったように。
「この奥義は、あなたがたの内にいますキリストであり、栄光の望みである。」(コロサイ1:27)。
もし私たちがこれからの1年間、毎日この神秘を思い起こすことだけをするなら、私たちは世界を変えるだろう。
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12夜の最初と最後は、さらに特別だ。
第1夜は翌年の1月に対応するが、その1月には、8月〜12月に対応する日が含まれている。
第12夜は12月に対応し、その12月には次の年の1〜7月が含まれる。
更に言えば、含まれている1月にはそのまた次の8〜12月が含まれ...と、どこまでも層になり、鏡に映した鏡のように、遥かな過去から未来までの時空が、神秘的に折り重なっている。
今日の話は、この箇所にもつながっている。「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25:40)
福音書を引用するとなんだか説教臭くも見えてしまうけれど、12夜の神秘をたどるのに、外的なキリスト教徒である必要はないと思う。
12夜の神秘は、キリスト教が広まる以前の時代から知られていたのだ。
それは宇宙と地球が織りなす神秘であり、すべての人にとって重要な意味と働きを持つ。
posted by Sachiko at 10:46
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クリスマス