2019年08月03日

Calw

ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州にある小さな町、Calw...

Calwを何と読むのかは、カルヴとかカルプとかカルフとか諸説あったが、今はどうやらカルフで定着しているようだ。
この町へはどこを通って行ったのだったか、昔のことで記憶があやしげになっているが、たぶんテュービンゲンからだったと思う。

カルフはヘルマン・ヘッセ生誕の町だ。
生家は、私が行った時はブティックのような店になっていたが、今はどうなっただろう。家そのものはまだあるはずだ。

町なかには、「Demian」「Der Steppenwolf(荒野の狼)」など、ヘッセの作品名のついた店もあった。
ネッカーの支流ナゴルト川にかかる橋の上の小さなチャペル、これも作品の中に登場している。

私は「デミアン」以降の後期作品が好きだが、幾つかの美しい初期の短編も捨てがたい。作風が大きく変わったのは第一次大戦がきっかけだった。

シュタイナー研究者の高橋巌氏がある時、最も影響を受けた本が「デミアン」だと言われたのを聞いて驚いた。
「デミアン」に書かれているような思想が、きっとこの世界にはあるはずだ、それを探しにドイツに渡り、そこでシュタイナーの人智学に出会った、ということだった。

私も、一冊上げろと言われたら間違いなく「デミアン」なのだ。
この一冊については、いつかここで少しずつ書くかもしれないし、書かないかもしれない。簡単には手をつけられない気がする。

「車輪の下」が、中学生の読書感想文用の定番図書になっていたりしたので、多くの人がヘッセを甘い青春小説家と思って他の作品を読まなくなってしまうのは残念なことだ。

バーデン=ヴュルテンベルク州のあたりは古い名前ではシュヴァーベンと呼ばれ、シュヴァーベン気質は内省的でロマンティック、多くの詩人を輩出し、詩人の宝庫と言われていたそうだ。

教科書に載っていた「少年の日の思い出」は、現在は日本語でしか読めないという話を聞いたことがあるが、これは正確な情報ではない。

Das Nachtpfauenauge (ヤママユガ)というタイトルで、「Die schönsten Erzählungen(いちばん美しい物語)」というアンソロジーの中に入って、ずっとヘッセの本を出し続けていたズールカンプ社から出ている。

翻訳ではただ「客」となっていた人物にはハインリヒ・モールという名前があることがわかった。
この小品は何度か別の媒体で発表されてタイトルが変わったりしているので、少し書き換えられた部分があるのかもしれない。

hessebuch.jpg
  
posted by Sachiko at 22:23 | Comment(0) | ドイツ関連
2019年07月05日

「少年の日の思い出」

ヘルマン・ヘッセの短編「少年の日の思い出」は、日本で一番多く読まれている外国文学だそうだ。
もう70年以上も中学校の教科書に載り続けているからだ。

市内の中学校はみんな同じ教科書を使っていたはずなので、以前ある場所で尋ねてみたが、誰もこの作品を憶えている人はいなかった。私は大好きな作品だったのだけれど....

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私が惹かれたのは、物語そのもの以上に情景の美しさだった。物語の内容はかなり痛々しい...

子ども時代を思い出してまた蝶の蒐集を始めたという人が、彼の書斎にお客を迎えているところから始まる。物語のほとんどは、その友人の少年時代の回想話だ。

「…もうすっかり暗くなっているのに気づき、私はランプを取ってマッチをすった。すると、たちまち外の景色はやみに沈んでしまい、窓いっぱいに不透明な青い夜色に閉ざされてしまった。」

少し冷んやりしてきたであろう夏の夜の、青い空気の色、外の微風、葉擦れの音、野草の香り、ランプのほのかなオレンジ色の灯りなど、そこに描かれていないものも含めた光景が見えるような気がした。

お客である友人は、少年時代に熱心な蝶の蒐集家だったが、自分でその思い出をけがしてしまった....と言って、思い出を語り始めた。その夏の描写がまた美しい。

「…強くにおう乾いた荒野のやきつくような昼さがり、庭の中の涼しい朝、神秘的な森のはずれの夕方……

日なたの花にとまって、色のついた羽を呼吸とともにあげさげしているのを見つけると、捕える喜びに息もつまりそうになり、しだいにしのびよって、かがやいている色の斑点の一つ一つ、すきとおった羽の脈の一つ一つ、触覚の細いとび色の毛の一つ一つが見えてくると、その緊張と歓喜ときたら、なかった。」

そして彼はあるとき、そのあたりでは珍しい青いコムラサキを捕まえて展翅した。得意のあまり、それを隣の子どもにだけは見せようという気になった。

隣の少年エーミールについては、「…非の打ちどころがないという悪徳を持っていた。それは子どもとしては二倍も気味悪い性質だった」とある。結果、コムラサキの標本はこっぴどい批評にさらされてしまう。

二年後、エーミールがヤママユガをサナギからかえしたといううわさが広まった。本の挿絵でしか見たことのないその蝶をどうしても見たい、これが悲劇の始まりだった....


私は中学一年生の教科書をまだ持っているわけではなく、後になってこの短編が古いヘッセ全集に入っているのを見つけて手に入れたのだ。

物語の夏の情景は、自分の子ども時代と重なる。私は特に蝶の蒐集家ではなかったし、都会ではそう珍しい蝶も見られなかったが、網を持って昆虫を追うのは夏の遊びの定番だった。

男の子たちの中には、蝶の標本を作る道具のセットを持っている子もいた。展翅板や三角紙の中に収められたアゲハなどを見せてもらったのを憶えている。

当時12歳の私にとってこの短い物語は、去り行く子ども時代の情景を思い起こさせてくれるものであり、ヘルマン・ヘッセとドイツ文学に強く惹かれていくきっかけでもあった。

あとがきによれば、「少年の日の思い出」Jugendgedenken というタイトルは翻訳者がヘッセからもらった切り抜きについていたもので、最初に発表されたときの題は「ヤママユガ」Das Nachtpfauenauge だということだ。
  
  
posted by Sachiko at 21:41 | Comment(0) | ドイツ関連
2019年04月13日

青い花

今日は今年最初のモンシロチョウを見た。
早春の小さな青い花が咲き始めている。
(左:チオノドクサ、右:シラー・シビリカ)

chionodoxa.jpg

青い花といえば、ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスの「青い花」を思い出す。

小学校6年の時、遠縁のおじさんが家に来た際、おみやげに少女向けの雑誌をくれた。実際にはそれは当時の私よりもう少し上の、10代半ばくらいの少女が対象のようだった。

楽しく読んだのだが、中身はもうまったく覚えていない。唯一覚えているのが、「夏休みの読書におすすめの本」という記事で、その中にノヴァーリスの「青い花」があったのだ。
他にどんな本が薦められていたのかも全く覚えていない。

私はこの「青い花」に惹かれて図書室で探したが見つからなかった。それはそうだ、小学生が読む本ではない。その後もずっと見つからず、読んだのは大人になってからだった。全集に入っていたものだが、岩波文庫からも出ている。

原題は「ハインリヒ・フォン・オフタディンゲン」で、中世ドイツの伝説の詩人の名を主人公の名前にしている。
物語では、テューリンゲンの青年ハインリヒが、夢で見た青い花に激しく心を動かされたのち、母の郷里アウグスブルクへ旅に出る。旅の途上で出会った人々から詩の世界に引き入れられ、やがて恋人となる少女マティルデに出会う....

テューリンゲンには、ヨハネ祭の日に山上で幻の青い花をみつけると、その下には宝が埋まっているという伝説があるという。

ノヴァーリスは最も純粋なロマン派の詩人で、わずか29歳で世を去った。最期は弟が弾くピアノを聞きながら、友人シュレーゲルの腕の中で息を引き取り、シュレーゲルは、人間がこんなに美しく死ねるものかと驚いたという。
夭折したため、「青い花」も未完である。


純粋な青い花は少なく、たいていは少し紫がかっている。純粋な青は、天界の色らしい。
ブルーローズやブルームーンなど、「ありえないこと」や「ごく稀なこと」を指すのにブルーが使われたりする。

空や海など、一面の青があるところには、神の力がはたらいているという。美しい青い花があったら、それは天の力の一片なのだろう。
 
posted by Sachiko at 21:36 | Comment(2) | ドイツ関連
2019年02月14日

アルザス

アルザスは、私が唯一フランスの中で足を踏み入れた土地だ。
たぶんドイツ語が通じるだろうし、ドイツ時代の名残が感じられるだろうか..と思ったのだ。

シュトラースブルク(フランス名ストラスブール)は、若きゲーテゆかりの地でもある。木組みの家々など、旧市街はドイツ風だった。

ゲーテはシュトラースブルク大学留学時代、「ファウスト」のヒロイン、グレートヒェンのモデルになった少女フリーデリケと出会い、短い恋ののち、彼女のもとを去った。
シューベルトの歌曲で知られる「野ばら」の詩も、フリーデリケのことをうたったのだと言われている。

アルザスは昔から、ドイツとフランスが戦争をするたびに、ドイツ領になったりフランス領になったりしていた。

フランスの作家アルフォンス・ドーデの「最後の授業」という短編がある。
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アルザスの学校に通う少年が、ある日友だちといっしょに学校をずる休みして遊びにでかけた。だがやがて気になって学校に戻り、窓からのぞいてみると、なんだかようすがおかしい。

生徒だけでなく村の大人たちがみんな、老人たちまでもが学校に集まり、古い教科書を開いて熱心に授業を聞いている。
先生が少年たちに気づいて、早く教室に入るように言った。

戦争に負けてアルザスがドイツ領になり、明日からはドイツ人の先生が来て授業はドイツ語で行われる。この日はフランス語での最後の授業だったのだ。
少年はこんな大事な日にずる休みしようとしたことを後悔する...

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しかしどうやら、この物語には裏があったようだ。
物語ではフランスとフランス語への愛が熱く語られているが、アルザスの人々がふだん話していた言語は、元々がドイツ語方言であるアルザス語だったのだ。

アルザス出身のアルベルト・シュヴァイツァーは子どもの頃からふつうにバイリンガルで(ドイツ語とフランス語)、じぶんの母国語はどっちだろうかと考えた時、夢の中で話しているのはドイツ語なので、きっとドイツ語だろうと思った、というエピソードがある。

ラインの西岸、シュトラースブルク。私としてはやはりドイツ名で呼びたくなってしまう。
 
posted by Sachiko at 22:07 | Comment(2) | ドイツ関連
2019年02月13日

ブレンナー峠

北と南を分けるものの話で、ずっと昔に読んだ、あるドイツ文学者のエッセイに出てきたブレンナー峠のことを思いだした。

ブレンナー峠は、オーストリアとイタリアの国境にあり、この峠を境にヨーロッパの北と南をはっきりと分かつように景色が一変するのだと書かれていた。

当時の私はそれを確かめてみたくなった。
それで、インスブルックから、とりあえず南チロルのボーツェン(イタリア名はボルツァーノ)へ向かった。

峠までの景色は、晴れているのにどこかうっすらとヴェールがかかったような水色の空と、白や黄色や薄紫の、アルプスらしい清楚な小花が一面に咲いていた。

そしてブレンナー峠を超えると....
不意にヴェールを取り払ったように真っ青な空が広がり、やがて緑の野に点々と、あるいはところどころかたまって咲いている、真っ赤なケシの花!イタリア!!

あの話は本当だったか...と思った。
南チロルは元々はオーストリアだったが、第一次大戦で負けたためにイタリアに持っていかれたのだ。

それで道路などの表記はドイツ語とイタリア語が併記されて、ドイツ語を話す人たちとイタリア語を話す人たちが混在していたが、今はどうなったことだろう。

さらに南へ行くと、絵画でしか見たことのない糸杉やオリーブ畑を見て大いに感激したのだった。


故・子安美知子氏が、ミヒャエル・エンデと行動を共にしたとき、エンデはドイツにいる時とイタリアにいる時とでは気質が変わるというようなことを何かの本に書いていた。
やはり土地には、人の内面に作用する何らかのエネルギーがあるようだ。
 
posted by Sachiko at 21:10 | Comment(2) | ドイツ関連