オーストリアの作家アーダルベルト・シュティフターの「水晶」、山あいのクリスマスの物語。
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あらすじ
谷間に、クシャイトという小さな村があった。
山のあいだの峠は「くび」と呼ばれ、くびの向こう側の谷にはミルスドルフという立派な町があった。
どちらの人々も昔ながらのしきたりを守って生きていたが、互いに人が行き来することはほとんどなかった。
クシャイトの靴つくり師は、ミルスドルフの染め物師の娘を見そめて村に連れ帰った。娘は靴師の妻になってからも、村人たちからはよそ者と見なされていた。
夫婦に男の子と女の子が生まれ、男の子が大きくなると、妹を連れて子供たちだけで「くび」を超えて祖母を訪ねることも許された。
子供たちもまたクシャイトではよそ者扱いだった。兄の名はコンラート、妹はザンナと呼ばれていた。
ある年のクリスマスの前日、天気がいいので兄妹はミルスドルフを訪ねた。
祖母は子供たちにパンやいろいろなものを持たせ、母親へのお土産には濃く淹れたコービーのビンを渡した。
日が暮れて寒くなる前に、子供たちは帰り着かなければならなかった。
やがて降り始めた雪は、「くび」を超える頃にはますます激しくなった。
二人はクシャイトに降りる下り道をみつけられないまま、知らずに山を上っていった。
すっかり夜になり、眠りそうなザンナに、兄はコーヒーを飲ませた。濃いコーヒーは効き目を現した。
夜が明け、また歩き始めた二人は、クシャイトの人々がやってくるのを見つけた。子供たちは助かった。
その夜村人たちは酒場に集まり、それぞれのはたらきや見聞きしたことを話した。
この事件はその後いつまでも村の語り草になった。
兄妹は、この日からほんとうに村の子どもと見なされ、子供たちの母親も村人となった。
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80ページ足らずの短い物語。シュティフターの物語は細部が美しい。
道に迷ったあとも、兄のコンラートは妹を気遣い励ましながら、それらしい道を探して先へ先へと進む。
道々あたりのようすを説明する兄の言葉に、妹はすこしも疑わずに答える。
「きっとぼく、クシャイトへ帰れるように下り道を見つけるから」
「そうよ、コンラート(Ja, Konrad)」
「麓の森を抜けて降りて行く。
そうすれば、すぐにぼくたちの村に帰れるんだよ」
「そうよ、コンラート」
「寒くなったら両手でからだをぶつんだよ。
そうすればあったかになってくるんだ」
「そうよ、コンラート」
風がなくただただまっすぐに降り続ける雪を見たことのある人は、そのようすをイメージできると思う。
少しでも風が起きて吹雪になったら、子供たちは到底助からなかった。
雪が止んで晴れた空に、壮麗な冬の星々が輝く。
すべての村の教会が打ち鳴らす聖夜の鐘も、子供たちのところへは届かない。
空を身上げる子供たちの目に、不思議な光景が映る。
星々の中に光が現れて拡がり、弓形に輝きながら流れた。
弓形の頂点に、光の束が王冠のかたちに立ち上り、光はきらめきながら空間をつらぬき、やがて静かに薄れていった。
家に帰り着いてベッドに寝かされた小さいザンナは母親に言った。
「お母さん、ゆうべ、お山にすわっていたとき、わたしキリストさまを見たの」
・・・
谷あいの小さな村では、人々は日々の暮らしと生業にいそしみ、大きな事件などめったに起こらない。たまに起こった出来事は、自分自身や先祖が体験したこととして、何世代も語り継がれる。
変化の少ない中で、無骨でずっしりとした人生を終える時代は過ぎていった。
現代の日々猛スピードで流れていく情報は、刹那、刺激的でありながらすぐに忘れ去られる。
忘れ去られているのはむしろ、体験に根差した確かな手触りのある人生のほうではないのだろうかと思う。
昔ウィーンのシューベルト記念館を訪ねた時、同じフロアにシュティフター記念館もあるのを偶然見つけた。
画家でもあったシュティフターの風景画などが展示されていた。
2022年12月17日
「水晶」
posted by Sachiko at 22:32
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2020年05月26日
ティル・オイレンシュピーゲル
中世のトリックスターとして知られるティル・オイレンシュピーゲルは、北ドイツの小さな町メルン(Mölln)に実在したとされているが、詳細はよくわからない。
私がこの名を知ったのは、昔読んだ東山魁夷のドイツ・オーストリア紀行『馬車よ、ゆっくり走れ』の中だった。
本のタイトル自体が、ティル・オイレンシュピーゲルの伝説に基づいている。
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馬車でやってきた男がティルに尋ねた。
「次の町まではどのくらいかかるだろうか」
ティルは馬車の様子を見て答えた。
「ゆっくり行けば4、5時間、急いで行ったら一日がかりだ。」
からかわれたと腹を立てた男は馬車を飛ばした。まもなく車輪が壊れて修理しなければならず、結果一日がかりになった....
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先日のカシオペイアの話から、これもまた「オソイホド ハヤイ」物語だと思いだしたのだ。
リヒャルト・シュトラウスの交響詩でも知られる「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」は、翻訳本が出ているが私は読んだことがない。どうもあまり上品な話ではないらしい。
メルンは、北ドイツに行ったら尋ねようと思っていた町のひとつだった。
グリム兄弟の生地ハーナウから北へ向かういわゆるメルヘン街道は、多くの伝説が残る土地だ。
結局北ドイツへ行く機会は作れなかったし、ドイツも近年すっかり様変わりしたという話を聞く。どこもそうなのだろう。
遠い中世ドイツを思うと、幼い頃から親しんだメルヒェンや伝説のイメージからなのか、自分の中にそこへタイムスリップするような不思議な空間があるのを感じる。
私がこの名を知ったのは、昔読んだ東山魁夷のドイツ・オーストリア紀行『馬車よ、ゆっくり走れ』の中だった。
本のタイトル自体が、ティル・オイレンシュピーゲルの伝説に基づいている。
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馬車でやってきた男がティルに尋ねた。
「次の町まではどのくらいかかるだろうか」
ティルは馬車の様子を見て答えた。
「ゆっくり行けば4、5時間、急いで行ったら一日がかりだ。」
からかわれたと腹を立てた男は馬車を飛ばした。まもなく車輪が壊れて修理しなければならず、結果一日がかりになった....
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先日のカシオペイアの話から、これもまた「オソイホド ハヤイ」物語だと思いだしたのだ。
リヒャルト・シュトラウスの交響詩でも知られる「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」は、翻訳本が出ているが私は読んだことがない。どうもあまり上品な話ではないらしい。
メルンは、北ドイツに行ったら尋ねようと思っていた町のひとつだった。
グリム兄弟の生地ハーナウから北へ向かういわゆるメルヘン街道は、多くの伝説が残る土地だ。
結局北ドイツへ行く機会は作れなかったし、ドイツも近年すっかり様変わりしたという話を聞く。どこもそうなのだろう。
遠い中世ドイツを思うと、幼い頃から親しんだメルヒェンや伝説のイメージからなのか、自分の中にそこへタイムスリップするような不思議な空間があるのを感じる。
posted by Sachiko at 22:39
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2019年04月13日
青い花
今日は今年最初のモンシロチョウを見た。
早春の小さな青い花が咲き始めている。
(左:チオノドクサ、右:シラー・シビリカ)

青い花といえば、ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスの「青い花」を思い出す。
小学校6年の時、遠縁のおじさんが家に来た際、おみやげに少女向けの雑誌をくれた。実際にはそれは当時の私よりもう少し上の、10代半ばくらいの少女が対象のようだった。
楽しく読んだのだが、中身はもうまったく覚えていない。唯一覚えているのが、「夏休みの読書におすすめの本」という記事で、その中にノヴァーリスの「青い花」があったのだ。
他にどんな本が薦められていたのかも全く覚えていない。
私はこの「青い花」に惹かれて図書室で探したが見つからなかった。それはそうだ、小学生が読む本ではない。その後もずっと見つからず、読んだのは大人になってからだった。全集に入っていたものだが、岩波文庫からも出ている。
原題は「ハインリヒ・フォン・オフタディンゲン」で、中世ドイツの伝説の詩人の名を主人公の名前にしている。
物語では、テューリンゲンの青年ハインリヒが、夢で見た青い花に激しく心を動かされたのち、母の郷里アウグスブルクへ旅に出る。旅の途上で出会った人々から詩の世界に引き入れられ、やがて恋人となる少女マティルデに出会う....
テューリンゲンには、ヨハネ祭の日に山上で幻の青い花をみつけると、その下には宝が埋まっているという伝説があるという。
ノヴァーリスは最も純粋なロマン派の詩人で、わずか29歳で世を去った。最期は弟が弾くピアノを聞きながら、友人シュレーゲルの腕の中で息を引き取り、シュレーゲルは、人間がこんなに美しく死ねるものかと驚いたという。
夭折したため、「青い花」も未完である。
純粋な青い花は少なく、たいていは少し紫がかっている。純粋な青は、天界の色らしい。
ブルーローズやブルームーンなど、「ありえないこと」や「ごく稀なこと」を指すのにブルーが使われたりする。
空や海など、一面の青があるところには、神の力がはたらいているという。美しい青い花があったら、それは天の力の一片なのだろう。
早春の小さな青い花が咲き始めている。
(左:チオノドクサ、右:シラー・シビリカ)

青い花といえば、ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスの「青い花」を思い出す。
小学校6年の時、遠縁のおじさんが家に来た際、おみやげに少女向けの雑誌をくれた。実際にはそれは当時の私よりもう少し上の、10代半ばくらいの少女が対象のようだった。
楽しく読んだのだが、中身はもうまったく覚えていない。唯一覚えているのが、「夏休みの読書におすすめの本」という記事で、その中にノヴァーリスの「青い花」があったのだ。
他にどんな本が薦められていたのかも全く覚えていない。
私はこの「青い花」に惹かれて図書室で探したが見つからなかった。それはそうだ、小学生が読む本ではない。その後もずっと見つからず、読んだのは大人になってからだった。全集に入っていたものだが、岩波文庫からも出ている。
原題は「ハインリヒ・フォン・オフタディンゲン」で、中世ドイツの伝説の詩人の名を主人公の名前にしている。
物語では、テューリンゲンの青年ハインリヒが、夢で見た青い花に激しく心を動かされたのち、母の郷里アウグスブルクへ旅に出る。旅の途上で出会った人々から詩の世界に引き入れられ、やがて恋人となる少女マティルデに出会う....
テューリンゲンには、ヨハネ祭の日に山上で幻の青い花をみつけると、その下には宝が埋まっているという伝説があるという。
ノヴァーリスは最も純粋なロマン派の詩人で、わずか29歳で世を去った。最期は弟が弾くピアノを聞きながら、友人シュレーゲルの腕の中で息を引き取り、シュレーゲルは、人間がこんなに美しく死ねるものかと驚いたという。
夭折したため、「青い花」も未完である。
純粋な青い花は少なく、たいていは少し紫がかっている。純粋な青は、天界の色らしい。
ブルーローズやブルームーンなど、「ありえないこと」や「ごく稀なこと」を指すのにブルーが使われたりする。
空や海など、一面の青があるところには、神の力がはたらいているという。美しい青い花があったら、それは天の力の一片なのだろう。
posted by Sachiko at 21:36
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2019年02月14日
アルザス
アルザスは、私が唯一フランスの中で足を踏み入れた土地だ。
たぶんドイツ語が通じるだろうし、ドイツ時代の名残が感じられるだろうか..と思ったのだ。
シュトラースブルク(フランス名ストラスブール)は、若きゲーテゆかりの地でもある。木組みの家々など、旧市街はドイツ風だった。
ゲーテはシュトラースブルク大学留学時代、「ファウスト」のヒロイン、グレートヒェンのモデルになった少女フリーデリケと出会い、短い恋ののち、彼女のもとを去った。
シューベルトの歌曲で知られる「野ばら」の詩も、フリーデリケのことをうたったのだと言われている。
アルザスは昔から、ドイツとフランスが戦争をするたびに、ドイツ領になったりフランス領になったりしていた。
フランスの作家アルフォンス・ドーデの「最後の授業」という短編がある。
------------------
アルザスの学校に通う少年が、ある日友だちといっしょに学校をずる休みして遊びにでかけた。だがやがて気になって学校に戻り、窓からのぞいてみると、なんだかようすがおかしい。
生徒だけでなく村の大人たちがみんな、老人たちまでもが学校に集まり、古い教科書を開いて熱心に授業を聞いている。
先生が少年たちに気づいて、早く教室に入るように言った。
戦争に負けてアルザスがドイツ領になり、明日からはドイツ人の先生が来て授業はドイツ語で行われる。この日はフランス語での最後の授業だったのだ。
少年はこんな大事な日にずる休みしようとしたことを後悔する...
-----------------
しかしどうやら、この物語には裏があったようだ。
物語ではフランスとフランス語への愛が熱く語られているが、アルザスの人々がふだん話していた言語は、元々がドイツ語方言であるアルザス語だったのだ。
アルザス出身のアルベルト・シュヴァイツァーは子どもの頃からふつうにバイリンガルで(ドイツ語とフランス語)、じぶんの母国語はどっちだろうかと考えた時、夢の中で話しているのはドイツ語なので、きっとドイツ語だろうと思った、というエピソードがある。
ラインの西岸、シュトラースブルク。私としてはやはりドイツ名で呼びたくなってしまう。
たぶんドイツ語が通じるだろうし、ドイツ時代の名残が感じられるだろうか..と思ったのだ。
シュトラースブルク(フランス名ストラスブール)は、若きゲーテゆかりの地でもある。木組みの家々など、旧市街はドイツ風だった。
ゲーテはシュトラースブルク大学留学時代、「ファウスト」のヒロイン、グレートヒェンのモデルになった少女フリーデリケと出会い、短い恋ののち、彼女のもとを去った。
シューベルトの歌曲で知られる「野ばら」の詩も、フリーデリケのことをうたったのだと言われている。
アルザスは昔から、ドイツとフランスが戦争をするたびに、ドイツ領になったりフランス領になったりしていた。
フランスの作家アルフォンス・ドーデの「最後の授業」という短編がある。
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アルザスの学校に通う少年が、ある日友だちといっしょに学校をずる休みして遊びにでかけた。だがやがて気になって学校に戻り、窓からのぞいてみると、なんだかようすがおかしい。
生徒だけでなく村の大人たちがみんな、老人たちまでもが学校に集まり、古い教科書を開いて熱心に授業を聞いている。
先生が少年たちに気づいて、早く教室に入るように言った。
戦争に負けてアルザスがドイツ領になり、明日からはドイツ人の先生が来て授業はドイツ語で行われる。この日はフランス語での最後の授業だったのだ。
少年はこんな大事な日にずる休みしようとしたことを後悔する...
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しかしどうやら、この物語には裏があったようだ。
物語ではフランスとフランス語への愛が熱く語られているが、アルザスの人々がふだん話していた言語は、元々がドイツ語方言であるアルザス語だったのだ。
アルザス出身のアルベルト・シュヴァイツァーは子どもの頃からふつうにバイリンガルで(ドイツ語とフランス語)、じぶんの母国語はどっちだろうかと考えた時、夢の中で話しているのはドイツ語なので、きっとドイツ語だろうと思った、というエピソードがある。
ラインの西岸、シュトラースブルク。私としてはやはりドイツ名で呼びたくなってしまう。
posted by Sachiko at 22:07
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| ドイツ・オーストリア
2019年02月13日
ブレンナー峠
北と南を分けるものの話で、ずっと昔に読んだ、あるドイツ文学者のエッセイに出てきたブレンナー峠のことを思いだした。
ブレンナー峠は、オーストリアとイタリアの国境にあり、この峠を境にヨーロッパの北と南をはっきりと分かつように景色が一変するのだと書かれていた。
当時の私はそれを確かめてみたくなった。
それで、インスブルックから、とりあえず南チロルのボーツェン(イタリア名はボルツァーノ)へ向かった。
峠までの景色は、晴れているのにどこかうっすらとヴェールがかかったような水色の空と、白や黄色や薄紫の、アルプスらしい清楚な小花が一面に咲いていた。
そしてブレンナー峠を超えると....
不意にヴェールを取り払ったように真っ青な空が広がり、やがて緑の野に点々と、あるいはところどころかたまって咲いている、真っ赤なケシの花!イタリア!!
あの話は本当だったか...と思った。
南チロルは元々はオーストリアだったが、第一次大戦で負けたためにイタリアに持っていかれたのだ。
それで道路などの表記はドイツ語とイタリア語が併記されて、ドイツ語を話す人たちとイタリア語を話す人たちが混在していたが、今はどうなったことだろう。
さらに南へ行くと、絵画でしか見たことのない糸杉やオリーブ畑を見て大いに感激したのだった。
故・子安美知子氏が、ミヒャエル・エンデと行動を共にしたとき、エンデはドイツにいる時とイタリアにいる時とでは気質が変わるというようなことを何かの本に書いていた。
やはり土地には、人の内面に作用する何らかのエネルギーがあるようだ。
ブレンナー峠は、オーストリアとイタリアの国境にあり、この峠を境にヨーロッパの北と南をはっきりと分かつように景色が一変するのだと書かれていた。
当時の私はそれを確かめてみたくなった。
それで、インスブルックから、とりあえず南チロルのボーツェン(イタリア名はボルツァーノ)へ向かった。
峠までの景色は、晴れているのにどこかうっすらとヴェールがかかったような水色の空と、白や黄色や薄紫の、アルプスらしい清楚な小花が一面に咲いていた。
そしてブレンナー峠を超えると....
不意にヴェールを取り払ったように真っ青な空が広がり、やがて緑の野に点々と、あるいはところどころかたまって咲いている、真っ赤なケシの花!イタリア!!
あの話は本当だったか...と思った。
南チロルは元々はオーストリアだったが、第一次大戦で負けたためにイタリアに持っていかれたのだ。
それで道路などの表記はドイツ語とイタリア語が併記されて、ドイツ語を話す人たちとイタリア語を話す人たちが混在していたが、今はどうなったことだろう。
さらに南へ行くと、絵画でしか見たことのない糸杉やオリーブ畑を見て大いに感激したのだった。
故・子安美知子氏が、ミヒャエル・エンデと行動を共にしたとき、エンデはドイツにいる時とイタリアにいる時とでは気質が変わるというようなことを何かの本に書いていた。
やはり土地には、人の内面に作用する何らかのエネルギーがあるようだ。
posted by Sachiko at 21:10
| Comment(2)
| ドイツ・オーストリア