2018年11月01日

いっしょにいるけれど、ひとり

「ムーミン谷の十一月」より。

旅に出たスナフキンは、作曲をしようとして、5つの音色のことを思い出した。それはこの夏ムーミン谷でひらめいたものだった。あの音色を使って作曲をする時が来たのだと思ったが、音色はやってこなかった。
あの音色はムーミン谷においたままで、谷に戻らなくては自分のところに帰ってこないことが、スナフキンにはわかった。

ムーミン屋敷に、ムーミン一家の姿はなかった。どこかへ行ってしまっているのだ。からっぽのムーミン屋敷に、いろいろな理由でやってきた人々が集まっている。
フィリフィヨンカ、ヘムレンさん、ミムラ姉さん、スクルッタおじさん、ホムサ・トフト.....

ムーミン谷は理想郷ではないというけれど、それでもどこか理想郷のように見えたのは、ムーミンファミリーがいたからなのか...
戻ってきたスナフキンは、よく言えば個性的、そうでなければ面倒な人々に煩わされ、ムーミン一家が恋しくてたまらなくなる。
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・・・ムーミンたちだって、うるさいことはうるさいんです。おしゃべりだってしたがります。どこへいっても顔があいます。でも、ムーミンたちといっしょのときは、自分ひとりになれるんです。いったいムーミンたちはどんなふうにふるまうんだろう、と、スナフキンはふしぎに思いました。夏になるたびにいつも、ずっといっしょにすごしていて、そのくせ、ぼくがひとりっきりになれた秘密がわからないなんて。(本文より)

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フィリフィヨンカもヘムレンさんもミムラ姉さんも、他の巻にも登場しているのに、ムーミンファミリーがいないとなぜこんなに騒がしく面倒な人たちに見えるのだろう。
スナフキンはテントの中に一人でいてさえ、この人たちの幻に悩まされる。

相手をひとりぼっちにせずに、自由にしておくことができる人々。ムーミン家の中でもとくにこの能力に長けているのはムーミンママだ。

ムーミン谷で一番自由なのは、実はムーミンママだというのも頷ける。
スナフキンのように、旅やテント暮らしや人々を遠ざけておくことなど、自由のためのあれこれを必要としない。ことさら自由について考えをめぐらすこともないかもしれない。

意識することもない自然な自由、そこにムーミンママのおおらかな優しさが加わって、空気のように人々のあいだに流れ、どんな人をも居心地よく感じさせるのだろう。
いっしょにいるけど、ひとりでいられる....これは関係性の極意のような気がする。
 
posted by Sachiko at 21:36 | Comment(2) | ムーミン谷
2018年10月17日

スナフキンが旅立つ頃

10月も後半になって、スナフキンが旅に出る日も近くなった頃だ。

ある秋の朝、旅立ったスナフキンが、ひとりぐらしのフィリフィヨンカが住む家の前を通って驚く場面がある。
庭がすっかり片付けられてからっぽになっていたのだ。
家のまわりによくあるようなものが何もない。しまい忘れた熊手、バケツ、置き忘れた帽子、猫のミルクのお皿など。

…なにもかもがほうり出されたまま、あしたになるのを待っているなんて、のどかで、人の住んでいる家らしくて、いい気持ちのものなのに…(「ムーミン谷の11月」より)

家で暮らすことを好まないスナフキンも、人の住んでいる気配がすっかり消えた家のようすに驚くのだ。

でもこのフィリフィヨンカはどこかへ行ったのではなく、空家のようになった家の、いちばん奥の部屋にいた。どうやら冬じたくをしていたらしい。秋は、せっせと冬じたくのたくわえをして、安心なところへしまいこむとき.....

…じぶんの持ちものを、できるだけ身ぢかにぴったりひきよせるのは、なんとたのしいことでしょう。じぶんのぬくもりや、じぶんの考えをまとめて、心の奥ふかくほりさげたあなに、たくわえるのです。その安心なあなに、たいせつなものや、とうといものや、自分自身までを、そっとしまっておくのです…(「ムーミン谷の11月」より)

冬についての、この考えはすてきだ。心の奥深くに冬ごもり...これは、根雪や吹雪や氷点下の、本ものの冬があるところでなければ。

人が住んでいないかのような生活感のない家がオシャレだという価値観は、まだはやっているのだろうか。
お客さんが来たときに冷蔵庫を隠すためのついたてが売られているという話を聞いて、なんだそりゃ...と思ったことがある。
家を訪ねてくるような間柄なのに、そんな小細工をしなければならないって、いったいどんな関係なんだろう....まぁほうっておこう。

それよりも、その人がその人らしいやり方で暮らしている家はすてきなのだ。
ところでうちのスナフキンは、春に庭へ旅立ち、秋に球根を植え終わった頃に帰ってくる。
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snuffkin.jpg
 
posted by Sachiko at 22:18 | Comment(2) | ムーミン谷
2018年10月03日

多様な存在たち

夜のパパとユリアの物語で、お父さんとお母さんと子どもというふつうの家族ばかりではないことを知ってほしい、という話が出てくる。

それで(とりあえず北欧つながりということで...)ムーミン谷のことを思った。
ムーミン谷の登場人物で、お父さんとお母さんと子どもという形態を持っているのは、ムーミンファミリーだけだ。

スノーク兄妹は子どもだけで暮らし(スノーク兄は大人なのかな?)、スナフキンやスニフは、ムーミンパパの若い頃の思い出話を聞くまでは、自分の両親のことを知らなかったように見える。
フィヨンカ夫人には子どもたちがいるけれど夫の話は出てこない。

こうなるとムーミンファミリーが「普通」とは言えないような...
そのムーミンファミリーも、一時は異種族のミイを養女にしていたこともある。

ムーミン谷には姿かたちが大きく異なるさまざまな種族が住んでいるが、その「違い」が問題にされたことはない。
みんながそれぞれ、そのように在ることがあたりまえなのだ。
この自由さ、多様さ。これはムーミン谷の大きな魅力のひとつだ。

ムーミン谷は理想郷というわけではない、と言われる。
ではどんなふうだと理想郷なのだろうか。

全員がいい人で、みんな仲良しで、いつもニコニコしていて、何一つ問題は起こらず....?
いや、まっぴらだ。書いていてゾッとしてきた。
こんなことを理想と思うなら、その真逆の世界しか作れないだろう。

ムーミン谷では、むしろ何でも起こり得る。
彗星接近も洪水も、パパやママの家出も起こる。面倒な人たちも、暗く冷たい存在もいる。
どんな存在も、自由に自分自身を生きられること、またはその地点へ向かっていくこと。
そこから外れた理想というものを思いつかない。


これはアーシュラ・K・ル・グウィンの本「いまファンタジーにできること」の帯に書かれている言葉.....この1行だけで、なんとすてきな世界が広がることだろう。
「翼や、しっぽや、角のある友とともに」

ursula.jpg
 
posted by Sachiko at 22:16 | Comment(6) | ムーミン谷
2018年08月01日

〈生きもの〉たち

ムーミン谷の住人たちは、作者の言葉によれば「動物でも人間でもなく、もちろん妖精でもない、しいて言えば〈生きもの〉」ということだ。

〈生きもの〉という言葉、そういえば意外に使われないかもしれない。
それが生きものだとあまり意識されない場合もある。たとえば植物、たとえば地球。

〈生きもの〉この言葉、いいな。
目にするすべてのものをそう呼んでみたらどうだろう。
草も木も虫も、山も川も。
なんだか、古い時代の、あるいは先住民たちの自然観に似てくる。

頭でっかちになった近代以降の人間は、昔の人間は愚かだったから何でも擬人化したのだ、などと考えた。見えなくなったのは自分たちだとは気づかずに。

でもこの時代は、通らなければならなかったのだろう。すべてを体験するためには。
そしてまた、時代は変わろうとしている(そう信じたい)。
以前、ムーミン谷は魂の世界に似ていると書いたけれど、住人たちの多様性は、自然界にも似ている気がする。

近代以降、どれほどの数の動植物が絶滅しただろう。〈資源〉は、どんなにむさぼっても魂が満足することはない。でも生きものを〈生きもの〉として見るとき、魂は喜ぶ。
〈生きもの〉たちがいのちにおいてつながり、それぞれが多様なダンスを踊る。これが地球自然界の豊かさだったはずだ。
  
posted by Sachiko at 21:51 | Comment(2) | ムーミン谷
2018年06月11日

戦わないヒーロー・2

ムーミンの物語には、善と悪の戦いというテーマはないので、これは少し違うのかもしれないけれど....
それでもムーミン谷には、危険で恐れられているものが存在する。

モランが通ったところは凍りつき、1時間以上座っていた場所は、永久に何も育たなくなるのだという。
温まろうとして焚火に近づいても、火が消えてしまう。


『ムーミンパパ海へ行く』では、ママがベランダにともしたランプのあかりに惹かれて、モランがやってくるが....

ムーミン一家が島で暮らすことにしたため、その日モランがやってきても、ベランダにあかりがついていなかった。モランはあかりを追って島へ渡ろうとするが....

モランを水際で止めて島に上がらせないために、ムーミンは夜ごとカンテラを持って海岸へ行く。
不思議なことに、モランはあかりをみつめたあと、嬉しそうに踊るのだ。いつしかこれは儀式のようになっていった。

なのに、ある日灯油が底をつき、あかりをともせなくなった。
モランがどんなにがっかりするか、ムーミンは友達を裏切ってしまったような気分になる。

カンテラを持たずに、ムーミンは海岸に向かった。何もしてやれることはないのだが....

ふいにモランは歌いはじめ、体をゆすり足を踏み鳴らして踊る。カンテラはなくてもよかった。
ムーミンが会いに来てくれたことを喜んでいるのだ。

モランが踊り終わって帰っていくまで、ムーミンはそこにいた。
モランがいた場所は、凍っていなかった.....


このシーンは、シリーズ全編の中でも圧巻のひとつだと思う。

この恐ろしい魔ものに対しては、不思議と、真逆のようにあたたかく優しいムーミンママが理解を示していた。

「あのひとが冷たいのは、誰のことも好きではないからよ」

モランは、何かを破壊する意図を持っているわけではないようだ。
ただ、愛されず、愛さないことによる恐ろしいまでの孤独のせいで、そうなってしまう。
そこに感じるのは、邪悪さよりもむしろ悲しさだ。

カンテラの灯りに惹かれ、焚火で温まろうとし、ムーミンが示した友情に喜んで小躍りするようなものが、真に悪だろうか。そもそもムーミン谷には、真底邪悪な存在はいないのかもしれない。

前に書いたように、ムーミン谷は、魂の世界のようにも見える。
魂の内で、もっとも暗く冷たく孤独な存在に対し、戦うのではなく認め、受け入れることで、それは温まり、救われる。
それには勇気がいる。まさにこのときのムーミンは、戦わないヒーローだったのだと思う。
  
posted by Sachiko at 21:41 | Comment(2) | ムーミン谷