2018年12月07日

雪の魅力

ここはうちの水浴び小屋だ、と言うムーミンに、トゥティッキは、夏はあんたのパパのものでも、冬は自分のものだと主張する。
ストーブの上の鍋の中でスープが煮えていた。

ムーミンは言った。
「雪のことを話してくれない?ぼくらは雪のことは、ちっともしらないんだもの。」

「…雪って、つめたいと思うでしょ。だけど、雪小屋をこしらえて住むと、ずいぶんあったかいのよ。雪って、白いと思うでしょ。ところが、ときにはピンク色に見えるし、また青い色になるときもあるわ。どんなものよりやわらかいかと思うと、石よりもかたくなるしさ。なにもかも、たしかじゃないのね。」

これはほんとうにそうだ。
野菜を凍らせないために、雪の中で保存することもできる。雪小屋の中では、アイスクリームは溶けてしまう。

夕焼けの中で、雪はピンクに染まる。日没後の、青インクを溶かし込んだような空気の中では、雪もすばらしく青い。
降り積もったばかりのパウダースノーの陰が、やや緑がかった何ともいえない美しい水色に見えることもある。氷河のようなアイスブルーだ。
大きな雪片がふわふわと落ちてくることもあれば、パウダースノーが風に巻き上げられる吹雪もある。

ムーミンは思う。
(お日さまは、これきりもう、のぼらないのではないだろうか。)

この気分は、わかる。うず高く積もった雪は、もうこれきりとけないのではないだろうか...そんな気分になることもある。
それでもある日気がつけば雪山はずいぶん小さくなっていて、ついにはほんの一握りになり、そして、春が来るのだ。

雪は音を消す。そして雪が静かに降りつづくとき、時間さえも消してしまうように思える。
 
posted by Sachiko at 21:08 | Comment(2) | ムーミン谷
2018年12月06日

オーロラ

「ムーミン谷の冬」より。

林の中で、夜の闇とさびしさに怯えながら道を急ぐムーミンの目に、小さなあかりが見えた。

雪玉を積み上げた中にろうそくを灯したランプの向こうで口笛を吹いていたのがトゥティッキ(邦訳:おしゃまさん)だった。

「わたし、北風の国のオーロラのことを考えてたのよ。あれがほんとうにあるのか、あるように見えるだけなのか、あんた知ってる?…」

ムーミンは、空に輝いている緑色のカーテンをながめて言った。

「ぼく、あれはたしかにあると思うな。」


オーロラは、実在するプラズマが発光しているのだからあるのだろうけど、あらためて言われると一瞬迷う。
虹は、そこに実在しない。そう見えるだけなのだ。でもそれを「ない」と言ってしまえるのか....

オホーツク海側など北海道東部では、10年に1度くらいオーロラが観測される。気象条件なども関係するので、実際に見られる頻度はもっと少ないらしいが、母が子どもの頃見たと言っていた。「オーロラだ!」という近所の人々の声で外に出ると、赤い光がぼうっと拡がっていて、火事かと思ったそうだ。

北海道で見られるのは低緯度オーロラといって、赤い光だけだ。
アラスカや北欧など高緯度の場所で見える緑のカーテンは、オーロラができる上空の中でも低い位置にあり、高い位置のオーロラは赤い色をしている。低緯度地域からは、この赤い部分だけが見えるのだ。


「…あんた知ってる?ものごとってものは、みんな、とてもあいまいなものよ。まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね。」

こうしてムーミンは、冬の案内人トゥティッキに出会った。
ムーミンが、帰ろうとするトゥティッキについていくと、そこはムーミンパパの水浴び小屋だった....


トゥティッキが作っていた雪玉のランプは、北国ではよく知られた遊びで、ターシャ・テューダーの本にも出てくるし、私も作ったことがある。

雪玉を作るには、ある程度の湿雪でなくてはならず、パウダースノーはさらさらしていて固まらない。
子どもの頃、パウダースノーで雪玉を作ろうとすると、全部手袋にくっついて崩れ落ちてしまった。
雪の話はまだ続く.....
 
posted by Sachiko at 20:46 | Comment(2) | ムーミン谷
2018年12月05日

冬の目覚め

「ムーミン谷の冬」より。

ムーミンたちは、先祖代々のならわしで、11月から4月まで冬眠をする。
でもある冬、ムーミンはふいに冬眠から目覚めてしまい、それきり冬眠に戻ることができなくなってしまったのだ。

ムーミン屋敷は、まるで見慣れないもののような姿でそこにある。ママを起こそうとしたが、ママは目覚めない。

「世界じゅうが、どこかへいっちゃったよ。」

皆が、それも一番近い家族が眠っている中、たったひとり目覚めてしまう....

これは現実の眠りにおいてか、それとも“意識”においてか、いずれにしてもこのあとに見聞きすることや起こることに、ムーミンはひとりで対するしかない。

スナフキンの春の手紙を探し、何度も読み返す。スナフキンに会いに南へ行こうと思い立つが、戸も窓も凍りついている。
ようやく屋根裏の引き戸から外に出ると、そこは見たこともない世界だった。
緑はなく、白一色。すべては静止し、物音もしない....

「これがきっと、雪というものなんだ。」

南へ向かって歩いていると、おさびし山が見えた。あの山の向こうにスナフキンはいる...
ムーミンは思う。ぼくがいま、あの人にあうためにこの山をのぼっていると、あの人が知っていてくれたら、ぼくは、この山をこえていけるんだがなあ。

これはまさしくそうなのだ。向こう側からも、こちらに向かって伸ばされている手があるとわかっていれば、道のりは半分になる。でもこの時のムーミンには、それは望めないことだった。

すべてが凍りつき、色も音も動きもなくなってしまったような、北国の冬。けれどその中に入り込んでいくと、冬ならではの色や音が現れてくる。

雪はけっして白一色ではなく、いつも冷たいわけでもない。
ムーミンがこのあと出会うトゥティッキは、そんな雪のさまざまな表情について話してくれる。この続きはまた明日....
 
posted by Sachiko at 21:37 | Comment(2) | ムーミン谷
2018年11月13日

ムーミン谷へ向かう人々

「ムーミン谷の十一月」より。
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ずいぶん前から誰ともつきあわなくなっていたひとり暮らしのフィリフヨンカは、そうじをしながら思った。
「わたし、もうフィリフヨンカになっているのなんていやになっちゃったわ...」

食器棚にはお皿がいっぱい、でも使うのはたったひとり...私が死んだら、誰が使うの....
フィリフヨンカはよその家を訪ね、人に会いたくなった。ゆかいで、うすきみの悪いことなんか考えない人たち、ムーミン一家の人たちに。

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ある朝目覚めたヘムレンさんは、すっかり自分がいやになっていた。なにか、ぼくの知らない、ちがったものになりたい....

楽しいことを思い出そうとしているうちに、ムーミン谷での夏の思い出が浮かんだ。ムーミン一家のことは、やさしくていい人たちだった、ということをぼんやり思い出すだけだった。
でも南の客間で目を覚ましたときの楽しくてたまらなかった気持ちは、よくおぼえていた。
そうしてヘムレンさんはムーミン谷へ向かう。

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その人は、ある朝目が覚めると、自分の名前を忘れていた。それで自分で名前をつけることにした。新しい名前は「スクルッタおじさん」。
そして、自分は何をしたいのか考えた。そうだ、あの谷へ行ってみたいんだ。
スクルッタおじさんは古いものをすべて後にし、しあわせな谷をめざして歩きだした。


ここに、自分の物語の中に入り込んだホムサ・トフト、ムーミン一家の養女になったミイに会いに来たミムラ姉さん、置き忘れた“音色”を取りに戻ってきたスナフキンが加わり、奇妙な日々が始まる。

ミムラ姉さんは、フィリフヨンカやヘムレンさんと違って自分のすべてが気に入っている。
「わたし、ミムラに生まれてほんとうによかったわ」

それぞれがそれぞれの思いを持ってムーミン屋敷に集まるが、みんな、ムーミン家の人たちのことを、それほどよく知らないらしい。
よく知っているはずのスナフキンでさえ、ここでムーミンたちについて新しい発見をする。

美しいムーミン谷と、そこに暮らすしあわせなムーミン一家というイメージを、なぜかみんなが持っている。この求心力は何だろう。

旅の向こうには何らかの「求め」がある。
その求めを満たしてくれるはずのムーミン一家はいない。それでもいつの間にかみんなは何かを見出し、それぞれの場所に帰っていった。

この巻では周りの他者目線だけで描かれるムーミン一家のイメージは「いないけれど、いる」という不思議な色合いを帯びて見える。
 
posted by Sachiko at 22:19 | Comment(2) | ムーミン谷
2018年11月07日

ホムサ・トフトの話

ムーミン谷の住人は、なぜかそのほとんどが固有名ではなく種族名で呼ばれる。ムーミンは、ムーミン族でもあるのだ。
ムーミンパパとムーミンママも、結婚前はムーミンとムーミンのお嬢さんと呼ばれていたのだろうか。
(固有名のないパパとママといえば、他に思い出すのはバカボンのパパ&ママくらいだ。)

アニメ版のフヨンカ夫人は子持ちだったけれど、原作のフィリフヨンカは独り者のようだ。なんだかごっちゃになっている。
でもフィリフヨンカというのも種族名なので、いろいろなフィリフヨンカがいるのだろう。

ホムサ・トフトは「ムーミン谷の十一月」だけに登場する。そしてホムサ族の中で、トフトだけが固有名を持っている。
トフトは、自分で作ったお話を自分に聞かせる。それは、行ったことのないムーミン谷と会ったことのないムーミン一家のお話だった。

お話の中のムーミン谷は美しく、そこには幸せなムーミン一家が暮らしている。
林の坂道を下りていくと谷間がひらけて、日の光にきらめく野原が現れる。夏の青葉、草の上の光、マルハナバチの羽音、いい香りと涼しい川の音....
ライラックの木、リンゴの花、朝日のあたるベランダ.....

ホムサ・トフトはいつも、お話の中でムーミンママに会う前に眠ってしまう。お話が先へ進まないので、トフトはついに、ほんとうにムーミン谷へ旅することにした。
でもムーミン屋敷にムーミン一家はいなかった。

トフトは騙されたような気分になる。ぼくが会いたいのはママだけなんだ!
スナフキンは問う。ママのほうが会いたいのは誰だろう?と。

庭を歩きながら、ホムサ・トフトは思う。

・・・ただ親切なだけで、人のことが、ほんとうに好きではないような友だちなら、ほしくないや。それに、自分がいやな思いをしたくないから親切にしているだけの人もいらないや。こわがる人もいやだ。ちっともこわがらない人、人のことを心から心配してくれる人。そうだ、ぼくはママがほしいんだ。

トフトの中ですっかり理想化されたムーミンママ...
ミムラ姉さんは、ママだって腹を立てたときは家の裏の気味のわるい森へ行くのだ、と言った。でもほんとうはミムラ姉さんはママのことを何も知らなかったのだ。
「ママはそんな人じゃない!」と、トフトは叫ぶ。

ムーミン屋敷に集まって時をすごしたみんなは去り、そして、島から帰ってくるムーミン一家を迎えるのはトフトの役目だと知るスナフキンもふたたび旅立った。

トフトは家の裏の“怒りの森”へ行ってみる。そこを歩いているうちに、理想化されたママのイメージが変わり、時には怒ったり悲しんだりもするママが自然に思えた。ママをなぐさめるにはどうしたらいいのだろう?

待ち続けるトフトの目に、ムーミンパパのヨットにともるカンテラのあかりが見えたところで、物語は終わる。そしてこの「ムーミン谷の十一月」が、ムーミンシリーズの最後の巻なのだ。

他の巻には登場しないホムサ・トフトというなじみのないキャラクターと、最終巻にムーミン一家が登場しない奇妙さ。

この不思議な幕引きのあと、トフトがどんなふうにママと会ったのかはわからない。でもこのときのトフトは、自分の物語の中でママを理想化していたトフトとは違っているはずだ。
物語から出た世界でも、生身のママはやっぱり優しく受け入れてくれたことだろう。
 

posted by Sachiko at 22:36 | Comment(2) | ムーミン谷