2019年02月11日

「満月の夜のさんぽ」

1年間の満月の夜の散歩のお話。
(フランシス・ハマーストロム 偕成社)

fullmoon.jpg

お母さんは、小さな兄妹アランとエルバに、「これから一年間、毎月満月の晩に〈探検〉に連れて行ってあげましょう」と約束した。
満月の夜にはいつも、すばらしいことが起こった.....

鳥の鳴き声に誘われたり、ホタルの群れを見たり、クローバーは夜には葉を折りたたむことを発見したり、自然の中にはたくさんの驚きがある。

そしてやはり冬は格別だ。
大雪のあとの凍った池の上で、二匹のキツネがジャコウネズミを取りあってじゃれている。

零下35度の中、オコジョたちが跳びまわって遊んでいる。できるだけ静かに近づくが、オコジョは木の根元の巣穴に隠れてしまった。

小さいエルバは雪の上のキラキラを数える。お母さんがつぶやく。
「…草の上や木の葉の上や雪の上の、何百万、何千万というキラキラに、だあれも気がついてないわ。そう、わたしたちだけは別ね。」

エルバが鹿をそばで見たいと言ったので、窓辺にリンゴを置いて、鹿が食べにくるのを観察する。

お母さんが木から折り取ったつららを子どもたちが舐めてみると甘い。
嵐で割れたシュガーメープルの木から樹液がしみでて凍ったのだ。

たくさん折り取ったつららをパーカーに包んで持ち帰り、バケツに入れて煮詰める。ずいぶん時間がかかったが、ついにみんなは本物のメープルシロップをかけたホットケーキにありついた。

あとがきにはこう書かれている。
わたしのふたりの子どもたちアランとエルバは、月夜に探検したことをけっして忘れることがないでしょう。

数年後大きくなったエルバは言った。
「わたしもきっと、子どもたちをつれて満月の夜に散歩をするわ。」


そこにはすばらしい自然が拡がっていた。
雑木林、池、鳥や虫や動物たち、季節ごとの植物、雪、樹氷。そしてそれらを照らす月の光。
子ども時代にとって、なんとすてきな糧だろう。

雪の上のキラキラは、都会でも見られるし、ほんとうに美しい。気がつかずに通り過ぎてしまうのはもったいない。
 
posted by Sachiko at 22:21 | Comment(2) | 児童文学
2019年01月15日

子どもの本の話

昨日紹介した、リリアン・スミスの「児童文学論」は、1953年に出版されたものだ(日本語訳は1963年)。

これほど古いにもかかわらず、そこで述べられている子どもの本への姿勢はまったく古くなっていないどころか、まさに今この時代にこそ必要とされているように思えることが多くある。

古い本なので、取り上げられている作品は「不思議の国のアリス」「宝島」「トム・ソーヤ」などの古典がほとんどだ。
古典の寿命がどのくらいかについてはまた別の話として、子どもの本の書き手による言葉を挙げてみる。

「私は、何事にも最良のりっぱなものだけが、子どもにふさわしいものだということを知っている。」(ウォルター・デ・ラ・メア)

「十歳のときに読む価値のある本は、五十歳になって読み返しても同じように(しばしば小さいときよりはるかに多く)価値があるというものでなければならない。」(C・S・ルイス)

ルーシー・M・ボストンが子どもの時にほんものの文学に触れて衝撃を受けた話、自伝本が手元にないので、その本物がシェイクスピアだったかテニスンだったか忘れてしまったけれど、そういう衝撃の一瞬はあるものだ。


これは私の体験で、7歳のとき、当時美術系の大学をめざしていた従姉に、デパートの中にあった小さなギャラリーに連れて行かれた。何の展覧会なのかはわからなかった。

ただ、初めて見たほんものらしき絵に衝撃を受けたのだ。
静物画の小品で、有名な作者だったのかどうかもわからないけれど。
あとでその構図を思い出しながらこっそりまねてみようとしたが、もちろん手に負えるはずもなかった。
あのとき衝撃を受けたということは、はっきり覚えている。

もうひとつ、子どもというには少し大きくなった中学1年のとき、同級生が本に載っていた短い詩を見て「何これ〜〜、これ詩?アハハ〜」と笑い転げていた。

一瞬私も引きずられそうになったが、何かが止めた。
いや....これ、なんだかすごい詩じゃないか?と感じたのだ。
八木重吉のちいさな詩だった。

 ほそい がらすが ぴいん と われました

たった1行の詩。これは...やっぱりとんでもなくすごい....
でも笑い転げている子には黙っていた。

こういうことにはもちろん相性(というよりその子どもが誰か、ということか)があり、仮に私が当時「ほんもの」の野球の試合を見に行ったとしても、退屈して帰ってくるだけだっただろうが、別の子どもはそこで衝撃を受けたかもしれない。それぞれの世界があるのだ。

幼い日に何がその子どもの内奥の扉を叩くのか、この喧噪の時代にあっても、子ども自身がその小さな音をかき消されず聴けるようにと願う。
 
posted by Sachiko at 22:41 | Comment(2) | 児童文学
2018年12月20日

禁煙先生

ケストナー「飛ぶ教室」より。

その人は、菜園の中の、廃車になった禁煙車両に住んでいる。
生徒たちは、舎監のベク先生に言いにくいことや、正と不正を区別するのが難しいような場合、禁煙先生に知恵を借りに行く。

禁煙先生のほんとうの名前を誰も知らない。
噂では、毎晩町はずれの料理店でピアノを弾いているということだった。少年たちにとってはそれはどうでもいいことで、禁煙先生が立派な賢い人だというのは確かだった。

禁煙先生は、生徒同士の捕虜救出作戦にも、面白がって知恵をさずけてくれるのだ。
少年たちの話から、正義先生の本名を知ったとき、禁煙先生はかすかにびくっとした。

ベク先生の少年時代の話を聞いた翌日、昼食後に、ヨーニーとマルティンは、ベク先生を散歩に連れ出し、たずねた。

「お友だちは、なにを職業にしていたんですか」
「医者だった。だから妻や子を助けることができなかったのが、ひどく心にこたえたのだろう...」

菜園のそばを通って客車のところまで来ると、ヨーニーは先生に、この中に住んでいる人に会ってもらいたい、と言った。

こうして禁煙先生とベク先生は再会し、マルティンとヨーニーはそっと立ち去った。ふたりは菜園を走り抜け、垣根を乗り越える前に、手を握りあった。

…それは無言の約束をしているようでした。ことばではまったくいいあらわせない約束を。(本文より)


その後、ベク先生は料理店に禁煙先生を訪ね、学校の老校医の後継者に推薦してもらうことを提案し、受け入れられた。

友情は、現代において失われてしまった美しいもののひとつだ、というようなことをシュタイナーが言っていた。
確かに、19世紀文学などで描かれている友情は、まるで熱い恋愛のようで、現代人の感覚からすると引いてしまうくらいだ。
シュタイナーが「現代人の魂は冷えきってしまっている」と言った時代から、すでに100年経っている。
 
posted by Sachiko at 22:13 | Comment(2) | 児童文学
2018年12月19日

正義先生

「飛ぶ教室」より。

正義先生というあだ名のヨハン=ベク先生は、生徒たちから多大な尊敬を受けていた。
その一つのエピソード。

ギムナジウムの生徒と実業学校の生徒は、“有史以前から”の戦いを続けているらしい(その実、双方楽しんでいるようすでもある)。

ある日、ふたりの通学生が帰りに実業学校の生徒たちに襲われ、書き取り帳を奪われたうえ、ひとりが捕虜になった。
捕虜救出作戦のために規則を破って校舎を離れたことが、寄宿舎を仕切っている最上級生(美少年テオドルと呼ばれている)に見つかり、5人の少年たちは舎監のベク先生のところへ連れていかれた。

ベク先生は、この件でなぜ自分に外出許可を取りに来なかったのか、自分は信頼されていなかったのか?と、ひとつの話を始めた。昔、生徒としてこの寄宿舎にいた少年の話だった。

あるとき少年のお母さんが重い病気になり、彼は許可なく学校を抜け出して病院に行ったが、最上級生にみつかり、翌日の外出許可を取り消されてしまった。
「…それは、彼らにゆだねられた権力を、よく考えて寛大に使うだけの分別がまだできていない少年のひとりだった...」
抜け出した理由をこの上級生に言うことはできなかった。

翌日も少年は抜け出し、厳しい舎監から、一か月の外出禁止を言い渡された。にもかかわらず、彼はまた出かけ、ついに校長から監禁の罰を受けた。翌日、監禁室にいたのは別の少年だった。親友がお母さんのところに行けるように身代わりになったのだ。

その後も彼らは一緒に勉強し、一緒に住んでいた。ひとりが結婚した後も、彼らは離れなかった。その後、子どもが生まれて死に、妻も死んだ。葬式の翌日、その親友は姿を消した....

「…その少年は、心から信頼できる先生がいなかったばかりに苦しんだので、大きくなったらおなじ学校で舎監になろうと決心した。少年たちが心の悩みとすることをなんでも言えるような人になってやるために....」

ヨハン=ベク先生の少年時代の話は、5人の少年たちの心を打った。そしてヨーニーが、続いてマルティンが気がついた。
ぼくたちは、姿を消したベク先生の親友を知っている.....
この話をいっしょに聞いていた美少年テオドルは、うなだれて出ていった。


いつの時代にも、変わらないことがあり、すっかり変わってしまったこともあり....
私は、人間味のある鷹揚さ、器の大きさが失われていく時代を危惧している。杓子定規というのはアーリマンの働きだ。(今どきは、小さな裁判官が多すぎる...)

ベク先生の親友は誰なのか.....次回に続く。
 
posted by Sachiko at 20:48 | Comment(2) | 児童文学
2018年12月18日

子どもの悲しみ

「飛ぶ教室」より。
前書きで、ケストナーはこう書いている。

「子どもの涙はけっしておとなの涙より小さいものではなく、おとなの涙より重いことだって、めずらしくありません」

そして、ヨナタン・トロッツ(愛称ヨーニー)という少年の身の上が語られる。

ドイツ人の父とアメリカ人の母が別れたため、ヨーニーは4歳のとき、ニューヨークの港からドイツ行きの船に乗せられた。
父親は、「ハンブルクにこの子のおじいさんとおばあさんが迎えに出ていますから」と言って彼を船長にあずけ、そのまま行ってしまった。

ハンブルクに着いても、おじいさんとおばあさんは迎えに来なかった。二人はもう何年も前に死んでしまっていて、父親はただ子どもを捨てるためだけに船に乗せたのだ。

…四つの時に加えられたこの悲しみを、彼は一生のあいだ忘れることができないでしょう。彼は気の強い少年ではあるのですけれど。(本文より)

今なら、父親はあっさり探し出され、保護責任者遺棄で捕まるところだろうが、まだそういう時代ではなかったらしい。

船長は彼を自分の妹のところへ連れていき、ドイツへ行くたびに訪ねた。妹家族も親切にしてくれた(が、家族同然とまではなれなかった気配がある)。ともかく船長がいい人でよかった。
そして船長は、彼が十歳になるとギムナジウムの寄宿舎に入れた。

まだ、良家の子はギムナジウムへ、労働者の子は実業学校へ、という形が濃く残っている時代だったと思う。
貧しいマルティン・ターラーがギムナジウムに入れたのは、彼が優秀で、半給費の特待生になれたからだ。

ヨーニーは文才があり、マルティンは画才があった。彼らは親友同士だった。
ある夜、みんなが寝静まったあと、ヨーニーは窓辺で町を見下ろしながら考えた。この世界のこと、人々のこと、自分の将来のことなど。
…幸福は、かぎりもなくいろいろにわけられている。そして不幸もおなじように…

彼はいつか、田舎の、大きな庭のある小さな家で、5人の子どもを持って暮らすことを望んでいる。

「…ぼくは子どもを捨てるために海のかなたへやってしまうなんてことはしない。…ぼくの妻はぼくのお母さんよりいい人だろう。
…たぶんマルティンがぼくの家に移ってくるだろう。彼は絵を描くだろう。そしてぼくは本を書くだろう。それでも人生が美しくないなんて、そんなばかなことはない…」


前書きのケストナーの言葉は、以前紹介したマリア・グリーペの言葉と重なる。
「子どもが小さいからといって、子どものかかえている問題が小さいわけではありません。生は、子どもにとっても、大人にとっても、同じように混沌として掴みどころのないものなのです。」

とても久しぶりに読み返した「飛ぶ教室」、もう少し深入りしてみたくなった。
 
posted by Sachiko at 21:00 | Comment(2) | 児童文学