幼い頃、辛いことがあったときには「100年後」という遊び(?)に逃げ込んだ。
....100年後には、自分も、今周りにいる人たちも、誰ももうこの世にいない。今起こっていることも、起こらなかったも同然の些細なことだ。だから、何でもないんだ.....
なんだか子どもらしくない達観だ。
今となってはその辛いことの中身が何だったのかも憶えていない。
子どもは時にはずいぶん悲しく不幸になるものだということが、大人にはわからなくなってしまう...と、エーリヒ・ケストナーは言っていた。
「つまり、人形をこわしたからといって泣くか、すこし大きくなってから友だちをなくしたからといって泣くか、それはどっちでも同じことです。
・・・
子どもの涙はけっしておとなの涙より小さいものではなく、おとなの涙より重いことだってめずらしくありません。」
憶えていないが、人形を壊したというようなことでなかったことは確かだ。そして、私は泣けなかった。代わりに、宇宙に逃げ出した。
その想像の中で、私はなぜか宇宙空間に浮かぶ青い地球を離れたところから見ていた。
地球は宇宙に浮かぶ星だということをすでに知っていたのだろうか。本か何かで見たのかもしれない。
人間は地上に生まれた後、霊的にはどんどん下降していく。
この世では「働き盛り」と呼ばれる人生の半ばで最も地上的物質的になり、それから再び上昇に転じて、天に帰っていく。(現代人は後半の上昇が難しくなっているらしいが...)
この世の生を終えて地球を去るとき、魂は圧倒的な愛おしさを地球に対して感じるという。
そして地球に降りてくる魂は、大きな愛を抱いてやってくる。
地上にいるあいだは、なぜかそのことを忘れてしまっている。
人間を地に繋ぎとめる重力が強い時代が長く続いていたけれど、そろそろ風向きが変わる頃だ。
青く輝く地球が宇宙空間に浮かんでいる。
地球を外側から眺めたことのある宇宙飛行士の多くは、やはり圧倒されるような愛を感じたと言っているそうだ。
posted by Sachiko at 22:02
|
Comment(0)
|
宇宙