2019年09月05日

苔の伝説

少し前に苔のことを書いたが、ドイツ伝説集の中に、苔小人の話が入っているのを見つけた。

苔女の話は、1635年頃と、年代まで特定されている。
ザールフェルトの近くに住む農夫が木を伐っていると、苔女がやってきて、最後の木を倒したら十字を三つ幹に刻むように、きっと良いことがあるから、と告げた。

農夫はそれを信じなかったが、翌日また苔女が現われて、「狩魔王から逃れたければ、十字を三つ彫った木の幹に腰を下ろすしか手がない」と言った。

それでも農夫が十字を彫ろうとしなかったので、苔女は農夫に飛びかかって押さえつけたため、農夫は息も絶え絶えになった。
それ以来農夫は苔女のいうことを聞いて十字を彫るのを忘れず、痛い目に遭うこともなくなった。


緑の苔の衣で覆われた苔族の小人はよく知られていて、木工や陶工はこれを人形にして売っている。狩魔王はとりわけこの苔小人を追い回しているという。

緑の苔の衣を着た小人の姿は、いかにもドイツの絵本や工芸品にありそうだ。
ウルスラ・ブルクハルトの「カルリク」の中にも、ノームともエルフともつかない仲間として苔小人の存在が書かれている。

苔女の話は17世紀だから、もう中世を過ぎている。人々の意識が明るくなり始めた時代だが、森には自然霊たちが満ちていて、そこで働く素朴な農夫たちはまだ小人を知覚する能力を保っていたのだろう。

絵になりそうな苔小人、視る能力さえあれば、深い森の苔むした巨樹の根元などに、彼らはまだ棲んでいる気がする。
  
posted by Sachiko at 22:05 | Comment(0) | 神話・伝説・メルヒェン
2019年07月30日

水妖伝説・2

水の精に捕まって引きずり込まれたいような暑い日々、「ドイツ伝説集」から、水の精の伝説を幾つか拾ってみる。


水の精と農夫

水の精の外見は普通の人と変わらないが、歯をむき出すと緑色の歯が見えるところが違っている(※)。
水の精はある農夫と親しくしていて、ある時、下のほうにある自分の家に来るように誘った。水の底に着いてみると、飾り立てられた豪奢な宮殿があった。

ある小部屋にさかさに並んでいる壺を見て、農夫はこれは何かと訊くと、水の精は「溺れて死んだ者たちの魂です」と答えた。

その後農夫は水の精の留守をうかがって水底の邸に入り、壺を全部ひっくり返すと溺死者の霊魂が上のほうにゆらゆらと昇り、ついに水から出て救いを得た。

(※)女の水の精は美しいが、男は尖った緑色の歯をしている。それで女の水妖は美しい人間の漁師に恋して水の中に引き込もうとする、という伝説は各地にある。


水妖と粉屋の小僧

粉屋の小僧が二人、川のふちを歩いていた。ひとりが川を見ると、女の水妖が水の上に座って髪を梳いていた。小僧が鉄砲で狙いを定めた瞬間、女は川に飛び込んで、何かの合図をしたかと思うとそのまま消えた。先を歩いていた小僧は何も知らず、後から来た仲間から聞いて知った。それから三日のち、始めの小僧は水浴びしようと川に入って溺死した。


川への生贄

ライプツィヒの近郊、エルスター河がプライセ河に注ぐあたりの水流は油断がならない。河は毎年、人身御供を一人ずつ要求する。事実、夏になると決まって人が一人溺れ死ぬが、これは水妖が水底へ引き込むと信じられている。誰かが溺死する前には必ず水妖たちが水の上で踊るという。


エルベの乙女

乙女は普通の娘と変わらなく見えたが、白い前掛けの端がいつも濡れていて、水から上がってきたことを示していた。
肉屋の若者が乙女に恋をして、あるとき一緒に水の中へ入っていった。恋仲の二人に手を差し伸べる漁夫がいて、岸で見張りをしていた。

乙女は水に入る前に漁夫に言った。
「リンゴがのったお皿が水の底から上がってきたらうまくいった徴です。その他のものだったら駄目だったと思ってください。」

やがて水の底から一条の赤い光が射した。それは花婿が乙女の縁者のめがねに適わなくて殺されてしまった徴であった。


このような伝説の多くからは、かつて信じられ、語り伝えられ、畏れられていたものが持つ不思議な重みを感じる。
古い伝説やメルヒェンから受ける、深い独特の気分を表わす適切な言葉がみつからない。これもまた、現代では失われてしまった言葉なのかと思う。
  
posted by Sachiko at 21:34 | Comment(2) | 神話・伝説・メルヒェン
2019年03月28日

「ホレおばさん」異譚・4

娘が井戸を通ってホレおばさんの家に着く前に、野原でパン焼き窯とリンゴの木に出会う。

このパンとリンゴについて、「メルヘンの世界観」(ヨハネス・W・シュナイダー著)では、それらは地上生活を通して内面にたくわえられた、人生の実りだと言われている。
しかもそれは、天上界よりもさらに高次の存在たちの糧として差し出される贈りものであるとされる。

地上で働き者だった娘は、かまどからパンを取り出し、木からリンゴを揺すり落として、高次元の糧を用意することができたのだ。

この働き者というのは別に、毎日何時間残業したかというような話ではないだろう。
シュタイナーは「愛を持って為すなら、すべての行為は倫理的である」と言っていて、逆に、仕事をするとき「仕事だからと割り切ってやる」というやり方が一番いけないのだ、とも言っている。

これは以前フィンドホーンの話で触れた、LOVE IN ACTION−「愛を持って為す」ということにもつながる。

地上に実る作物が人間の糧になるように、人間の魂の実りは、天使や高次存在にとっての糧になるのか....

人間が高次の世界に糧をもたらすことができなくなれば、地上もまた荒廃するだろう。
人間の使命は、この世の物質的な活動だけにあるのではなく、高次の世界にも関わっている。

メルヒェンを読むときに感じる独特の気分は、単に「おもしろいおはなし」を読むのとは違っている。
無意識のうちに、はるかな天上の世界から降りてくる響きを魂が捉えるからだろうと思う。
 
posted by Sachiko at 21:15 | Comment(2) | 神話・伝説・メルヒェン
2019年03月27日

「ホレおばさん」異譚・3

しばらく間が空いてしまったけれど、ホレおばさんの話の続き....

このメルヒェンは人間の運命を表している。地上での生き方によって、次に地上に戻ってくるとき、黄金に覆われるか、コールタール(不運)を浴びるか、という話だった。

コールタールの運命と黄金の運命。完全にどちらか一方だけという人間はいないだろう。
ほとんどの運命は、さまざまな割合で、黄金とコールタールが入り混じっている。

メルヒェンにおける黄金には二種類あるという。
世界のはじまりから存在していた古い黄金と、地上での生活を通して新たに紡ぎだされた黄金と。ホレおばさんの黄金は、新しい黄金だ。

大きな輪で見るなら、運命は公正なのだ。
外面的に一見不公平に見えようと、宇宙的な秩序の元に運命は作られている。

カルマに良い悪いはなく、運命は命を運ぶと書くので、ほんとうの意味では悪いようにはしない、という話を聞いたことがある。
ではコールタールを黄金に変える方法はあるのだろうか。

ここでまたもうひとつ別のおとぎ話を思い出す。
「美女と野獣」で、美女が野獣をそのままの姿で愛したとき、魔法が解けて、野獣は王子に変わる。

張り付いたコールタールの運命を、これでよかった、と受け入れ愛したときに、変容が起こる気がするのだ。
 
posted by Sachiko at 22:21 | Comment(2) | 神話・伝説・メルヒェン
2019年03月10日

牧神の系譜

フォーンのタムナスさんつながりだが、牧神の仲間については手元の資料が少ない。

岩波版のギリシャ神話によれば、パンは森林、山野、家畜と牧人の守護神で、サテュロスも森林山野の神である。
どちらも剛毛に覆われ、頭には短い角があり、山羊のような足をしている。

ローマ神話のファウヌスは、サトゥルヌスの孫であるという。サトゥルヌスは英語表記にするとサターン(Saturn)で、土星の名前にもなっている。

このファウヌスは、田野と牧人などの神だ。
フォーン(Faun)はどう見ても、単純にファウヌスの英語表記に見えるのだが.....

…Wikiに少し違うことが書かれているのを発見。
フォーンは、ギリシャのパンやサテュロスよりも、はるかに美しく気品があり、おとなしい性質の平和主義者だという。
Wikiの情報は必ずしも当てにならないかもしれないと思うけれど、この話は気に入った。タムナスさんにぴったり♪

ギリシャ神話に戻ると、牧神パンの名は「汎」の意味であり、万有と自然の人格的象徴だそうだ。
パン、サテュロス、ファウヌスは、ほとんど同じ性格のものに違う名前がついているだけだともいわれている。

「パニック」の語源は牧神パンの名前だと聞いたことがある。
パンは夜に森を通る人々から怖れられていて、何もなくてもそういう場所で恐怖を感じるのはパンの神のしわざとされて、Panic terrorと呼ばれたのが元だとか。

牧神の話はあのフィンドホーンとも関わりがあるのだが、農業に適さない北の砂地が楽園のようになったのは、やはり自然をつかさどる神的なはたらきなしにはありえなかったと思う。
 
posted by Sachiko at 21:45 | Comment(2) | 神話・伝説・メルヒェン