2021年03月11日

なんでもない日々の暮らし

このブログでも何度も書いているけれど、暮らしはいのちのいとなみであり、芸術の域に達することができる。
あのターシャ・テューダーはまさにその域にあった。

シュタイナーも、フィンドホーンの創設者アイリーン・キャディも、日常生活をとても大切にしていた。

近年、暮らしはまるで取るに足らない雑用扱いされたりしている。もっと簡単、もっと時短!
何でもそうだが、そのように扱えば、そのような姿にしか見えなくなるだろう。

けれど別様の扱いをすれば、別の次元が見えてくる。
「皿洗いだろうがゴミ出しだろうが、神聖な仕事にすることができる」と、昔誰かが言っていたっけ...

かつて庶民の日常がもっとつつましく、過酷なことも多かった時代には、“ハレ”と“ケ”の境界がはっきりしていた。
地味な日常と、特別な祝祭“ハレ”と。

その何でもない日常が、突然失われることもある。

そうして、些細な日々の暮らしの一片が、いとおしい祝祭だったと気づかされたりする。
暮らしはいのちのいとなみだから、どの瞬間も、祝されていないはずはなかった。

3.11から10年.....
   
posted by Sachiko at 22:29 | Comment(2) | 暮らし
2020年08月09日

グースベリーのパイ

グースベリーのコンポートを、ごくシンプルなパイクラストにのせて、クランブルをかけて焼いたパイ。

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いかにもイギリス菓子らしい、手間のかからないシンプルさ。
クランブルは、小麦粉と砂糖と冷やしたバターを混ぜてそぼろ状にしたもので、同じものをドイツではシュトロイゼルという。

多めに作って冷凍しておき、リンゴやサクランボやプルーンなどの果物にかけてオーブンで焼くだけでもいい。
季節ごとに庭で採れる果実で作る、素朴な家庭菓子だ。

パティシエが作るおしゃれなケーキのような見栄えとは程遠い地味さだけれど、飽きの来ないおいしさは、ふだんの暮らしに溶け込んでいる。

夏を感じる、鋭い棘と鋭い酸味のグースベリー、冷蔵庫で保存すると追熟して赤くなる。これはジャムにしよう。

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posted by Sachiko at 22:10 | Comment(2) | 暮らし
2020年07月26日

杏の夏

隣家の杏の木が、今年はたくさんの実をつけた。
隣のおばあちゃんが「採っていいよ」と言ってくれたので、大きめの入れ物を持って採りに行った。

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幼い頃、近所にあった杏の木の下で、KちゃんとJちゃん兄妹と毎日のように遊んだ。杏の木はとても大きく見えていた。

この二人とは、既成の遊びではない創造的な遊びができた。
「ここは海だ!」と言うと、すかさず「よし、船を出そう!」と言ってくれるのだ。そして即興劇はよどみなく続く。

春にはほんのりしたピンクの花びらが地面を覆い、風に舞ってあちこちの道路の縁に吹き溜まっていた。

夏には実をつけたが、実はほとんど虫食いだったらしい。アブラゼミがよくこの木で鳴いていて、抜け殻も見つかった。

秋、掃き集めて積まれていた落ち葉の山を、私たちはまた崩して木の下に敷き詰めた。
金色のじゅうたんの上で、この季節だけの特別な遊びがあった。

その後しばらくして彼らは引っ越して行った。そう遠くではなかったのだが、会うことはなくなった。

ある時、親の用事に伴って二人が来ると言うので、近所の他の子どもたちも集まった。
久しぶりに、以前みんなでよく遊んだ遊びをしようとKちゃんが提案した。

中学生になったKちゃんは、もう子どもの声ではなかった。
6年生の私は、古い子どもの遊びを小さい時のようには楽しみきれず、大きくなった子どもたちが走り回っているようすが、どこか幻影のように見えた。

二人にはそれきり会っていない。
子ども時代の最後の夏、杏の木はまだそこにあった。

周りの家とともに木が切り倒されたのがいつだったのかは知らない。
そのあたりはマンションが建ち並び、今は面影のかけらも残っていない。

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杏はジャムとコンポートになった。
杏のお菓子を作って隣に持っていこうか。
おばあちゃんが「採っていいよ」と言ったことを忘れていなければいいけれど....

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posted by Sachiko at 22:46 | Comment(2) | 暮らし
2020年07月14日

ベリーの夏

向こう一週間ほど、夏らしい晴天が続きそうだ。
北の夏は本来、熱よりも光のエレメントが強い。
そして今年もベリー類は豊作で、ブラックカラントが1kgほど採れた。

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ラズベリーも熟して食べ頃になっているが、グースベリーはまだ少し未熟だ。
少しのベリー類と野草ときれいな湧き水で生きていけたらいいだろうな、と思う。

人間はほんとうに、そんなに“食べる”必要があるのだろうか。
以前ある人にそう言ったら、「何が楽しみで生きているのか?」と言われた....

ここ数年、つきあいで必要な場合以外、昼食というものを食べなくなった。お茶を一杯飲めば十分だ。(痩せないのはなぜだ...)

不食の人たちが言うには、不食に向いているかどうかは、満腹感よりも軽い空腹感のほうを快と感じるかどうかでわかるという。それなら、私はたぶん向いている。

寒冷地体質の私は、南方系のフルーツが体に合わない。
パパイヤ、マンゴーなどの本格的なトロピカルフルーツだけでなく、普通にあるバナナやキウイ、柿さえも、味覚としてはまあおいしいのだけれど、どうも体が喜んでいない。

北方に自生するベリー類は、涼しく透きとおったオーラをまとっている。
夏の光に舞うベリーの精たちの存在が感じられる気がする。
  
posted by Sachiko at 22:23 | Comment(0) | 暮らし
2020年07月04日

“夏のしあわせ”

いつからか、“夏のしあわせ”と呼んでいる、さくらんぼのクラフティ。

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7月上旬の晴れた昼下がりにこのお菓子を作れたら、この夏も幸せなのだ。

でもここ数年は、どこか薄氷を踏むような感覚がよぎっていた。
さくらんぼのクラフティを作れない夏があるとしたら、世界レベルで何かが起こっている時かもしれない、と。

2020年は世界的に何か起こっていたが、ともかくもさくらんぼは実っていて、お菓子を作ることができた。

さくらんぼの品種では、私は、粒が大きめで真っ赤に色づく「水門」が好きだ。水門は北海道で誕生した品種で、他の地方ではほとんど出回っていないらしい。

今回使った山形産のさくらんぼは、品種名は書いていなかった。たぶん佐藤錦だと思うけれど、小さめだったからか、近くの八百屋さんで格安で売られていた。

世界的な騒動によって、仕事に追われるよりも、もっと暮らしを大切にしたいと考える人が増えてきたらしい。
世界はもう、そのように方向転換していいのだ。

暮らしは芸術だ。季節を感じ、自然を感じて、夏には幸せにさくらんぼのお菓子を食べよう。
   
posted by Sachiko at 22:20 | Comment(2) | 暮らし