残念ながらこの本は絶版になってしまい、古本はプレミア価格になっている。

古い時代、と言ってもそれほど大昔ではないのだ。
暮らしの中の多くのことが人の手で営まれ、必用な物は人の手で作られていた。
そのような暮らしの様々な分野の道具と手仕事が、多くのイラストを添えて語られている。
現代の暮らしと未来の方向について、著者はこう語る
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私は未来が冷凍白身魚のフライやテレビ・スナックや、合成繊維やその他プラスチック製のがらくたではない方向にあるものと確信している。
私たちの未来は本物の家の再創造にあるべきではなかろうか。
仕事が「楽になる」ことばかり言いつのって、いったい人々はどうするつもりなのだろう。
その時間を自分たちや自分の周りを良くすることに使っているのだろうか?
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現代の平均的な意識やマスメディアの煽る方向から見ると、これはとても保守的な意見に思えるかもしれない。
暮らしの姿では、私も手仕事が好きだ。もちろん家電は拒否しないが。
(でもルンバや、「オッケー何とか」と呼びかけて用事を言いつけるためのロボットは好きじゃない。テレビつけるのもカーテン開けるのも、自分でやったほうが早いだろうが!と思う。しかもその情報はどこかに抜かれているのだ。)
テクノロジーが発達するスピードに合わせて、人間の本質も変わるわけではない。特に子どもたちは。
子どもにとっての「いのちの育ち」が必要とするものが、スマホ動画であるはずがない。
この本の中では、「台所の道具」「洗濯の道具」「家のまわり」「織物の道具」等々の項目の中で、かつて営まれていた暮らしのようすが生き生きと描かれている。
パン焼き、貯蔵用のビン詰めや燻製づくり、石けん作り、染め物、糸紡ぎに機織り、編み物に縫物、ペンキ塗り、壁紙貼り、そして季節のお祭り....
それらは多くの時間を要し、時に重労働だったに違いない。
私だって、今さら冷蔵庫や洗濯機を手放したくはない。
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電気も正しくほどほどに使っていれば、私たちの家を心地よく、豊かにしてくれる。
しかし思い違いをしてはいけないのは、労働を助けるための工夫それ自体が、家を創造することは決してない、ということである。
家の創造のための仕事は人間の手がするのだ。
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これまで何度も書いてきたが、「暮らし」は「いのち」と同義語だ。
人間のいのちは身体をまとっている。
その身体(特に手)をなるべく使わずに済ませようとする「簡単便利」が人間をどこへ連れて行くのか、それはほんとうに行きたい場所で、満ち足りた幸福をもたらしてくれるのだろうか。