2019年10月13日

ミツバチの思い出

『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。
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自然霊たちは、過去と未来が共に今に生きている世界に存在する。
このエーテルの領域は、人間はたとえば臨死体験のパノラマとして体験することができる。

そのように、小人たちは未来の出来事を予見することができる。
自然霊たちは自分たちのいる地点から簡単に追い払われることはない。目に見える世界の要素が消えてからも、彼らは慣れ親しんでいたものの生きた記憶を保つことができる。

アニー・ヘルディングは、蜜蜂が生きていたときの記憶を保っている荒れ果てた養蜂場跡でコーボルトのグループを見た。彼らの意識では、過去は現在の内に生きていた。

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「勤勉なミツバチの“気”は、長い年月そこで働いていました。
コーボルトたちは自分たちが養蜂場の一部になったと感じていました。彼らはそこに属し、一緒に働いていたと思っていました。

彼らは、ミツバチが巣箱を行き来するようすを非常に強くイメージし続けたので、巣箱がなくなったときにもミツバチを見失うことはありませんでした。毎春、コーボルトたちを通して果樹園のそばの古い養蜂場は存在していました。

5人の小人たちは、草と野花のあいだに心地よく座って、小さな生きものたちを思い続けていました。実際には、古い屋根藁と数本の柱のほかは、養蜂場には何も残っていなかったのですが。

果樹園はなくなり、果樹は伐採されて、芝生と草地の境界線の代わりに小さなバンガローが建てられました。
それでも、彼らが元いた住処を諦めるには、長い時間がかかりました。

やがて養蜂場のイメージは、ぼんやりとかすかになり、より多くの断片が失われていくことで、ますます不完全なパズルのようになりました。
そしてついに、彼らは完全にあきらめました。

5人ののコーボルトはどこへ行ったのか、ある日、彼らはもうそこにいませんでした。
彼らはバンガローの近くには住むことができず、もはや夢を経験することができませんでした。ミツバチと花々と、花咲く古いリンゴの木の夢を....」

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この文章からは、不思議で、厳かで、物悲しい気分を呼び起こされる。もはや戻らない遠いものたち。

うち捨てられた家や農場、集落、町....
そうした場所では、なおしばらくのあいだ小人たちが残って追憶の中に暮らし、やがて諦めて去っていくのだとしたら....
ゆっくりと朽ちていき、草に覆われるまでのあいだに、小人たちの夢が薄らいでゆく。

「フィンドホーンの魔法」の中に、自然霊たちは地球上に住んでいた古代人種の物語を好ましげに回顧する、という話があった。
生きものたちがいなくなり、AIばかりが動き回るようになるとき、自然霊にとって地球自体が失われた夢のようになってしまうかもしれない。
  
posted by Sachiko at 22:28 | Comment(0) | 妖精
2019年10月10日

動物と自然霊

『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。
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動物は通常、異なる領域の自然霊を認識することができ、その存在に反応する。
ヨドカスが白鳥のために小さなダンスを踊るとき、いくらかの相互作用があることを、白鳥たちの行動から知ることができる。

アニー・ヘルディングは、ヨドカスを異なる色や形で描いた。
彼が黒服に身を包んだように見えるとき、彼はコウモリに似る。ダリアの前に立つと、オレンジ色に変わる。
そして時々、彼は大きなリスの尾を持つ自分をイメージして、リスに似た姿に変わる。

彼女は水彩画で、彼が様々なイメージ豊かな外観に移行するようすを描写しようとした。

「ヨドカスは私に近づいてじっと見つめると、彼の黄金色のスーツはカメレオンの皮膚のようにゆっくりと色を変え始めました。

彼は緑がかった黄色から茶色がかった黄色になり、しまいにゼリーのように透明になりました。
コーボルトの輪郭をぼんやりと見ることができましたが、最後に彼はすっかり消えてしまいました。」

自然霊たちは、ある範囲において姿を現したり消したりする能力がある。イメージで描かれた絵でノームが身に着けている衣服もまた象徴なのだ。

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動物たちはやはり自然霊を認識することができるようだ。
背後に自然霊たちがいることを認識しながら動物の動きを見ると、世界はまた別様に見えてくる。

枝の上で不思議な動きをする小鳥や、素早く木を駆けのぼるリス、編隊のかたちを変えながら飛ぶ渡り鳥の群れ....

色や形を変えながら素早く動くコーボルト(ノーム)たちを、固定した姿で捉えることは難しそうだ。

以前の記事で、ウルスラ・ブルクハルトがノームの蝋人形を作って、これは像にすぎないと言ったことを思いだす。
塑像や絵本などに描かれている小人の姿は象徴なのだが、背後にいる彼らの実在に意識を向ける入り口にもなるのだろう。
  
posted by Sachiko at 22:09 | Comment(2) | 妖精
2019年10月07日

ヨドカス

『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。

この本では、アニー・ヘルディングの絵が幾つか紹介されている。ここではトンヘレンの近くのヒースの繁みにいるヨドカスを見ることができる。

yodokus.jpg

彼女はそのコーボルトに、珍しいモウセンゴケの仲間を見せてくれるように頼んだ。その植物はこの地域では絶滅したと考えられていて、地元の森林官もそう言っていた。
彼女はヨドカスの助けを借りてその植物を見つけることができたのだが.....

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「・・・私たちは狭い道を歩きました。以前何度もモウセンゴケを探した場所でした。私は、先を歩くヨドカスを追い続けました。
コーボルトはとても素早く動きます。歩くときは浮かんでいるようにほとんど地面に触れず、雪の上でも足跡を残しません。

湿地にはヘザーの繁みや背の高いイグサなどが密集して水際が見えにくく、沼に落ちそうでした。
ヨドカスは私をからかっているのでしょうか?どこにも姿が見えず、彼は空気の中に姿を消していました。

どこにもモウセンゴケは見えませんでしたが、私ははっきりと声を聞きました。
「あなたはその上に立っている!」

私は失望し、すこし恥ずかしくなっていて、ほんとうにその植物の上に立っているとは信じられませんでした。
背の高い草をよけてもう一歩踏み出したとき、私が立っていたその場所で、緑の苔のあいだに花咲くモウセンゴケが丸く広がっていました。

これはほんとうにヨドカスが見せてくれたのか、それとも偶然だったのでしょうか。人間は疑うことをやめません。
私はモウセンゴケをひとつ掘り上げ、あとで戻すつもりでそれを証拠として家に持ち帰りました。」

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超自然的な存在の助けで見つけにくい植物を見つける話は、古いおとぎ話のようだ。
冬の森で季節外れのスノードロップを見つける話や、小人たちの助けで、やはり冬の森でいちごを摘む話など。

物語の中でそうした助けを得られるのは純粋な人間だ。
疑いを持たずに自然霊とつながることのできる人々がまだ存在した古い時代に生まれた物語だろうか。

おとぎ話ではなく現実の話では、フィンドホーンを思い起こす。
農業に適さないと言われた北の砂地が、自然霊たちのアドバイスを受けながら、巨大な野菜や輝く花を生み出す楽園に変貌したのだった。

物事が八方塞がりになったときは上が空いていると言われる。
普通の人間が知覚できる範囲の世界が八方塞がりに見えても、別の次元の存在たちと協力することで開かれる道が、まだ残っているのかもしれなかった。
疑うことをやめて、自然霊たちとつながろうとする人間が増えていけば.....
  
posted by Sachiko at 22:31 | Comment(2) | 妖精
2019年10月06日

コーボルト

『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。
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アニー・ヘルディングの本を読んだ後、私は彼女を何度か訪れ、一緒に自然を観察した。彼女は私に自然霊を描いた何十枚もの絵を見せてくれた。

私は、この年配の女性(彼女は80歳以上だった)が明らかに日常的に自然界の背後の事象を見ることができたことに深く驚き、感銘を受けた。

アニー・ヘルディングは、1903年にインドネシア(当時のオランダ東インド)で生まれ、子供の頃から霊視能力を持っていた。
彼女は文章と絵の才能を伸ばし、1950年代から、霊視したことを言葉とイメージで表現するようになった。

そして、長い年月にわたって交流したコーボルトに似た自然霊ヨドカスとの出会いを、文章と水彩画で記録した本を作った。
このコーボルトは、オランダのフェルウェの村、トンヘレンの近くでさまざまな異なる形で彼女の前に現れた。

私たちが持っている小人たちのイメージはあまりにも固定されている。現実にはこうした存在たちは、霊視者の目の前に多くの異なる色と形をもって現れる。

彼女は、自然の精霊は非常に変化に富んでいて、それらを適切に描写することはほとんど不可能だと言った。

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アニー・ヘルディング(オランダ語の発音では“ヘルディング”だと思うのでこの表記にした)の、コーボルトとの交流の話は、以前紹介したウルスラ・ブルクハルトの「カルリク」を思わせる。

普通の人間が、目や耳など、この物質界を知覚するための感覚器官を持って生まれてくるように、霊視者と呼ばれる人々は、物質界とは別の領域を知覚する器官を生まれつき持っているようだ。

普通の人が、例えば同じ1本の木を見たときに同じように知覚するように、霊視者たちが自然霊を同じように知覚してもまったく不思議ではない。
それを描写する場合は、木の描写と同じで、それぞれの感性によって違いが出るだろう。

視覚を持たなかったウルスラ・ブルクハルトはカルリクの姿を塑像として作り、アニー・ヘルディングはスケッチや水彩画で描写した。

ヨドカス(Yodokus、読み方はこれでいいのだろうか...)と呼ばれるコーボルトとの交流におけるエピソードがこのあと続いていくが、これもとても興味深い。
   
posted by Sachiko at 22:16 | Comment(0) | 妖精
2019年09月30日

自然災害と元素霊・3

『Lord of the Elements』(Bastiaan Baan著)から。

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2004年に破壊的な津波が起こるずっと前に、アニー・ゲルディングの本で自然霊たちについて次のように書かれているのを読んだとき、大きな衝撃を受けた。

『今後、多くの水関連の災害が発生するでしょう。
地震によって引き起こされる津波や、洪水もさらに多く起こるでしょう。』

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この、自然霊たちによる予言めいたものの中には、2011年の津波も入っていたのだろう。
だがこのような話は慎重に受け止めなければならない。
その点についても、Bastiaan Baanは語っている。

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自然霊たちのそのような声明にどうアプローチするかについては注意深くある必要がある。そこには二つの危険がある。

ひとつは、受け入れずにその可能性をあらかじめ排除してしまうこと、もうひとつは無批判にすべてを鵜呑みにしてしまうことだ。
適切な判断を下すにはその中間の位置をとる必要がある。

ルドルフ・シュタイナーは『自由の哲学』の中でこう説明している。
「意識的に、その考えから一歩引いて見ることができる。そうでなければ、その考えに隷従してしまう可能性がある」

20世紀には、人がそこから一歩引いて見ることなく、特定の考えに取り憑かれてしまうことがよくある。
この距離を持つことによって、考えや事象をそれ自体としてそこに留まらせる。そうすればのめり込んで自分を見失うことはなくなり、内的な自由を保つことができる。

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自然霊という、現代科学の対象からは外れ、まだ一般的な認知もされていない存在については、やはり微妙な領域のようだ。
自然霊たちが物理的時空によって制限されないのなら、超えた位置から大きな全体としての地球を見て、その状態を予測することも可能なのかもしれない。

年々大きくなる自然災害という警告を前にして、生きた地球に謙虚に耳を傾けることができるように、まずは人間が正気に戻ることが火急の課題と思う。
  
posted by Sachiko at 22:25 | Comment(0) | 妖精