2021年12月13日

「アンナの赤いオーバー」

「アンナの赤いオーバー」(ハリエット・ジィーフェルト 文/アニータ・ローベル 絵)

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この絵本の展開は、エルサ・ベスコフの「ペレのあたらしいふく」に似ている。
違っているのは時代背景で、戦争が終わった頃のことだ。
そしてこのお話は事実に基づいているらしい。


「戦争がおわったら、あたらしいオーバーを買ってあげようね」

お母さんがそう言ったのは去年の冬のことだ。
アンナのオーバーはすり切れて小さくなっている。
でも戦争が終わっても店はからっぽ、物もなくお金もない。

アンナの家にもお金はないけれど、すてきな物がいろいろある。
お母さんは、お百姓さんのところへ行って、おじいさんの金時計を羊の毛と取りかえてもらうことにした。羊の毛を刈る春まで待たなくてはいけないけれど。

春、お母さんは糸紡ぎのおばあさんに、ランプと引き換えに羊毛を紡いでくれるようにたのんだ。
夏、お母さんは森でコケモモを摘んで毛糸を赤く染めた。
そして機屋さんのところへ行き、ガーネットのネックレスと引き換えに布地を織ってくれるようにたのんだ。

次にお母さんは布地を持って仕立て屋さんに行き、ティーポットと引き換えにオーバーを縫ってくれるよう頼んだ。
そして、すてきなオーバーが出来あがった。

ふたりはオーバーを作ってくれた人たちみんなを招いてクリスマスのお祝いをすることにした。


すてきで高価な品物がたくさんあるアンナの家は、元々かなり裕福だったらしい。
でも戦争が終わった今はお金がないし、売っている店も品物もない。
(お父さんはどうしたのだろう)

日本でも戦争中は、高価な着物を持って田舎へ行き、お米などと交換したという話がある。

仕立て屋さんの一週間分の仕事に匹敵するティーポット!?と、少し驚きだけれど、誰もが大変だった時代、ひょっとしたらみんなは、可愛いアンナのために大サービスしてくれたのかもしれないとも思う。

最初のページには、壊れた町のようすが描かれている。
けれど全体の雰囲気は静かで優しい。
そしてすてきなクリスマスパーティが催される。

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ところで、羊を飼って毛刈りをするのは無理だけれど、羊毛を紡いで染めて織って、コートを仕立ててみようと考えたことがある。
どうなったのか......羊毛はまだ羊毛のままだ(-_-;
   
posted by Sachiko at 22:23 | Comment(2) | 絵本
2021年11月30日

「ノーナさまのクリスマス」

「ノーナさまのクリスマス」(トミー・デ・パオラ)

「まほうつかいのノナばあさん」の続編で、「まほうつかいのノーナさま」シリーズの中の一冊。
手伝いの若者、のっぽのアンソニーもまた登場する。

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イタリアのカラブリアにある小さな町では、魔法使いのノーナさまが毎年クリスマスイブに町じゅうの人を招いてパーティをすることになっている。

手伝いのアンソニーも、次々と用事を言いつけられて大忙し。
魔法を使えばいいのに、と言うが、ノーナさまはクリスマスには魔法を使わないことになっているのだ。
クリスマスの頃には自然と、魔法がはたらくものだからね、とノーナさまは言う。

忙しく日は過ぎて、とうとうクリスマスイブの朝になり、アンソニーはまたたくさんの買い物を言いつけられた。
ノーナさまは家を飾りつけて待っていたが、アンソニーは戻ってこない。

日が沈むころ、何も持たないでアンソニーが帰ってきた。
町の広場で人形劇を見ていたアンソニーは、買い物をすっかり忘れていたという。

ノーナさまは、今夜のパーティは取りやめだと町の人たちに伝えるために、アンソニーを使いに出した。

真夜中のミサを知らせる鐘が鳴り、ノーナさまは寂しい気もちで丘を下りて教会へ行った。
中では、パーティがないことにがっかりしている人々のささやきが聞こえた。

教会の隅に飾られた生誕の人形たちを見ながら、ノーナさまはつぶやいた。
「イエスさま、あなたがお生まれになった夜は、ほんとはこんなににぎやかじゃなかった。おかあさまとおとうさまだけの、さびしいお誕生日だったのですね....」

ノーナさまは教会を出て、丘の家に帰っていった。
ドアを開けたとたん・・・・

「メリークリスマス、ノーナさま!」

そこには町じゅうの人たちが、パーティのごちそうを用意して待っていた。
アンソニーが計画したことだったのだ。
「クリスマスのころには、しぜんとまほうがはたらくものですからね」

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クリスマスの頃にはしぜんと魔法がはたらくものだから、魔法使いも魔法を使わない・・・・なんと素敵な考えだ。

賑やかなクリスマスも、静かなクリスマスも、クリスマスには魔法さえも超えた特別なちからがはたらく。
なんだかとても大きく、天と地とすべての人を包み込むようだ。

今年もアドベントに入り、この季節だけの聖夜の気分に静かに耳を澄ませば、もう魔法ははたらいている。
  
posted by Sachiko at 22:40 | Comment(0) | 絵本
2021年08月20日

「まほうつかいのノナばあさん」

「まほうつかいのノナばあさん」(文/絵 トミー・デ・パオラ)

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イタリアに古くから伝わる話をトミー・デ・パオラが再話した作品。

町の人々は、困ったことがおきるとストレガ・ノナ(“魔法使いのおばあさん”という意味)のところへ出かけていきました。

やがて年をとってきたストレガ・ノナは、家のことや畑しごとを手伝ってくれる人がほしくなりました。
やってきたのはノッポのアンソニイという若者でした。

ストレガ・ノナはアンソニイにたくさんの仕事をたのみましたが、たったひとつだけ「スパゲッティをゆでるかまには、けっしてさわってはいけないよ」と言い聞かせました。

ある日アンソニイは、ストレガ・ノナがかまのそばでおまじないの歌を歌うとかまがスパゲッティでいっぱいになるのを見てびっくり仰天。
あくる日町へでかけて、魔法のかまのことをしゃべりまくりましたが、だれも信じてくれません。

ストレガ・ノナが出かけた日、アンソニイがかまに向かっておまじないの歌を歌うと、かまはスパゲッティでいっぱいになりました。
アンソニイは町じゅうの人にスパゲッティをふるまいましたが、かまのスパゲッティはあふれるばかり。

町がスパゲッティの洪水になったとき、ストレガ・ノナが帰ってきて歌を歌い、かまにおまじないをキスをすると、やっとスパゲッティはとまりました......


このお話は、グリム童話の「おいしいおかゆ」によく似ている。
母親とふたり暮らしの貧しい少女が、森で知らないおばあさんから鍋をもらう。

「おなべや、ぐつぐつ!」と言うと、鍋はおかゆを作り、「おなべや、おしまい!」と言うとやめる。

ある日少女の留守に母親が「「おなべや、ぐつぐつ!」と言っておかゆを作るが、おなかいっぱいになっても鍋を止める言葉がわからず、おかゆが道にあふれだしたところで少女が帰ってくる...というお話だ。

この他にも多くの昔話が、少しずつ形を変えて、ヨーロッパ全域に広まっていたのだろう。
例えばイギリスの昔話「トム・ティット・トット」は、名前が違うだけで中身はグリムの「ルンペルシュティルツヒェン」とほぼ同じだ。


魔法の呪文が出てくる話は多い。「ことば」や「名前」というものは、古い時代にさかのぼるほど、それ自体が呪術的な力を持つものだった。

語り伝えられてきた古い物語には、まだことばが魔法を帯びていた時代のかすかな残照が感じられる気がする。
  
posted by Sachiko at 22:10 | Comment(4) | 絵本
2021年07月27日

「ちいさなもののいのり」

エリナー・ファージョンをもうひとつ。
これも詩で綴られている、「ちいさなもののいのり」。

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 かみさま どうぞ ちいさなものたちを おまもりください

このように祈られる小さなものたちは、まだ飛べない小さなひな鳥や、森に落ちた小さな種、小さな雨粒、生まれたばかりの仔羊、そのほかたくさんの小さな生き物たちすべて。

そして、ねむる前にお祈りをするちいさな子どもたち。
みんな、大きくしっかりと育つまで。

大きな木も、はじまりはひとつの小さな種。
動物たちも、はじめは小さな赤ちゃん。

どんな大きなものも、はじまりは小さい。
これらの小さなものは、大きく育った未来の姿をその中に含んでいる。

大きな宇宙も、最初は小さな種だったのだろうか。宇宙卵という説もある。

枕草子も思いだす。

…なにもなにも 小さきものはみなうつくし…

このちいさな詩の絵本の初版は1945年。
ちいさなものたちへの祈りが、ことさら必要だった頃だ。
  
posted by Sachiko at 21:56 | Comment(2) | 絵本
2021年07月16日

「マローンおばさん」

イギリスの児童文学作家、エリナー・ファージョンの物語詩「「マローンおばさん」。

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森のそばで、マローンおばさんはひとりぼっちで貧しく暮らしていた。誰ひとりとして、様子をたずねたり心にかける人もいない。

雪深く静まり返った、ある冬の月曜日、弱ったスズメが窓をつついた。
おばさんは小鳥を中に入れてやり、胸に抱いてつぶやいた。

 「こんなによごれて
  
  つかれきって!

  あんたの居場所くらい

  ここにはあるよ」


火曜日の朝にはネコが、水曜日には6匹の子どもを連れたキツネが、木曜日にはロバが、金曜日にはクマがやってきた。
凍えていたりお腹をすかせていたり、疲れて傷ついた動物たち。

  おばさんは 粗布もずきんも 肩かけも、

  パンもお茶も----

  なにもかも 分けあたえた。

 「次から次へと

  家族が ふえた

  でも もう一ぴきぐらい

  居場所はあるよ」


土曜日の夜、ごはんの時間になってもおばさんは起きてこなかった。
動物たちはロバの背中にマローンおばさんを乗せて一晩中歩きつづけ、日曜日の朝に天国の門に着いた。

動物たちは、門番の聖ペテロさまに、貧しいマローンおばさんがみんなに居場所を与えてくれたことを話した。

目をさましたマローンおばさんに、聖ペテロさまは言った。

「あなたの居場所が、ここにありますよ」


本の後ろのほうには英語の原詩が載っている。
原題は「Mrs.Malone」なので、マローンおばさんにはひとりぼっちではなかった頃もあったのだ。

このような本によけいな解釈は野暮というものだけれど、動物はしばしば魂を表わす。
弱って傷ついた動物たちは、魂の一部ともとれる。
それらが受け入れられ、居場所を与えられて、みんないっしょに愛へ帰っていく...

全編詩で書かれたこの小さな本(実際に小さい。約17cm×12cm)は、ほんとうはとても大きい。まさに「内がわは外がわより大きい」のだ。

挿絵はエドワード・アーディゾーニ。
ファージョンの本ではおなじみで、他の画家は考えられないほど相性がいい。
  
posted by Sachiko at 21:47 | Comment(2) | 絵本