作者がアパラチアの山奥に住んでいた子ども時代の暮らしを綴った絵本。

夕方、石炭の粉で真っ黒になって帰ってくるおじいちゃん。
おばあちゃんが作る温かい料理の数々。
池で泳いだ帰り道、お店に寄ってバターを買う。
井戸からバケツに何杯も水を汲み、お湯を沸かして、たらいのお風呂に入る。
夕暮れにはカエルの歌、朝は牛の鈴の音が聞こえる。
夕ごはんがすむと、ポーチのブランコに座った。
足元には犬、頭上には星、森の中でウズラが鳴いた。
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わたしは 海を 見たいとは おもわなかった。
砂漠に 行ってみたいとも おもわなかった。
ほかの ところに 行きたいと おもったことは
いちども なかった。
なぜって わたしは 山おくに すんでいて、
それだけで いつも みちたりていたから。
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作者は子どものころ、両親が離婚したために、4年間山奥の祖父母のもとに預けられた。電気も水道もなく、裕福ではなかったが、温かな人々に囲まれて幸せに暮らした。
これはあのターシャ・テューダーの子どもの頃の話に似ている。
ターシャは両親が離婚したために、自由で楽しい雰囲気の知人家族のところに預けられたが、あんなすばらしい体験は後にも先にもなかったと語っている。
満ち足りるために、さまざまな大道具小道具は必要ではなかった。
現代生活のように、いつも足りないと思い込まされ、欠けた思いを動機に多くの物を得ても、もっともっとと煽られるばかりで満たされることはない。
すでに満ち足りている心は、今あるもののすばらしさを余すところなく味わい、それによってまた満ち足りることができるのだろう。
作者はそのような思い出が、創作の源になっているという。
私はやはりこういう「暮らし」の息づかいを感じられる作品が好きだ。
古い写真のようなセピア色の絵も、物語に合っていて美しい。
