2020年06月12日

緑の石の物語

鉱物つながりで、久々に『指輪物語』から。

緑の石が最初に登場するのは、裂け谷のエルロンドの館だった。
ビルボが自作の詩を披露したあとでフロドに言った。

「・・アラゴルンがどうしても緑の石を入れろといってきかないんでね。かれはそのことを重大に考えているらしいのだ。わけは知らないが。」

この緑の石については、指輪物語に先立つ時代のことが書かれた『終わらざりし物語(Unfinished Tales)』の中に記述がある。

『・・・エネジアルという名の宝石細工師がいた。・・エネジアルは生長する緑のものすべてを愛し、かれの最大の喜びは木もれ日を眺めることだった。
そしてかれは、澄んだ太陽の光を封じ込めた宝石、木の葉のような緑色をした宝石をつくろうと思いたった。』


エレサールと呼ばれたこの石を、後の世にひとりの者が受け取りに来て、彼は石と同じエレサールと呼ばれると予言された。
エレサールは、アラゴルンが王位に就いたのちに名乗った名だ。

もうひとつ別の物語もある。
エルフの金銀細工師ケレブリンボールが、枯れることのない緑の草木を望むガラドリエルのために、もうひとつのエレサールを作った。
それはガラドリエルの娘ケレブリアンから、さらにアルウェンの手に渡り、そしてアラゴルンへと渡った....


木洩れ日から作られた緑の宝石.....
あらゆる物質は、光が凝縮したものだと言われる。

私がいちばん好きな緑の石は、日に透かした葉っぱの色のペリドットだ。
エルフが作った緑の石がどれほどの美しさだったかは想像を超えるけれど、ほんのひとかけら、思いを馳せてみる。

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posted by Sachiko at 22:09 | Comment(2) | ファンタジー
2020年05月24日

カシオペイアの叡智

「モモ」(ミヒャエル・エンデ)より。

モモはカメのカシオペイアに導かれて灰色の男たちの追跡から逃げ、マイスター・ホラの時間の国にたどり着く。
カメのあとをゆっくりゆっくり歩いているのに、灰色の男たちはモモに追いつくことができなかった。

カメは追っ手がどこに現れるかを前もって知っているようで、その場所を避けながら歩くことができたのだ。
時間の境界線地区では、カメはもっとゆっくり歩いているのに、自分たちがとても速く前に進むことにモモは驚く。
・・・・
二度目にこの場所に来たとき、モモはカシオペイアに言った。
「もうちょっと早く歩けない?」
「オソイホド ハヤイ」


ミヒャエル・エンデと河合隼雄の対談の中に、「モモ」の時間の話が出てくる。

「時計で測れる外的な時間というのは人間を死なせる。内的な時間は人間を生きさせる。」(エンデ)

灰色の男たちが時間を節約させることで、実は人間の内的な時間が枯渇してしまう。
カシオペイアの背中に出てくる「オソイホド ハヤイ」は、内的時間と外的時間の関係性の話なのだ。

対談の中では、河合隼雄が「遅れの神さま」という不思議で心惹かれる言葉を持ち出す。
元は、大江健三郎の小説に由来して河合隼雄が名付けた言葉のようだ。

「・・・その小説の中で一番大事なところは、智恵おくれの子どもさんが言う言葉なんです。
私はその子の言葉から、現代世界に大切なのは、「遅れの神」ではないか、みんなそれを忘れていると思ったのです。
亀というのはまさに、「遅れの神」のシンボルですね。」


マイスター・ホラの言葉によれば、カメのカシオペイアは時間の圏外で生きていて、自分の中に自分だけの時間を持っている。
大切な、遅れの神の叡智をたずさえて。

できるだけ早く効率的に!という現代世界の狂騒の後を、ゆっくりとニコニコしながら歩いて行く神さまの姿が浮かんだ。
  
posted by Sachiko at 22:27 | Comment(2) | ファンタジー
2020年05月18日

金色のパンとはちみつ

「モモ」(ミヒャエル・エンデ)より。

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金褐色にパリッと焼けた巻きパンが小さなかごにならんでいて、金色のバターの入った小鉢と、まるで液体の金のように見えるはちみつの入ったつぼもあります。
マイスター・ホラは、ずんぐりしたポットから両方の茶わんにチョコレートをついでから、身ぶりよろしく食事をすすめました。
「どうぞ、小さなお客さん、たくさん召しあがってください。」
・・・・
マイスター・ホラはそういうモモをにこやかにながめていました。じゃましないように気をきかせて、はじめのうちはなにも話しかけませんでした。
このお客が長い長い年月の飢えをいまいやしているのだということが、わかっていたのです。

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モモがマイスター・ホラの〈どこにもない家〉に着くと、食事のしたくが整っていた。モモはすっかりこの食事に没頭する。

長い長い年月の飢え....
これは肉体的な飢えではないだろう。
モモはまだ子どもで、地上でさほど長い年月を生きていない。

誰にとっても、ほんとうの人生の目的は、この地上の人生には収まりきらないようにできているのだそうだ。

そのため、よほど地上生活に埋没しているのでないかぎり、どこかに地上で得られるものだけでは埋めることのできない空洞ができる。

マイスター・ホラの腕に抱かれて、モモは咲いては散る時間の花を見る。その香りはモモに、何かわからないけれどずっと憧れつづけてきたものを思い起こさせた。

モモの飢えは、ふつうの人が来ることのできないマイスター・ホラの家で満たされる。
金色のパンとはちみつとバター、熱いチョコレートの、簡素なのに特別な食事によって。
  
posted by Sachiko at 22:39 | Comment(2) | ファンタジー
2020年05月16日

グラオーグラマーンの宇宙論

「はてしない物語」(ミヒャエル・エンデ)より。

色の砂漠ゴアプで、バスチアンはライオンのグラオーグラマーンに訊ねる。

「おまえは、ほんとうにずっとここにいいるのかい?」
「ずっとです。」グラオーグラマーンはきっぱりいった。

砂漠もライオンも、ファンタージエンで月の子(Mondenkind)に会ってから、バスチアンが望んだことで現れたものだ。

「ぼくが望んだらそうなるんだろうか。それとも、何もかも始めからあって、ぼくはただそれをいいあてたってことなんだろうか。」
「その両方です。」グラオーグラマーンはいった。

バスチアンが造った瞬間から、それは大昔からあるものになった....


ところでビッグバン宇宙ができたのはいつだろう。138億年前?

いや、そういう話ではない。
学者たちによってビッグバン説が唱えられ、それが人類の集合意識に受け入れられたときだ。
その時から、遥かな過去にビッグバンによって生まれたという宇宙が存在しはじめた。

もしも明日、ビッグバン宇宙論は間違いだったと証明され(今も反論はあるらしいが)、それに代わる新しい宇宙論が人類の大多数に承認されたら、宇宙は最初からその新しい宇宙論に沿って生まれたものだったことになる。

そうなればビッグバン宇宙は迷信で、最初から存在しなかったのだ。
古代の、巨大な亀の甲羅の上に立つ宇宙のように。

「あなたが造ったから、それは最初からあった。」

宇宙は最初から存在したのか、それとも毎瞬間、人間の意識が太古からの宇宙を創り続けているのか?

「その両方です。」と、グラオーグラマーンは言うだろうか。

最新の科学によって証明された!という話は当てにならない。
それは常に今の時点で、という話で、明日には別の「証明」に取って代わられるだろう。しかも自然科学はいまだに物質界しか研究対象にしていない。

科学が切り捨てた太古の神話の中に、真実はひっそりと隠れていたりして.....
   
posted by Sachiko at 22:27 | Comment(2) | ファンタジー
2020年03月06日

「トランキラ・トランペルトロイ」

「トランキラ・トランペルトロイ」(ミヒャエル・エンデ)

この物語は「魔法の学校」という短編集に収録されていて、単独で何度か絵本にもなっている。


・・・かめのトランキラ・トランペルトロイは、動物たちの王さま、レオ二十八世の結婚式に、動物たちはみんな招待されているという話を聞きました。

「わたしも行くわ」
トランキラは一歩一歩、ゆっくりと歩きはじめました。

途中、クモやカタツムリが、披露宴までもう日にちがないのだから、行けるはずがない、あきらめなさい、と言いました。
でもトランキラはやさしく言いました。
「わたしの気持ちは、かわらないわ」
そしてまた何日も歩き続けました。

トカゲが言いました。
「まにあうはずがない!結婚式は取りやめになった。レオ二十八世は、戦争におでましになった」
「わたしの気持ちは、かわらないんですもの」
そう言ってかめはまた何日も何日も歩き続けました。

カラスが言いました。
「レオ二十八世はなくなられた。葬儀が終わったばかりなのだ。それでも行こうっていうのか!」

トランキラはそれからも歩き続け、やっと森に着きました。
たくさんの動物が集まって、なにかを楽しみに待っているようでした。

トランキラはたずねました。
「これから、レオ二十八世の結婚式が開かれるんじゃありませんか?」
子猿が言いました。
「きみはよっぽど遠くから来たんだね。きょうは新しいレオ二十九世の結婚式なんだよ」

すばらしい披露宴の中で、トランキラは幸せそうにすわっていました。
「ほらね、ちゃんとまにあうっていったでしょう」

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トランキラは、我を張り通したというわけではない。
「わたしの気持ちはかわらないわ」と、いつもやさしく言い、ゆっくり、ゆっくり、一歩ずつ歩いた。

これはけっして、「一度決めたことは最後までやれ」とか「一歩一歩着実に」という、昭和のお説教みたいな次元の話ではないのだ。それとは全く別のこと.....

ところでエンデの作品には、亀が何度か出てくる。
「はてしない物語」の、太古の媼モーラや、「モモ」で、モモを時間の国に導いたカシオペイア。
カシオペイアの、「オソイホド、ハヤイ」という言葉を思いだす。

エンデは、「亀は人間の頭蓋が独立して歩いているもののように見える」と言っていた。
古代の宇宙像には、世界が巨大な亀の背中の上に成り立っている、というものがある。これは、現代人にはわからなくなった神話的ビジョンにおいて、真実の一端を表わしているのかもしれないと思う。

モーラやカシオペイアの名前が出てきたので、これはファンタジーのカテゴリに入れておこう...
  
posted by Sachiko at 21:51 | Comment(0) | ファンタジー