2020年01月10日

雪がない!

雪が少なすぎる。
これは2メートルの木ではなく、20センチほどのリンゴンベリーだ。

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冬至の前後、クリスマスの頃には、深い暗闇と凍てついた寒さが必要なのだが、それがないまま年が明けてしまい、最高気温はプラスで、光は春の気配を帯びている。

ここ数年、雪の時期が後ろにずれている。
でも2月3月に大雪が降ったとしても、それはもう真冬の雪ではない。冬を体験している気がしない。これはもう危機だ。

常夏の南の島を楽園などと呼ぶのは、寒い地域があってのことだ。地球全体が常夏になったら、誰もそれを楽園とは言わないだろう。

ある種の植物には、充分な寒さを経なければ発芽や開花をしないものがある。もしも地球が常夏になってしまったら、チューリップや水仙、クロッカス、プリムラなどを見ることはできなくなる。

「この時期、本来の覚醒状態にある冬の大地は、覚醒した種子を受粉のように受け入れられるようになり、春の発芽を準備します。
・・・真冬に繰り広げられる、この独特の生命のあり方に比較できるものは、さわやかな眠りのあとで、朝、世界との関係をふたたび受け入れる人間の目覚めの体験だけです。」(ヴァルター・クロース『大地の四季---季節の錬金術について』より)

まさにそのとおりで、本来の真冬がなければ、深い眠りをさまたげられたまま朝を迎えてしまった気分になる。

温暖化は物理的に見ればCO2が深く関わっているのかも知れないが、単にそれだけではない。
気象は心魂の反映だ。温暖化し、深いところで覚醒する冬がなくなるのは、人間の魂の浅薄化が一因だと私は思っている。

天気予報で、現在の札幌の積雪は8センチだと言っていた。ゼロがひとつ少ない!
  
posted by Sachiko at 22:51 | Comment(2) | 自然
2019年12月17日

白という色

外は雨。クリスマスに雪がないかもしれない....(>_<)

地球の気温が上がり続けることで起きる物理的なダメージについては、多くの場で語られているのでここでは触れない。

温暖化の結果について私が危惧することは、「寒い国」がなくなってしまうことだ。
つまり「寒い国の人々」もいなくなってしまう。

ゲーテはその色彩論の中で、純粋な白は光の代わりであり、厳密には色彩とはいえないと言っている。
一面真っ白な雪と氷の世界・・・白は光の色であり、霊性の色だ。
真っ白い雪原を見るときの気分は、単に物質としての雪を見ているのではない。

自然霊たちが内界に退いて、小動物や植物も眠りに入る冬は、深い内側から宇宙の霊性が立ち現れる。

生命が外に向かって横溢する熱帯が、呼吸の一方の極ならば、必ずもう一方も必要なのだ。
鳥や昆虫、植物は、熱帯地方へ行くほど大型で色鮮やかになる。

北方では、野花は小さく楚々としている。昆虫も、ウスバシロチョウの仲間などは翅が薄く透きとおって、最小限の物質性だけを残して霊化していく途上のように見える。

地球には、雪に覆われた凍てつく冬が十分な長さで存在する地がどうしても必要だ。
...なのに、今年はまだ根雪にさえなっていない。

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「FIRST SNOW」 https://fairyhillart.net

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posted by Sachiko at 22:58 | Comment(0) | 自然
2019年11月15日

雪が降る

一日中雪が降り続いていた。
家も道路も木々も真っ白に覆いつくされるとき、これほど美しい景色があるだろうかと思う。

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降る雪を見ていると時間を忘れる。というより、時間という枠の外に出るような気がする。

人が住んでいる場所で、雪に覆われ氷点下になるほんとうの冬がある地域はそう多くはない。
空から白い雪が降るという奇跡....
  
posted by Sachiko at 22:07 | Comment(2) | 自然
2019年11月03日

リンゴンベリー

花屋さんでリンゴンベリーの苗が売られているのを見つけた。

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「コケモモ」と訳されているが、日本でコケモモと呼ばれている植物は種類が多く、一般に見かける苗のほとんどはリンゴンベリーではない。

これはラベルに「リンゴンベリー」と書かれていて、原産地もフィンランドになっている。
葉っぱの丸い形からしても、リンゴンベリーで間違いなさそうなので買ってみた。

北欧の絵本に出てくる「コケモモ」はたいていこのリンゴンベリーだ。

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クリスマスの絵のモチーフとしても、ヒイラギよりリンゴンベリーが描かれていることが多い気がする。

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北欧の森にはたくさん自生し、可憐な見た目だが耐寒性が高く強健で、マイナス40度でも耐えるという。

釣鐘型の白い花もかわいい。
7ミリほどの小さな実はソースやジャムにするとおいしいらしいが、ジャムを作るほど収穫できるのはいつになるだろう。
  
posted by Sachiko at 22:08 | Comment(0) | 自然
2019年10月29日

沼地のマーケット

「植物と叡智の守り人」(ロビン・ウォール・キマラー著)から、ガマを使い尽くす話の続き。

ガマの生えた沼地はあらゆるものを提供してくれるマーケットのようだ。食料、繊維製品、住まいや薬になる材料....
そしてマーケットを廻りながら、賢い先住民の智恵が語られる。

「薬は病気の原因のそばに生える」

ガマの葉の根元を剥がすと、ねばねばしたゼリー状のものが出てくる。このゼリーが、ガマの収穫で日焼けした肌につけると爽やかで抗菌性もある薬になるのだ。

ネイティヴアメリカンの言葉の中には、植物を表わす単語が「私たちの面倒を見てくれる者」という意味になるものがあるという。

ガマの生える湿地について書かれている文章は美しい。

『・・・淡水湿地は、地球上でもっとも豊かな生態系のひとつで、熱帯雨林と双璧をなす。
そこは魚や動物も豊富だった。浅瀬では魚が散乱し、カエルやサンショウウオもたくさんいた。水鳥たちは密集して生えるガマの剣のような葉に護られてそこに巣をかけ、渡り鳥は旅の途中の安らぎの場所としてガマの生えた沼を求めるのである。』

だが、やはりこの湿地もほとんど失われてしまった。
排水されて農地にされ、多様な生物を養っていた土地が、ただ一種類の作物を育てるようになる....


多様な生態系があった場所の行く末は、世界のどこでも同じようだ。

以前「カントリーヘッジ」という絵本を紹介したことがある。かつて土地の境界に使われていた多様な植物による生垣が、人々にとっても食品庫であり薬棚でもあったという話だ。

日本の里山も、かつては豊かな生態系だった。
それらは目先の利益をもたらさなかったかも知れないが、循環しながら長く続いていく生命力を持っていた。
単一作物の畑も、単相林も、短期間で土地が疲弊する。

前にも書いたかもしれないけれど、私はずっとこう思っている。人間の暮らしに必要なものは、本来自然界にすべて用意されているはずだ。

多くを与える沼地のガマのような植物は、その土地ごとに存在しただろう。
共存、共働は自然の姿で、多様な生態系がもたらす豊かさは、貨幣経済という単一視点による豊かさとは別次元の拡がりを持っていたはずだ。

それは物質生活だけでなく、魂を喜ばせ、霊性をはぐくみ、土地ごとの文化を育てた。
現代の渇いてやせ細った魂は、その深奥では、生きものたちや“特別な植物”のある豊かな饗宴の座に加わりたくてたまらないのではないだろうか、と思う。
  
posted by Sachiko at 22:28 | Comment(0) | 自然