2022年06月12日

手紙とエーテル

手紙というものを書かなくなって久しい。
今思えば、手紙には単に用件や何かを伝えるという以外の要素が多くあった。

筆跡を通して、その人のエーテル体とつながることができるのだという。
以前「ペン習字のお手本みたいな字の手紙はもらいたくない」と言った人がいた。
美しい文字には違いないけれど、誰だかわからない仮面の人物のような気もしてしまう。
改まった文書ではないのだから達筆である必要はなく、一目で誰だかわかるのがいい。


昔よく学校で友だちと手紙の交換をしていた。
前の日に書いた手紙を、朝渡す。
教室で毎日会っているのに何を書いていたのか、中身はもう全く憶えていない。
時間を割いて、何かの思いを綴る。
簡単便利な今のLINEとは、似ているようで違っていた。

SNSではたくさんの投稿が、毎日あっという間に流れていく時代。
かつてのゆっくりした時間の流れ方は、エーテルの流れでもあったような気がする。

そのエーテル感覚が、近年はとても弱っているように思う。
オンライン何とかというのは、私は苦手だ。
確かにZoomは便利で、遠くまで出向かなくても済むのだが...

現代生活が、文字を書かなくてもすむように、さらにここ2、3年は生身で会わないように方向づけられていたのは、大切なエーテル感覚を希薄にするための策略のように見えてしまう。

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訳あって少々忙しく、あまり頻繁に更新できないかもしれませんが、ゆっくりとおつきあいくださいませ♪
  
posted by Sachiko at 22:33 | Comment(2) | 未分類
2022年03月27日

四つの気質

ここで勝手にリンクを貼っている「森へ行こう」というブログ、コピー転載自由ということなので、3月27日付の記事の一部を転載させていただいた。

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一般的に多血質の人は「色」に敏感です。ですから、多血質の人は色彩豊かな世界に生きています。また「変化」が好きなので、変化するものに引き寄せられます。

憂鬱質の人は「音」に敏感です。ですから、憂鬱質の人は豊かな音の世界に生きています。特に人の声や自然の音には敏感です。色よりも明暗に対する感受性が高いです。
またそのため、「騒がしい音」や「明るすぎる場所」は苦手です。
多血質の人と同じように変化にも敏感ですが、多血質の人が変化を好むのに対して、憂鬱質の人は変化を怖がります。
そして日本人はそのような感性が強い民族です。

粘液質の人は肌に触れてくるものに敏感です。肌に触れる風、肌に触れる光、手をつないだときの手のぬくもり、子どもを抱いているときの柔らかい感触、お風呂のお湯の感覚のようなものが好きで、その感覚に浸っていると幸せを感じます。

胆汁質の人は社会的な活動や意味のある行動に強い関心があります。
そのため「善悪」には興味がありますが、「美醜」には興味がありません。人工的なものには興味がありますが、自然にはあまり興味がありません。目立つものが好きです。自分が目立つのも好きです。
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人間の基本的な四つの気質について普段から意識する人は多くないかもしれない。シュタイナー教育では子供のときから気質について学ぶ。

ひとりの人間の中で四つの気質は入り混じっていて、どれか一つに特化しているわけではなく、どの気質の傾向が強いか、ということなのだ。
あるタイプの人とどうも合わなかったりすることも、気質を理解することによって緩和できたりする。

(ちなみに私はバリバリの胆汁質(特に男性)が苦手だ...などと書いてしまってはマズイかな、と思ったけれど、たぶんバリバリ胆汁質の人は私のブログには来ないだろう。)

同じ気質でも、年齢性別、背景の文化や気候風土などで、色合いのグラデーションのように現れかたが違ってくる。
日本人の憂鬱質と北欧人の憂鬱質はかなり質が違うと思う。

日本人はほんとうに憂鬱質が強いのか、もしそうなら日本の都市はなぜこんなに騒音やギラギラした照明が多いのか?という疑問もある。
元々は「もののあはれ」を感じ取る精妙な感性を持っていたはずが、現代特有の別の要因が入り込んでしまったのだろう。


今日は最初のスノードロップが咲いていた。
その写真を撮りそこなったこともあり、急遽話題を変更した次第。
  
posted by Sachiko at 22:21 | Comment(0) | 未分類
2022年02月08日

山の方角

前に、私の頭の中でムーミン谷の地図の南北が逆さになっていたことを書いた。
そして最近、久しぶりにミドルアース(中つ国)の地図を見たら....

私の中ではずっと、フロドたちはホビット庄を出発した後、西へ向かって旅しているイメージがあった。
つまり、古森→粥村→裂け谷と西に向かい、そこから南に向かって霧降り山脈が続くと思っていたのだが.....

地図を見ると、この認識では東西が逆になってしまっている。
エリアドールの地図をちょうど鏡に映したような感じだ。
なぜこうなった?


ふと、思いもよらなかったことに気がついた。

山というものは西側から南側にかけて連なっているものだ、という、強く刻印されたようなイメージだ。
北や東に山があるというのはどうしても違和感があってイメージしにくい。

それで、ムーミン屋敷から見て北東におさびし山があることにも強烈な違和感があったのだ。
この観念はどこから来ているのか....


何のことはない、札幌の地形だ。
西から南にかけて山があり、北や東は平地なのだ。

時々、街で道に迷っている夢を見る(夢の中でさえ方向音痴...(>_<)。
その時山のあるほうを見て、向こうが西だ!と歩き出す。

人は無意識のうちに環境の影響を受ける。
けれど口にする食べ物の影響は気にしても、目にするものの影響はふだんあまり意識しない。

でも実際は、住環境やあたりの景色がどんな様子をしているかは、魂に刻印づけられる。
だから、美しい場所を創ることが必要なのだ。

こうして長い時間をかけて刻印された内なる地図が、ムーミン谷やミドルアースの地図をひっくり返すような影響を与えているとは思わなかった。
    
posted by Sachiko at 22:03 | Comment(2) | 未分類
2021年11月01日

残照、残響

それらがあるとき、元になった本体はすでにない。

太陽は沈み、楽器は鳴りやんでいる。

しばし残る余韻も、ほどなく消え去る。


それらはどこへいったのか。


ほんのかすかなもの、意識を向けていなければ気がつかないほどの、短いあいだに消え去るもの。

なのに、時に本体以上の何かをもたらす。

あまりに慌ただしく出来事の真っ只中にいる時には、気づかずに通り過ぎてしまう。

思い出は、できごとが過ぎ去ったあとの余韻の中で静かに醸される。

いちばん暗い季節だという11月は、消えかかる残照、残響のように、どこか心もとない。

nov.jpg
  
posted by Sachiko at 22:28 | Comment(0) | 未分類
2021年09月25日

「雨ふり小僧」

今日はちょっと変わったものを。
でもコミックカテゴリは作らない(作ると大変なことになりそうなので)。
手塚治虫の短編で、私が一番好きなのがこの「雨ふり小僧」だ。


山の小さな分教場に通うモウ太はある日、捨てられた古い傘から生まれる妖怪“雨ふり小僧”に出会う。
雨ふり小僧は、モウ太が履いているブーツがほしいという。

雨ふり小僧は大人には見えないらしい。ただ、雨ふり小僧がいるところに降る雨だけは見える。

分教場が火事になり、モウ太は雨降り小僧に雨を降らせてもらい、火事を消したらきっとブーツを持って行くと約束するが...

分教場が廃校になったために町へ引っ越すことになったモウ太は、すっかり約束を忘れたまま村を去ってしまう。
雨ふり小僧は約束の橋の下でずっと待っていた。


大人になったモウ太が小さな娘のブーツを買いに行った時、突然あの約束を思い出し、大慌てでブーツを持って村に向かう。
雨ふり小僧は、約束の場所で待っていた。

「約束のブーツを持って来た!!おまえったら、四十年もここで待ってたのかい!?」

「ウン」

けれどモウ太の目には雨ふり小僧の姿がしだいにぼやけて薄れて見える。

「まにあってよかったどに きっといつか持って来てくれると思っとったどに....」

まだ行かんでくれ!!雨ふり小僧!!とモウ太は叫ぶが.....

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雨ふり小僧は、大人には見えない。
最後にモウ太が会うことができたのは、子ども時代の約束の力が残っていたからなのか。

約束が果たされ、雨ふり小僧は消えていく。
成仏した、とも見える。
傘はもうボロボロになって、とっくに消えていてもおかしくなかった。

四十年も忘れていたモウ太と、四十年も待ち続けた雨ふり小僧。
約束が思い出されてよかった。
約束が果たされないまま消えてしまわなくてよかった。

この小さな物語はピュアで切ない。


これを思い出したのは、全く別のところからだった。
ずっと前に書いた、「自然存在−忘れられた友だちからのメッセージ」という記事の中、長いあいだ人間に忘れられたまま、まだ人間との共働を願い、待ち続けている自然界の精霊たち。

雨ふり小僧は傘の妖怪だから、人間界に近いところにいる。
井戸やかまど等、人工物の背後にも霊的存在がいると知っていた頃の人間は、きっと大人でもそれらの存在を知覚できたのだろう。

ちなみに一番好きな長編は、火の鳥でもブラックジャックでもなく、開拓時代の北海道を舞台にした『シュマリ』だ。
いや...コミックカテゴリは作らないけれど。
  
posted by Sachiko at 22:34 | Comment(2) | 未分類