2020年01月01日

2020 HAPPY NEW YEAR ♪

明けましておめでとうございます。

パウダースノーが舞う真冬日の元日となりました。

今年も、星や樹木や花や虫...
見える存在や見えない存在とともに、
皆さま幸せな年でありますように♪

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
  
posted by Sachiko at 09:39 | Comment(0) | 未分類
2019年12月31日

2019ジルベスター

2019年も最後の日になりました。
12聖夜も後半に入ります。

昨日の雨で雪がかなり融けてしまい、草が見えていました。今夜からは雪のようで、結局また最後には帳尻が合うということになるのかも...

この地味なブログを訪問してくださる方も地味に増えていて、どこで見つけてくださったのか....ありがとうございます。(ネタのほうは切れ気味ですが....^^;)

2020年については巷でいろいろな話が飛び交っているけれど、私のところに入ってくる話の共通項は、ハートがいちばん喜ぶ方向が道しるべ、ということです。
皆さまよいお年をお迎えください♪
  
posted by Sachiko at 16:29 | Comment(0) | 未分類
2019年11月21日

続・1+1の不思議

『エンデの文明砂漠』(ミヒャエル・エンデ)より。

---------------------------

「・・・これはいわば近代的思考全体がもつ一種奇妙な先入観ではないでしょうか。つまり、何かを数字におきかえることで、あたかもその事象の真の現実性をとらえたと思い込むことです。この世界でもっとも抽象的なものが数字にほかなりません。」

---------------------------

現代の7つの悪と言われるもののひとつがこの数字信仰で、現代科学では、あらゆるものが数値に置き換えられる。

人の考えや内面のはたらきなど、本来数字で表せないはずのものまでも数値化される。
「こう感じている人が何パーセント」など、ほんとうはありえないのだ。

エンデは一瞬何のことか?と思うような不思議な言葉を語る。
「私は森で“7”に会ったという経験もありません。」

森で7本の木や7羽の小鳥を見ることがあっても、“7”そのものを見ることはない。

「数字は人間精神の中にのみ存在し、外の世界には存在しません。」


二元論については、ユダヤの秘教カバラの話が出てくる。
そこでは“2”は本来存在せず、存在するのはあくまで“1”であり、それは数値の最小単位としての1ではなく、全体を意味する1だ...と。

「この全体を両極性に見ることはできますが、それはつねに全体であり続けます・・・」

前回書いたように、個も「1」であり、全体も「1」である.....私はほとんど子供の頃から、この不思議さのことを思っていた。
これがカバラにつながっているとは思わなかった。

両極性を持つ全体、このことも以前書いた気がする。
夜と昼、冬と夏....地球上では常に両極を見ることができるが、それは地球という全体性においてひとつである。

「・・・それが2になることはないのです。3になることはあります。それは次の現実なのです。」

対立したひとつずつの位置からは全体は見えない。両極性を持つ全体を見るには、第3の視点が必要だ。地球を離れたところから見るような....
1+1=3.....あれ??
   
posted by Sachiko at 21:45 | Comment(6) | 未分類
2019年11月19日

ある歌手の話

記憶の底から、長いあいだ思い出しもしなかったことが、不意に浮かんでくることがある。

今日は、ずっと昔何かのラジオ番組で聞いたこんな話が浮かんできた。

---------------------------

あるオペラ劇場で、その日歌うはずだった有名歌手が急病のため出演しないことになり、急遽若い歌手が代役に立った。

若い歌手の歌はかなり良かったのだが、有名歌手を目当てに来ていた観客たちはまだ機嫌をそこねていて、歌が終わっても誰も拍手しようとせず、劇場は静まり返ったままだった。

そのとき、天井席のほうから幼い子供の声が響いた。

「パパ!ぼくはパパがすばらしかったと思うよ!!」

すると、客席から少しずつ拍手が起こりはじめ、やがて大きくなって、満場の拍手喝采になった。

---------------------------

なぜこの話を思い出したのかわからないけれど、若い歌手も子どもも観客も、みんなが救われた劇場の空気がリアルに感じられる気がするのだ。
  
posted by Sachiko at 22:38 | Comment(2) | 未分類
2019年11月14日

1+1の不思議

『エンデの文明砂漠』(ミヒャエル・エンデ)の中に、面白い話が載っていた。

-----------------

・・・ある日、学校で1+1が2だと教わったとき、当時私は立ち上がり、先生に尋ねました。
「どうしてですか。1+1はいつまでたっても1+1のはずなのに、どうしてそれが2になるのでしょうか。」
先生は私の言っていることがまるでわからなかったのです。
でも、今でもそのことが驚きです。

-----------------

幼いエンデ少年の問いを瞬時に理解し、適切に答えられる人がどれくらいいるのかわからない。
1+1は何か。どこでそれが一瞬にして2になるのか...

もうひとつこんな話も載っている。
これは日本の話だが、ある幼稚園児が目を覚まして「お母さん、今、今日?」と聞き、お母さんがいつも「そうですよ」と答えていたら、「いくら眠っても、明日にならないで今日ばっかり」と言った、という話だ。

この話からは、「鏡の国のアリス」に出てくる、チェスの女王とアリスの会話を思い出す。

女 王:「一日おきにジャムをあげる」
アリス:「ありがとう、でも今日のところはほしくないんです」
女 王:「だれが今日あげると言った?昨日のジャムと明日のジャムはあるけど、今日のジャムはないんだよ」


1+1の話では、私も似たような疑問を持っていた。

A.棒が1本ある。もう1本持ってくると、2本になる。
B.棒が1本ある。これを真ん中から折ると、2本になる。

もう1本持ってきて合わせても、2つ。
1本を分離させても、2つ。
んん....?

C.棒がバラバラに散らばっていたとする。それぞれは、ひとつ。
D.バラバラの棒をまとめて塊にするとき、「ひとつにする」と言う。
んん....?

バラバラのものは、ひとつ。まとまった全体も、ひとつ.....
これは数の問題か、それとも言葉の問題か....

「1」は個であり、全体でもある....
アートマンとブラフマン...ということにもつながっている?

...こんなあやしげなことばかり考えていると、この世でまっとうに生きていくのに支障が出るかもしれないので、よいおとなはマネしませんように....
  
posted by Sachiko at 21:43 | Comment(2) | 未分類