2023年02月28日

少年は失敗から学ぶのか...?

優れた児童文学に登場する子供たちは、現実にはめったにないほど賢く描かれていることが多い。(もちろんそうではない場合もある)

そして、子どもたちの周辺にいて彼らを見守る大人たちも、めったにお目にかかれないほど賢い人々だ。(もちろんそうではない人々も登場する)

「グリーン・ノウ物語」の中の子供たちと、オールドノウ夫人。
「飛ぶ教室」の少年たちと、ベク先生や禁煙先生。
「夜のパパ」のユリアと、青年ペーテル。
これはまだ紹介していないけれど「ツバメ号とアマゾン号」の4人きょうだいとその両親など。
優れた作品は賢い大人が書いているので当然そうなり、それが作品の質を高くする。

けれど現実世界でも、表面的には見えない子どもの叡智というものは確かにある。
子供がまだ小さいからわからないだろうなどと思って、そばで大人が良からぬ話をしていたり、嘘をついていたり、両親が険悪になったりしているとき、子供はすべてわかっている。

幼いので大人が使う言葉そのものを、辞書的な意味で理解はしていないかもしれない。でも体の感覚、生命の感覚として、空気の中に満ちているものを感じ取る。
動物はある種の霊視力を持つと言われているが、幼い子供にはそれに似たものがまだある気がする。


こんな話を持ち出したのは、ここでリンクを貼っているブログ(ちなみに書いているのは男性)の中に面白い話を見つけたからだ。
転載自由とされているので書いてしまおう。

「・・・男の子は自分の行為の結果として、痛い目に遭わなければ学習しない生き物だからです。
だから、男の子は何でもかんでも(いいことでも悪いことでも)やってみようとするのです。」

「女の子の方は男の子よりも賢いので、やらなくても先が読めてしまうのです。」


別のところで似たような言葉を見たことがある。
例えば何かの犯罪などを犯してしまい、その行為の結果を引き受けるプロセスの中で学ぶという人生を選ぶ人がいる。
一方、実際にやってみなくても、見るだけで十分な人もいる、と。

女性は本来生命感覚に優れていて、女性の身体は宇宙生命に直結している。
女性は特攻隊などというものは思いつかない。
(近年の、男性そっくりになって男性と同じことをするのが平等だと思い込まされた女性たちはどうかわからない。)


男の子は痛い目に遭わなければ学習しない....男の子が大きくなった、大人の男性はどうだろう。
時々、それなりに地位もキャリアもある大人が、しょうもない犯罪(少額の収賄とか覗きとか)で、人生を棒に振ってしまうケースがある。先が読めなかったのだろうか。

かつてC・G・ユングは、「このまま男性原理の社会が続けば、人類は核兵器によって滅びるだろう」と言っていたそうだ。

少年時代に学習しないまま大人になったような人々が、大きな権力を手にして突き進んだ場合、たいてい結果を引き受けるのはその本人ではなく一般市民なのだ。
   
posted by Sachiko at 21:48 | Comment(0) | 未分類
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