エンデの作品にはよくサーカスや小さな劇団などの芸人たちが描かれている。エンデはこうした芸人たちに、特別な尊敬と愛着を抱いていたらしい。
旅芸人といえば真っ先に、これも以前書いたフェリーニの映画『道』を思い出す。
あとは、『旅芸人の記録』という、4時間近くもあるとんでもなく長いギリシャ映画。
一座は「ゴルフォが来たよ!タソスが来たよ!」というお決まりの呼び声とともに、たったひとつの演目だけを持って旅していく。
この映画は今もたまにリバイバル上映されているようだ。
旅芸人はやはりイタリアなどの南欧が似合う気がする。
仄暗い猥雑さ、体温と血の生暖かさ、横溢する生命の輝き。
ヨーロッパの街でかつて印象的だったのが、メインストリートにたくさんいた大道芸人たちの姿だった。
いつも同じ街にいる人もいれば、旅している人もいた。
ある都市で見かけたグループを、また別の都市で見たことがあり、大道芸の衣裳のまま、小道具を抱えて駅で列車に乗り込むところを見たこともある。映画のワンシーンのように見えた。
思えばまだのんびりした時代だった。
昔、夏ごとにフランス人の大道芸人が来ていてパントマイムなどをやっていた。ある時、市の条例だか何だか知らないが、公道や公園での物販や大道芸が禁止されてしまった。大通公園ぐらい、スペースがあるんだからいいじゃないか。
道端で手作りアクセサリーを売っていた人たちも(たまにあやしげな人も混じっていたらしいが)、どこかで採ってきた山菜を売っていたおじさんおばさんもいなくなった。
旅芸人は、組織化されない人々だ。
システムにあてはまらず、明日どこにいるのかもわからない。
思えば浮浪児という設定のモモ自身がそのような存在、つまりすべてを管理しようとする灰色の男たちにとっては厄介な存在だ。
ミヒャエル・エンデは『ものがたりの余白』の中で、子どもの頃に、近所の家で冬を越すことになったサーカス芸人一座と過ごした思い出を語っている。
サーカス芸人たちは芸術家そのものだとエンデは言う。
「芸術家の存在は、この世に、なんの役にもたたないことをする者がいるためなんです。いわば無償で起きるなにか。なにか有益なことを得ようとしてするのではない。それを人類が失えば、人類はとても大切なポイントを失うことになる、そのようなもの。」
すべてがシステム化されて整い、自分で創意工夫する必要もない便利な都市は、怪しげな翳をも受け入れて消化する包容力を失い、人々は生気を欠いて見える。
人間には清潔な秩序ばかりでなく、幾ばくかのいかがわしさのようなものがまとわりついているほうが人間らしいというものだ。
そうした人間臭い生気が、ある力にとっては邪魔なのだろうけれど、逆に言えば、次の全く新しい文明を創る原動力をどこに見出したらよいかということへの示唆にもなる気がする。
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泣きそうになりました。
「生死をかけた戦いに敗れてはじめて、芸術に道が通じる。
敗北の感触を知らなければならない。」
というようなことを言っています。
明日の保証もないサーカス芸人たち、
生と死という根源に近いところを生きる無名の芸術家に、
エンデは心底からの愛情をもっていたのでしょうね。