2022年12月17日

「水晶」

オーストリアの作家アーダルベルト・シュティフターの「水晶」、山あいのクリスマスの物語。

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あらすじ

谷間に、クシャイトという小さな村があった。
山のあいだの峠は「くび」と呼ばれ、くびの向こう側の谷にはミルスドルフという立派な町があった。

どちらの人々も昔ながらのしきたりを守って生きていたが、互いに人が行き来することはほとんどなかった。

クシャイトの靴つくり師は、ミルスドルフの染め物師の娘を見そめて村に連れ帰った。娘は靴師の妻になってからも、村人たちからはよそ者と見なされていた。

夫婦に男の子と女の子が生まれ、男の子が大きくなると、妹を連れて子供たちだけで「くび」を超えて祖母を訪ねることも許された。

子供たちもまたクシャイトではよそ者扱いだった。兄の名はコンラート、妹はザンナと呼ばれていた。

ある年のクリスマスの前日、天気がいいので兄妹はミルスドルフを訪ねた。
祖母は子供たちにパンやいろいろなものを持たせ、母親へのお土産には濃く淹れたコービーのビンを渡した。

日が暮れて寒くなる前に、子供たちは帰り着かなければならなかった。
やがて降り始めた雪は、「くび」を超える頃にはますます激しくなった。

二人はクシャイトに降りる下り道をみつけられないまま、知らずに山を上っていった。
すっかり夜になり、眠りそうなザンナに、兄はコーヒーを飲ませた。濃いコーヒーは効き目を現した。

夜が明け、また歩き始めた二人は、クシャイトの人々がやってくるのを見つけた。子供たちは助かった。

その夜村人たちは酒場に集まり、それぞれのはたらきや見聞きしたことを話した。
この事件はその後いつまでも村の語り草になった。
兄妹は、この日からほんとうに村の子どもと見なされ、子供たちの母親も村人となった。

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80ページ足らずの短い物語。シュティフターの物語は細部が美しい。

道に迷ったあとも、兄のコンラートは妹を気遣い励ましながら、それらしい道を探して先へ先へと進む。
道々あたりのようすを説明する兄の言葉に、妹はすこしも疑わずに答える。

「きっとぼく、クシャイトへ帰れるように下り道を見つけるから」

「そうよ、コンラート(Ja, Konrad)」


「麓の森を抜けて降りて行く。
そうすれば、すぐにぼくたちの村に帰れるんだよ」

「そうよ、コンラート」


「寒くなったら両手でからだをぶつんだよ。
そうすればあったかになってくるんだ」

「そうよ、コンラート」


風がなくただただまっすぐに降り続ける雪を見たことのある人は、そのようすをイメージできると思う。
少しでも風が起きて吹雪になったら、子供たちは到底助からなかった。

雪が止んで晴れた空に、壮麗な冬の星々が輝く。
すべての村の教会が打ち鳴らす聖夜の鐘も、子供たちのところへは届かない。
空を身上げる子供たちの目に、不思議な光景が映る。

星々の中に光が現れて拡がり、弓形に輝きながら流れた。
弓形の頂点に、光の束が王冠のかたちに立ち上り、光はきらめきながら空間をつらぬき、やがて静かに薄れていった。

家に帰り着いてベッドに寝かされた小さいザンナは母親に言った。

「お母さん、ゆうべ、お山にすわっていたとき、わたしキリストさまを見たの」

・・・

谷あいの小さな村では、人々は日々の暮らしと生業にいそしみ、大きな事件などめったに起こらない。たまに起こった出来事は、自分自身や先祖が体験したこととして、何世代も語り継がれる。

変化の少ない中で、無骨でずっしりとした人生を終える時代は過ぎていった。
現代の日々猛スピードで流れていく情報は、刹那、刺激的でありながらすぐに忘れ去られる。
忘れ去られているのはむしろ、体験に根差した確かな手触りのある人生のほうではないのだろうかと思う。


昔ウィーンのシューベルト記念館を訪ねた時、同じフロアにシュティフター記念館もあるのを偶然見つけた。
画家でもあったシュティフターの風景画などが展示されていた。
  
posted by Sachiko at 22:32 | Comment(0) | ドイツ・オーストリア
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