2022年07月06日

誰のものでもない

かつて、近所の空き地は誰のものでもなかった。少なくとも子どもたちにとっては。

そこに咲いているタンポポもシロツメクサもアカツメクサも、そのほかの名前のわからない草も、誰のものでもなかった。

それで子どもたちは勝手にそこに入って遊び、草花を摘んで冠や首飾りを作ったり昆虫を捕獲したりしたが、誰からも何も言われることはなかった。

明らかに所有者がいる庭でも、中には空き地に似た性質を持っているところもあった。

そこに子どもたちが入り込み、落ちている栗を少しばかり拾ったり、花の蜜を吸ったとしても、誰からも何も言われることはなかった。

それらは日常的な子どもの風景として認知されていた。
子どもたちのうちの誰かが、その家の住人と知り合いででもあればそれでよかった。


いつしか、どんなものにも所有権があり、所有者以外は子どもと言えども触れることができなくなった。
そして他人が所有する土地から木の実ひとつでも持ってこようものなら、窃盗罪に問われる恐れが生じた。


かつて先住民たちは、聖なる大地を所有しようなどとは思いつかなかった。

そこへ所有したり売り買いする人たちがやってきて、住んでいた土地を追われた。土地だけではない。領海とか領空とか、海や空までも誰かのものらしい。

土地を所有し、それを売ったり貸したりして利益を得るのは、霊的に見れば盗みなのだとシュタイナーは言う。
けれど現代人である以上、誰もそこから逃れられない。

本来、誰のものでもなかった地球。
今や、誰のものでもないものはもうほとんど残っていない。


ほおずきの白い花が咲いている。
子どもの頃、ほおずき人形を作ったりして遊んだけれど、あのほおずきはどこから持って来たのだったっけ。

誰のものでもない星の上で、ただそこにある木や草花を楽しみ、生きものと戯れるシンプルさの中に、人間はふたたび到達できないものか。
空き地で遊んだ子どものように。
  
posted by Sachiko at 22:07 | Comment(2) | 未分類
この記事へのコメント
土地の所有 売ったり貸したりの利益は
霊的に見れば盗みと 
シュタイナーは言っていたのですね。
なんだか ホッとしました。
今年に入って 家の土地の所有者が代わって
いろいろと大変な目にあったので
シュタイナーの言葉に救われました。
土地には 動物も 虫も住んでるし
植物も住んでいて
みんなに権利があって
人間だけのものじゃないのになぁ・・・


Posted by にゃん太郎 at 2022年07月08日 11:00
人間以外の存在たちがいなければ、
人間は人間として存在し得ない。
それなのに、この短期間でどれほどの
生きものを絶滅させてきたことか....

新しい文明は、人間がこれまでとは
全く別の在り方をするようになった
向こう側にあるのでしょうね。
Posted by Sachiko at 2022年07月08日 22:13
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