「オリーブの森で語りあう」というかなり古い本(ミヒャエル・エンデ、エルンスト・エプラー、ハンネ・テヒルによる会話)がある。
1982年に、世界の今日的課題を中心に語られたものだが、40年経った今でも問題はほとんど変わっていないか、ますますひどくなっているように見える。
その中でエンデは聖フランチェスコ伝説から、よく知られたニンジンのエピソードを持ち出す。
旅人:フランチェスコさま、来週世界が滅びてそのニンジンを食べられなくなるとしたら、どうなさいますか。
フランチェスコ:このまま種をまき続けるさ。
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そもそも希望は、いつも「…にもかかわらず」心にいだかれるものだ。
「…だから」希望がいだかれるわけじゃない。
だから希望というものは「超自然的な徳」なんだ。
ぼくは「われわれの現状が人類の歴史の終着駅となる」なんて信じない。
人間は人間だけですべてをつくる必要はない。世界にはほかにいろんな力がはたらいている。それらが助けの手をさしのべてくれたり、必用な条件をととのえてくれたりするんだ、とね。
こういう確信をぼくは、『モモ』のマイスター・ホラという人物にたくした。
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この「…にもかかわらずの希望」の話は、1991年刊の「エンデの文明砂漠」でも同じように語られている。
・・・「希望」は「ものごとがそうだから」もつものではなく、「物事がそうであるにもかかわらず」もつものなのです。
人類がこの地球上でなすべきことをすでに終了したとは思いません・・・
マイスター・ホラは時間を止める前に、モモに1時間分の時間の花を与える。時間が過ぎるとともに、花びらは散っていく。
奪われた時間貯蔵庫の扉を、モモは花びらで触れて閉め、時間の供給を絶たれた時間泥棒たちが消え去ったあと、残った最後の1枚の花びらで扉を開ける。
小さなモモと最後の1枚の花びらによって為されたことが、どれほど大きなことだったのか、人々は知らない。
人間時間の中ではまばたきするほどのあいだに、超自然的なはたらきが入り込まないともかぎらない。
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こんなにも やさしくて 深い意味が
あったんですね。
「モモ」がまた読みたくなって
ぱらぱらと 読んでいます。
これは過去に起こったことのように話したけれど
将来起こることとして話してもよかった...
とありますね。
「モモ」は半世紀も前に書かれたのに、
ますます今の時代に近いものに感じます。