2022年03月14日

メルヒェンと沈黙

マックス・ピカートの「沈黙の世界」の中で、メルヒェンについて少し触れられている。

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童話の中では、言葉を与えられるのは星であるか、花や樹木であるか、或いは人間であるかが、まだ不確かなのだ。
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あたかも、沈黙が深いところで、星か花か或いは人間か、いずれに永久に言葉をあたえるべきかを熟考しているようなのである。
さて、人間が言葉をあたえられた。しかし、まだ暫くのあいだは樹々や星や獣類も、語り続けていたのである。

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そうしてしばらくのあいだ、人間は星や樹木や獣たちのことばを聴くことができたようだ。
それとも、人間が彼らの言葉を聴くことができていたあいだ、彼らはまだ語り続けていたのだろうか。

現代の人間の言葉は、世界の他の存在たちと言葉を分かち合っていた頃とは違っている。今日の言葉がまだ“言葉”と呼べるものかどうかもわからない。

星や樹木や花や、人間自身の別様の姿を美しく映し出していたはずの存在たちは沈黙している。
人間は世界の中で、極端に孤独になってしまったのだ。

この孤独は人間を狂気に駆り立てる。
人間が他の美しい存在たちに耳を傾け語りかけることは、ふたたび自分自身を取り戻すことだ。


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童話の中のあらゆるものは、沈黙のうちに経過することもできるであろう。そして、本来ならば沈黙のうちに生起しうるものが、しかも言葉を伴っているということ、このこと自体が既に一つの童話だといわねばなるまい。
ちょうど子供たちが沈黙の世界に属しているように、童話は沈黙の世界に属しているのである。
子供たちと童話とが切っても切れない関係にあるのはそのためである。

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メルヒェンの中の木々や獣たちは、沈黙に属しているがゆえに語ることが出来た。子どもたち、そしてまだ沈黙に属していた時代には大人たちも、それらの言葉を聴いた。

やがてメルヒェンは「子どもじみたもの」として大人世界から閉め出され、子ども部屋に追いやられてしまったが、今ではさらに子ども部屋からさえ追い出されようとしているらしい。

現代人はこの上さらに何を失おうとしているのだろう.....
幸い、そうしようと思えばメルヒェンはまだ手の届くところにあり、始源に続く小径の旅はたしかに、喧噪の日常では味わえない活力に満ちている。

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〈ルンペルシュティルツヒェン〉 https://fairyhillart.net/grimm1.html

rumpelstilzchen.jpg
  
posted by Sachiko at 22:40 | Comment(2) | メルヒェン
この記事へのコメント
この本が読んでみたくなり
図書館に行ったら書庫にありました。
詩のようで哲学のようで神秘学のような
途中難しくて何度も居眠りしてしまいました。
書いてあることは まるで
今の社会状況にぴったりとあてはまることが
多々あり ひゃー
と思いました。
テレビについては 触れられていなかったので
(ラジオだけでした)
テレビのない時代に書かれたものなのか
すごいなぁと思いました。
この先 沈黙について深く考えることが
増えそうです。
Posted by にゃん太郎 at 2022年03月19日 17:29
この本が書かれたのは1948年(日本語訳が出たのは1964年)で、
まだテレビはありませんでした。

ピカートにとってラジオだけでも騒音語だったのなら、
今のネット上の喧噪などを見たら何て言うでしょうね。

70年以上前に書かれた本ですが、ほんとうに、
世界がますます混迷を極めている今の時代に当てはまります。

『沈黙を創れ』
このことはまさに今、
火急に必要とされているようです。
Posted by Sachiko at 2022年03月19日 22:14
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