2022年03月09日

春の物語

ふと、宮澤賢治の作品の季節は、ほとんどが秋から冬ではないだろうかと思った。
全作品を読んでいるわけではないけれど、よく知られている主要な作品はほとんどそう見える。


『風の又三郎』は、9月1日の新学期から始まる。

『銀河鉄道の夜』は、夏の星座が出てくるけれどもやはり秋の新学期のようで、銀河鉄道で旅する途中には、リンドウやススキが生えている。

『どんぐりと山猫』は、どんぐりが出てくるのだから秋だ。

『注文の多い料理店』、これもススキがざわざわしているので秋だ。

春の話はないのか探してみたら、『山男の四月』というのがあった。
四月だから春なのだが、枯草のあいだからカタクリが咲き出しているという一文のほかは、あまり春らしい感じはしない。

『やまなし』の第一章は5月だが、二章はいきなり12月になる。

『春と修羅』は、タイトルに春が入っているけれど、特に春を歌っているわけではない。


やはり、秋冬型の人なのだ。
『雪渡り』の凍った雪野原、『水仙月の四日』の猛吹雪など、とても生き生きと感じられるが、これは読む側との相性かもしれない。

『注文の多い料理店』の序にあるように、

「ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたがないのです。」

11月の寒い風の中から物語を聴き、遥か北方のベーリング市まで列車を走らせた精神は、研ぎ澄まされて硬質な冬の冷気に似て見える。

『氷河鼠の毛皮』では、12月26日のひどい吹雪の中、人々はベーリング行き列車に乗ってイーハトヴを発つ。けれどベーリング市に着いた記述がないので、ベーリング市がどのような都会なのかは謎のままだ。


春の話は、探せばどこかに見つかるかもしれない。
気温が上がり、積もった雪が日々目に見えて減って行くこの時期、もう真冬日は来そうもない。
近年は冬が短くなっているので、後にしていく冬がまだ名残惜しいのだ。

これで雪がほとんど消えて春一番のスノードロップやふきのとうを目にすれば、本格的に春を楽しむ気分になる。
      
posted by Sachiko at 22:31 | Comment(0) | 宮澤賢治
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