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シュタイナーが伝えた12夜の話から
人類は霊的な世界の入り口に生きている。
私たちは無意識のうちにその上を通り過ぎていると言う人もいる。
つまり、それと知らずに霊的な力を行使しているということだ。
ゆえに、自分が霊的存在であるという認識に目覚めることが、人類にとっての急務である。
それは、私たちが物理的な世界において何かの道具を使うように、霊的存在である“私”が私たちを動かし使っていることを理解することによってのみ可能である。
私たちがスプーンを手にして食べ物を口に入れるように、“私”は、自分の成長の糧となるような形で他の人々と関わる状況に私たちを置いているのだ。
このことを理解し、実際にこのことに関連した思考をすると、人生の中でカルマが再生される瞬間に、私たちは“私”を体験する。
私たちは本当の自分に触れ、皿の上の食事を興味深く観察するように、目の前にあるものを興味深く観察する。
好きなものも嫌いなものも、偏見なしに見ることができる。
その時、自らの努力によって、キリストの血の力、聖杯を自分自身の内に受け取る。
私たちの血は、“私”という存在の担い手であり、その血から低次の欲望や本能を浄化することで、“私”という存在にふさわしいものにする。
そして私たちの血はさらに純粋になり、キリストの血となることができる。
私たちはこの課題に取り組めるだろうか?
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12夜の旅が終わり近くになり、これが聖杯探求の道でもあったことが明らかになる。
人類の自我は、まだ発達の途についたばかりの子どものようなものだという。
現代の混乱した状況は、子どもが自分では使いこなせない危険物や複雑な機器を見つけてしまい、手に負えないままおもちゃにしているようにも見えるが、やはりそれは危険すぎる。
この時代をどのようにくぐり抜けて行くのか、子どもの自我は、長い宇宙時間を経て、ようやく“私”を見出す場所の戸口に立っている。
扉をくぐることができればまた、約束された道への長い階梯を廻る旅が続いて行くのだろう。
2022年01月04日
11月に向けて---第十一夜
posted by Sachiko at 10:59
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