森の中で、エルフたちに言わせれば簡素な、ホビットたちにとっては誕生日のごちそうにも勝るもてなしに、彼らは心奪われる。
餓える者が白く美しい一山のパンに味わうおいしさよりも
はるかに勝る風味を持ったパン
手入れのよい果樹園出来のものよりも味のよい果物
サムは言う。
「おらにこんなりんごが育てられたら、おらも自分を庭師と呼びますだ。」
りんごの話といえば、『銀河鉄道の夜』では、列車の中でジョバンニたちが灯台看守からりっぱなりんごをもらう。
「・・・あなたがたのいらっしゃる方なら農業はもうありません。りんごだってお菓子だって、かすが少しもありませんから、みんなそのひとそのひとによってちがった、わずかのいいかおりになって毛あなからちらけてしまうのです。」
むいたりんごの皮は、コルク抜きのような形になって床へ落ちるまでの間に灰色に光って蒸発してしまう。
もうひとつ、“ほんとうのナルニア”にある木の実の話。
・・・とれたてのグレープフルーツでも、これにくらべれば味がなく、いちばん汁気のあるオレンジでもかすかす、舌の上でとけるくらいの洋ナシもまだかたくて、すじっぽいといえるし、どれほどあまい野イチゴにせよ、これにくらべたらすっぱいと思われました。
どの物語でも、天上の食物の描写はよく似ている。
天上の果実の輝く美しさ、香り、風味を想像することができるのは、
どこか深い深いところにある思い出の中で、それを知っているからだ。
地上の存在は、花も果実も人間も、天上のそれから見ると影のような写しなのだろう。
天の果実の香りを思い出すことは、地上を影のようにさまよっている現代の人間にとって、自分の出自を思い出すための微かな導きの糸にならないだろうか。
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