2021年11月13日

魔女メラニーの最後

グリーン・ノウ物語第5巻「グリーン・ノウの魔女」より

トーリーとピンは、木の枝の中に隠れて計画を実行しようとしていた。
そこに、まるで中身がなくなってしまっているようなメラニーが近づいてきて、木の下にさしかかったところで、二人はボール紙で作ったラッパを口に当てた。

 去れ! ここより行け!
 メルシーン・デモゴルゴン・フォスファー!

少年たちはその名を繰り返した。

 ああ、フォスファー!
    フォスファー!
       ファー!

最後の「ファー!」とともに、メラニーの身体は引きつって倒れた。
そして、人間の心では信じられないいやらしいものがその上をまたいで立ち去って行った。

少年たちは心臓が止まりそうな思いだった。
敗北したメラニーは、中身がからっぽで、力もなくなって打ちひしがれていた。


メラニーに憑依していたものは、人間の心では信じられないようなもの---悪魔と呼ぶなら、そのようなものだったのだろう。

ファンタジーにはファンタジーの世界の法則がある。
そのゆえに、優れたファンタジー作品はどこか交錯して見えることがある。
『はてしない物語』(M・エンデ)の中の、サイーデの言葉を思い出す。

「からっぽのものなら何でもあやつることができる」

サイーデが操っていた騎士は、黒甲冑だけでできていて、中身は空っぽだった。
似たところでは、『指輪物語』の冥王サウロンの手下である黒の乗り手も、やはり空っぽだった。

この空っぽは恐ろしい。
現代は、悪の諸力が人間の内面を攻撃対象にしている時代だそうだ。
乗っ取られてしまったら、自分が乗っ取られているとは自覚できなくなるだろう。

内面を空虚にしないこと、得体の知れないものに委ねてしまわないことだ。
内なる勇気、知恵、善きものへの信頼とグリーン・ノウへの愛を、少年たちは持っていた。
本来そうである「人間らしい心」を、悪魔は嫌う。


オールドノウ夫人は、角を曲がってきたメラニーを信じられない思いで見た。おずおずとした様子は、これまで戦ってきた残忍な敵とは思えなかった。
メラニーは庭の道を通って、つまずきながら、小さく小さくなって出て行った。

こうしてこの奇妙な事件は終わった。あとはグリーン・ノウらしい、すばらしい出来事が待っている。
  
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posted by Sachiko at 22:40 | Comment(0) | ルーシー・M・ボストン
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