2021年07月11日

「華氏451度」・5

老婦人が本といっしょに燃えてしまったことに罪悪感を抱くモンターグのところに、上司のベイティーが訪ねてきて焚書の歴史を語りはじめた。

マスメディアの台頭によって内容の単純化が始まり、さらに社会のスピードアップによって、人々はゆっくりものを考えなくなった。
生活は仕事と娯楽だけ。安易で刹那的な快楽を求める傾向が知性の劣化を招いた。

そして、こうしたことは必ずしも権力のせいではなく、人々が自ら望んで招いたことだとベイティーは巧みに語る。

均質化=平等、難しいことを考えない安楽=幸福、思考を巡らし悩むこと=不幸....
だから、不幸をもたらす本とそれを読む者は抹殺する。人々を安心させ幸福にするためだ...と。

ピラミッド型権力構造の元では、大衆が愚かであるほど支配しやすい。
ベイティーはこのシステムを熟知しているが、モンターグのように疑問は持たない。ベイティーは二重の意味で「頭」の人間なのだ。


これはいつの時代のどこの話だろう?なんだかとてもリアルに見えるのだけれど。

どんな権力者も、支持者がいなければその座に立つことはできない、ただの裸の王様になってしまう。
そのために多くの網が張られている。

乗らなければ遅れてしまうと思わせる流行、自分と同じような周囲の人々の様子をうかがい、みんながそうしている正しそうなことに従おうとして、マスメディアが煽る通りに行動する人々...
この作品ではミルドレッドに象徴されている。


けれどほんとうに、人間はそれほど完全に騙されきってしまうものなのだろうか。
ファイアマンのいるシステム社会でさえ、異端のクラリスを生み出し、モンターグは少しずつ意識を変えはじめる。

本の背後には人間がいることに、モンターグは気付く。
「本」というものも、ここではひとつのシンボルになる。

背後にいる「人間」は、社会が要求するミルドレッドのような人間ではないはずだ。実際、これが幸福だと示されるとおりに生きながら、ミルドレッドは幸福ではない。

ふと、サン=テグジュペリの造語である「真人間」という言葉を思い出したが、本筋から逸れてしまいそうなので少し触れておくに留める。

つまり、表面的には凡庸な人間の深奥にいる、本来そうあるべき真の人間の姿である。
本の背後にいる、本を読む人々は、「真人間」に向かって模索し思考する人々、ベイティーが属する権力にとっては好ましくない人々なのだ。
  
posted by Sachiko at 22:27 | Comment(2) | SF
この記事へのコメント
現代の医療、教育システム
そして
専門化の推奨は
人々に無力感を植え付ける
とは
イヴァン・イリイチの言。

たとえば、
ヒポクラテスは
「人の体には100人の名医がいる」

自己治癒力が病を治すことを
見抜いていました。

すべからく、
たいていのことは
自分でなんとかできる
ということ。

誰の中にもある
真実の種。
それを芽吹かせて
ほんとうの人間に
なりたいものです。

種は
さまざまな刺激によって
芽吹くわけですが

偏りすぎた方向へ
進みすぎてしまった
この時代は
芽吹きのための
ある種の刺激であるのかも
しれません。




Posted by しゅてるん at 2021年07月12日 11:42
人の身体は自らを癒すことができ、
そのために必要なものは、
自然界にすべて用意されている。

自然界に存在しない、存在し得ないようなものを
取り込む必要はないということね。

真実の種というものもまた、
それが芽吹くのは、
自然から離れたところではないはず...
Posted by Sachiko at 2021年07月12日 21:16
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