−3.9等級で最大光度ではないが、十分宵の明星を楽しめる。
金星の左上には火星がある。こちらでは8時の西空はまだ薄明るいのでこれは見えにくい。
今年も数種類の植物を種から育てている。
毎日観察すれば生長と変化を知ることができるが、見ているあいだに動いていくわけではない。
高速度撮影とか微速度撮影という技術を使えば、星の動きや植物の生長、昆虫の飛翔などを、人間が知覚できる速さに変換できる。
星や植物や昆虫(この組み合わせは、なぜか私の中ではセットになる)は、人間の日常とは別の時間軸にいる。
そしてそれらの異なる時間軸は、人間自身にも内在している。
朝起きてから寝るまでのあれこれは日常の時間で、忙しい日常の意識の元にある。
星空を見上げたり、飛翔する昆虫を見るとき、別の次元が入り込む。
そのことは意識に語りかけてくる。
そこで意識の次元を変換できなければ、星も草木も虫も、見えないまま通り過ぎてしまい、それどころか“非現実的な世界”とさえ思えるかもしれない。
星や草花や鳥や虫たちの世界は人間の一部であり、人間は彼らの世界の一部だ。
総合体としての自分が見えなくなったときの人間がどれほど愚かしくなるかは、昨今の人間界を見ればわかる。
今日も快晴、空を見上げると、大きな鳥が堂々と滑空しながら旋回し、遠くへ飛び去っていった。それ自身であることの、何という尊厳。
彼らの生きる多層次元を含まない、人間だけの社会の貧しさ。
そういえば街をさまよっていた迷子のシカは無事に山へ帰っただろうか。
※別次元の時間にいざなう、こんな本を買ってしまった...

何という尊厳”
自然物を見たときに
心が動かされたり
癒されたりするのは
それゆえなのでしょうね。
偽りのない
透明で静かな存在感。
美というものは
そういうところに
宿るのでしょうね。
人間も本来、あのダンスの輪に加わっていたはず....
園芸種のように、許された範囲内で人の手が加えられるときは、
ディーバたちも喜んで協力してくれるようです。
でも遺伝子に手を付けるような逸脱は、
彼らは許さないでしょう。