2021年05月16日

生活者スナフキン

ムーミンが初めてスナフキンに会ったのは、シリーズの最初の巻『ムーミン谷の彗星』で、スニフといっしょにおさびし山の天文台へ旅にでかけた時だった。
アニメ版ではフローレンという名がついているスノークのお嬢さんに出会うのもこの巻だ。

『ムーミン谷の彗星』はあまり読み返すことがなかったけれど、久しぶりに手に取って、些細なことに気がついた。

川岸に張ったテントの中からハーモニカの音がして、ムーミンが声をかけるとスナフキンが現われる。
スナフキンは火を起こして、スニフが持っていたコーヒーを沸かす。

今日はたまたまここにいて、明日はまたどこかへ行くのだと、コーヒーカップを三つ出しながらスナフキンが言った。

・・・なるべく物を持たず、身軽な旅を好むスナフキンが、来客用のコーヒーカップを持っているんだ....

この時のスナフキンは、ムーミンとスニフを歓待し、彗星の話をして、ハーモニカを吹き、ガーネットの谷間へ散歩に誘う。
スナフキンは二人に音楽を聞かせ、カード遊びや魚釣りを教え、途方もない話をし、おかげで旅は楽しいものになった。

・・・スナフキンは、遊び用のカードも持っているんだ....

そして、おもしろい話をせがむスニフに火山の話を聞かせたりする。それも、けっこう長い話なのだ。

ガーネットが輝く谷間で、スニフが言った。

「あれがみな、きみのものなの?」

「ぼくが、ここに住んでいるうちはね。じぶんで、きれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。その気になれば、世界中でもな。」

スナフキンのもうひとつの名言も、この巻にある。

「ものは、自分のものにしたくなったとたんに、あらゆるめんどうがふりかかってくるものさ。運んだり番をしたり....。
ぼくは、なんであろうと、見るだけにしている。立ち去る時には、全部、この頭にしまっていくんだ。そのほうが、かばんを、うんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからね。」

体験され、自分の中に取り込まれたものだけが、ほんとうに自分のものになる。外側に保存したものと違ってそれだけが、死ぬ時にも持っていけるものだ。

スナフキンは、一方で必要なものを必要な時に、なぜかちゃんと持っているのだが、それがなくなっても執着しない。
定住はしないけれど、ある意味、ムーミンママ同様、生活の達人かもしれない。

孤独を愛するというスナフキンは、騒がしく面倒な人たちを煩わしく感じるとしても、人そのものがきらいなわけではない。
この巻ではむしろかなり饒舌で、ムーミンたちとの旅を楽しんでいるのだ。

終わりのほうで、スナフキンがハーモニカで子守歌を吹き、それに合わせてムーミンママが静かに歌うシーンは美しい。
    
posted by Sachiko at 22:37 | Comment(2) | ムーミン谷
この記事へのコメント
わたしたちは
そのときの自分に見合った分しか
読み取ることがかなわないもの
なのでしょうね。
そうであるからこそ、
再読の新発見や楽しみが
あるというわけですね。

”きれいだと思うものは
 みんなぼくのもの”

ひそやかに
美しく咲く
シラネアオイは
わたしのものなんだ!
Posted by しゅてるん at 2021年05月18日 08:48
きれいだと思う心がなければ、
花園の中を歩いていても、
何も見えないこともある....

思う心は、その人のもの
きれいなものは、その心に呼応したもの。
みんな、自分の心に映った、
自分だけの“きれい”を見る(^-^)
Posted by Sachiko at 2021年05月18日 21:47
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