2021年04月27日

マソム

どこかで、ちょっとしたものを貰うことがある。
旅のお土産に、または何かの折に....
棚の上に、いつの間にかそうしたこまごました物が増えている。
小さなクリスタル、キャンドル、カード...etc.

物としての価値だけを見ようとすると見えなくなるものがある。
何かちいさなものを渡したり受けとったり、そのあいだにある機微は目に見えないので、目に見える小さな何かの上に乗っている。

古いものはやがて壊れたり、失くなってしまったものもある。
それらは人間関係の移り変わりも映していて、何らかの微かな感情を呼び起こす。


ふとマソムという言葉を思い出した。
『指輪物語』の最初のほうで、ホビット文化の話として出てくる。

--------------------

・・・ホビットたちは、今すぐ使うあてはないけれど、捨ててしまう気にはなれないものを、何でもマソムと呼んでいたからである。
かれらの住居はともするとマソムであふれんばかりになり、次から次へと回される贈り物の多くは、つまりマソムの類だった。

--------------------

結婚式の引き出物などはある意味マソムの代表格かもしれない。
特に役には立たないことが多いけれど(私もけっこうバザーに出した^^;)、かと言って省略されるとつまらなく感じたりする。

「あなたを通して回るエネルギーの流れを断ち切らないでください」と、誰かの言葉にあった。

マソムが回っているのは幸せなときだ。
それよりも一握りの米を!と言わなければならなくなったら非常時なのだ。

ホビット庄のことが出てきたがファンタジーのカテゴリに入れるほどの話でもないので、「暮らし」に入れておこう。
なんだかこの記事自体もマソムっぽくなった。
  
posted by Sachiko at 22:50 | Comment(2) | 暮らし
この記事へのコメント
モノには
それぞれの物語や
思い出が付随していて
いっそう味わい深く
なりますね。

人から手渡されたモノであれば
なおのこと。

ネイティブアメリカンの文化では
「give away」
というのがありますね。

いちばんお気に入りのモノを
それをとても欲しがっている人に
手渡すこと。

我執を手放す
ということなのでしょうね。
そして
そうやって手放せたものは
いつかまた別な形で
自分に還ってくるのでしょう。
Posted by しゅてるん at 2021年05月24日 11:47
生身で人に会う機会が少なくなった今、
人から手渡されるというのは大事ですね。

私は、実際に行ったことはありませんが、
タッチパネルで注文してレーンを滑ってくる
回転寿司がきらいです(>_<)

なんだか、ペットの自動給餌機を
連想してしまいます(>_<)

生身の人間がそこにいて、肉声を交わし合い、
何かを手渡しあう....
そこには、単なるモノや情報だけではない、
エーテルの交流があったのですね。
Posted by Sachiko at 2021年05月24日 21:24
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]