メルヒェンには、王子が魔法によって姿を変えられてしまった話がよく出てくる。
「雪白とばら紅」では熊の姿に変えられ、「かえるの王さま」では、ヒキガエルに変えられている。
ヨハネス・シュナイダーの「メルヘンの世界観」によれば、動物に変えられた姿は、人間が本来あるべき状態にない、ということを意味している。
多くのメルヒェンに、幾つかの共通するパターンがある。
太古の叡智(しばしば黄金で表わされる)が生きていた時代、その叡智を失って人間にふさわしくない姿で生きなければならない時代(現代はこの時代)、最後に、人間が本来の姿を取り戻す時代。
近年、縄文などの古代の叡智や先住民の智恵が再び注目され始めているのは、本来の姿を思い出そうとする意志が目覚めてきているということだろうか。
けれどそれは太古の黄金そのままに先祖返りするのではなく、現代のような困難なプロセスを通って、新しい黄金に紡ぎ直されなければならない。そうして獲得した自由な意識をもって、個であり全体であるという未来の意識にたどり着く。
「かえるの王さま」では、王女がカエルを壁に叩きつけることで魔法が解けるのだが、これが残酷だとやらで、王女がカエルにキスをすると王子に戻るという奇妙な改変バージョンが出回っている。
この改変についてはかつてミヒャエル・エンデがかなり憤っていた。
「・・まさにその攻撃によって王女は王子を救い出す。こういう図式に理解を示さず、外面的な意識で童話をいじくりまわすなら、童話の意味はこわれてしまう。
現代人は頭がすっかりおかしくなって、もはやさまざまな平面を区別できなくなっている。こういう事態こそ、恐るべきことなんだ。」(「オリーブの森で語りあう」より)
メルヒェンは根源的な物語だ。
そこには宇宙的な時間における人類の発達段階が描かれているのだとしたら、現在は魔法にかかって動物の姿になっている人類も、やがてその段階を超えて本来の人間性に至ることが約束されていることになる。
メルヒェンの中でその未来は霊視されていて、王子と王女の輝かしい結婚と幸福の姿で描かれる。
魔法という悪の働きによって動物の姿に変えられた人間は、本来、天の王族だったのだ。
ならば動物の姿に絶望することはない。
正統なメルヒェンは、人類のあるべき未来への希望の物語とも言える。
2021年04月17日
魔法にかけられた王子
posted by Sachiko at 22:23
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