2021年03月11日

なんでもない日々の暮らし

このブログでも何度も書いているけれど、暮らしはいのちのいとなみであり、芸術の域に達することができる。
あのターシャ・テューダーはまさにその域にあった。

シュタイナーも、フィンドホーンの創設者アイリーン・キャディも、日常生活をとても大切にしていた。

近年、暮らしはまるで取るに足らない雑用扱いされたりしている。もっと簡単、もっと時短!
何でもそうだが、そのように扱えば、そのような姿にしか見えなくなるだろう。

けれど別様の扱いをすれば、別の次元が見えてくる。
「皿洗いだろうがゴミ出しだろうが、神聖な仕事にすることができる」と、昔誰かが言っていたっけ...

かつて庶民の日常がもっとつつましく、過酷なことも多かった時代には、“ハレ”と“ケ”の境界がはっきりしていた。
地味な日常と、特別な祝祭“ハレ”と。

その何でもない日常が、突然失われることもある。

そうして、些細な日々の暮らしの一片が、いとおしい祝祭だったと気づかされたりする。
暮らしはいのちのいとなみだから、どの瞬間も、祝されていないはずはなかった。

3.11から10年.....
   
posted by Sachiko at 22:29 | Comment(2) | 暮らし
この記事へのコメント
お金をかけずに
手間をかける。

手間をかけるとは
心をこめるということ。

心をこめると
それは
神聖なものになる。

そうすると
暮らしがとても
豊かになりますね♪




Posted by しゅてるん at 2021年03月14日 08:23
“現代の7つの悪”と言われているもののひとつが
結果主義。
できるだけ手っ取り早く、結果だけを求める....

心をこめることは、いのちを吹き込むこと
ロボットに命令して何かをやってもらうのとは
根本的に違うプロセスですね。
Posted by Sachiko at 2021年03月14日 21:52
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