あのターシャ・テューダーはまさにその域にあった。
シュタイナーも、フィンドホーンの創設者アイリーン・キャディも、日常生活をとても大切にしていた。
近年、暮らしはまるで取るに足らない雑用扱いされたりしている。もっと簡単、もっと時短!
何でもそうだが、そのように扱えば、そのような姿にしか見えなくなるだろう。
けれど別様の扱いをすれば、別の次元が見えてくる。
「皿洗いだろうがゴミ出しだろうが、神聖な仕事にすることができる」と、昔誰かが言っていたっけ...
かつて庶民の日常がもっとつつましく、過酷なことも多かった時代には、“ハレ”と“ケ”の境界がはっきりしていた。
地味な日常と、特別な祝祭“ハレ”と。
その何でもない日常が、突然失われることもある。
そうして、些細な日々の暮らしの一片が、いとおしい祝祭だったと気づかされたりする。
暮らしはいのちのいとなみだから、どの瞬間も、祝されていないはずはなかった。
3.11から10年.....
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手間をかける。
手間をかけるとは
心をこめるということ。
心をこめると
それは
神聖なものになる。
そうすると
暮らしがとても
豊かになりますね♪
結果主義。
できるだけ手っ取り早く、結果だけを求める....
心をこめることは、いのちを吹き込むこと
ロボットに命令して何かをやってもらうのとは
根本的に違うプロセスですね。