2021年03月05日

エイプリルフール

マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。


春祭りの前夜---四月最後の日、ローエラはモナの夜遊びにいっしょに連れていってくれるよう頼んだ。外出の最後のチャンスだ、
だが...町の教会の12時の鐘が鳴り、コップの予言は当たらなかった。


ある晩、モナが泣いていた。
家が恋しいと言う。でも帰る家はとっくになかったのだ。

モナには兄が二人と、妹が一人いた。
ある日、母親は赤んぼうだった妹を連れて家出し、そして再婚した。
そのすぐ後で父親も再婚した。兄たちはすでに家を出ていた。

モナはできるだけ家に寄りつかないことにして仲間と遊びまわった。
その頃の父親は、何をしても叱らず、ねだるものは買ってくれた。
けれどスリルのために仲間たちと万引きをしたのがばれた時、すべては変わった。

ものわかりがよさそうだった父親は一変し、モナから手を引いて児童保護委員会に委ねた。


モナは話し続ける。

「児童保護委員会の人はやっぱりものわかりがよかったわ、ええ、わかってますよって顔してた。
『理解してます。理解してまぁす。』って、そんなものが何になるの?
・・・
父親ってのは、たえず子どもを〈理解〉してるひつようなんかないのよ....そうよ....、いつも〈好いて〉くれてれば、それでいいんだ。」

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ローエラは以前から、モナの毎晩のお祈りが気になっていた。

「・・神さま、モナとロランとクリルとピップとヨッケとマッガンと、すべての人をおまもりください....アーメン....あのおいぼれじじいのほかは」

ヨッケはボーイフレンドでマッガンは友だちだ。他は兄たちと妹。
「おいぼれじじい」がモナのパパのことだったとは!


化粧をし、週刊誌とヒットソングが好きで、タバコを吸い、遊びまわるモナ。森にいた頃のローエラなら、けっして関わろうとはしなかっただろう。

町の暮らしはローエラの経験を広げ、それは必ずしも最初に思ったほどわるいものばかりではなかった。


児童保護委員会の人が示す「理解」、こういうことはどこの国でも同じようなものなのか、あのスウェーデンでさえも...?

背伸びしているモナも、まだ子どもだ。
そして子どもは大人の言葉や態度の背後にあるものを、頭ではなく全身の感覚で聴く。

そういえば子どもの頃、大人はたいてい愛想が良かった。
にこやかに話しかけてきても、ほとんどの場合、それが「お愛想」だとわかってしまった。
(私はきわめて愛想のわるい子どもだったが...)


ひとつ、全く違う物語を思い出す。
ジブリのアニメにもなった「思い出のマーニー」に出てくる、田舎でアンナを預かった素朴な老夫婦。

アンナはある時、この素朴なおばさんが誰かにアンナのことを話しているのを耳にする。

「何といってもあの子は、わたしらには金(きん)みたいにいい子だからね。」

河合隼雄が何かの本で、アンナがこの言葉にどれほど癒されたことか、と書いていた。
老夫婦はアンナを理解しているわけではなかったが、アンナをアンナのままで大切に思っていたのだ。


話を戻す。
ローエラはモナとたまたま同じ部屋に住んでいるだけで、特に仲良くなったわけではない。
ただ、最初の頃ほど反感は感じなくなり、関心を持ち始めていた。
モナも親兄弟と離れ離れになって、ひとりぼっちでここにきているのだ。

ローエラはコップの予言が当たらなかった話を持ち出してみた。

「あれは一種のエイプリルフールよ。いちいち気にすることないわ。ああいう遊び、やったことないの?」

エイプリルフールだって?では霊にかつがれたのか。
ローエラはすべてを始めから考え直してみることにした...
  
  
【マリア・グリーペの作品の最新記事】
posted by Sachiko at 22:33 | Comment(0) | マリア・グリーペの作品
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