2021年02月18日

白日夢

マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。

冬の薄暗い日々が終わり、町に光が戻ってきた。
ある朝ローエラが、クリスマスにママが送ってきたすてきな青いブラウスを着て学校へ行くと、少女たちはローエラを取り囲んで褒めそやした。
前に町でいっしょにアイスクリームを食べたエーバがきいた。

「それ、パパからでしょ」

「ええ....パパからよ」

そう答えて、ローエラはうきうきした気分になった。
うそなのに、ほんとうらしく思え、不思議に良心のとがめを感じない。
ブラウスがパパからのプレゼントだったらいいなと心から願っていて、それが本当のことのように感じられてしまったのだ。

どっちみち町にいるのは冬のあいだだけだ。
氷がとけたら港の船の出入りが再開されて、パパが来るにちがいない....
しだいにローエラは白日夢のとりこになっていった。

ローエラは頻繁に鏡の前に立つようになった。
髪を整え、すてきな青いブラウスを着た姿は、パパのいる、しあわせな少女----かかしではないほんものの〈パパ・ペッレリン〉の娘なのだ。

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森のかかしに付けた〈ペッレリン〉という名は、おそらくパパの苗字であるぺールソンをもじったもので、ローエラはこのペッレリンという響きを美しいと思っている。

ローエラが入り込んだ白日夢の世界はこんなふうだ。

・・・パパ・ペッレリンの娘が橋を渡っていると、激流に飲みこまれた人がいる。
ためらわずに飛び込み、命がけで助けた人は言う。
「助けてくれたのはあなたですね。なんてお名前ですか?」
ローエラは名前を告げる。
「え、ローエラですって?じゃあ、あんたはわたしの娘に違いない」

ひとつの夢が終わると次の夢がやってきて、ローエラは毎日、燃えている建物の炎の中から、または事故や雪崩や難破や天災から、男の人を救い出し、その度にこの言葉を聞いた。

「じゃあ、あんたはわたしの娘に違いない」


くり返し描く夢は、現実との境目を失って、いかにもほんとうらしく思えてくることがある。
からだがゾクッとするほど、まるで今起こっていることのように感じたなら、それが現実になることもあり得る。

個人的には、幾つかのことがそのように現実になったことがある。
不思議な感覚とともに、これはあのとき思い描いていたのと同じだ!と気づくのだ。

記憶は一方向ではなく、未来の記憶というものもたしかにある。
ある程度長く生きていると、行ったことのある場所にしか行けず、会ったことのある人にしか会えないというのはそのとおりだということが、しだいに確信になってきている。


夢に、文字どおり夢中になっているローエラに、アディナおばさんから手紙が来た。
春になったのでそろそろ帰ってこないか、というのだ......
   
posted by Sachiko at 22:25 | Comment(6) | マリア・グリーペの作品
この記事へのコメント
時系列的な流れ
というのは
意識の錯覚
なのではないか?

とすれば

過去
ばかりではなく
むしろ、
未来が
現在に
影響を及ぼしている
という可能性は
大いにありえますね。

”未来の記憶”

これをわたしたちは
「予感」
という言葉で
言い表したりしますが
「未来の記憶」
という表現の方が
ふさわしいように
思えるのです。

Posted by しゅてるん at 2021年02月20日 13:52
時間は一方向へ流れているという認識は、
新しい時代には変わっていくだろうと思います。

>未来が 現在に 影響を及ぼしている

「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」と、
昔の詩人は言いましたが、
前に道があるから、歩きはじめられるのかもしれないです。

出発するのは、すでにそこに着いているから。
始めるのは、すでに為されているから。

同時に、未来は不確定で(つまり幾つもの未来がある)
一番望む未来にいる自分の声に、
耳を傾けるといいのかもしれません。
Posted by Sachiko at 2021年02月20日 22:22
今、思い出しましたが

弓の達人に
その極意を尋ねたところ
「矢が的の真ん中に当たってから
 矢を放つのです。」
と言ったそうです。

これは
俗にいうイメージではなく
少し先の未来で矢を当てておいて
(そういう未来を選択する)
それから矢を放つということ。

道の達人は
時間の錯覚を超えて
自在に往来する術を
知っているのでしょう。

こりゃ
魔法使いだな!

ちなみに
この弓の達人は
(名前を失念しましたが)
昭和初期のころの
実在の人物。

Posted by しゅてるん at 2021年02月22日 08:14
似た話をどこかで聞いたことがあります。
矢を放ってから的に当たるまでの
通常の時間の流れがなくなり、
すでに命中しているのと同時に放つから
当たるのだ、と。

オイゲン・ヘリゲルの「日本の弓術」に出てくる
達人(阿波研造)のことでしょうか。
Posted by Sachiko at 2021年02月22日 21:40
やっとメモが見つかりました。

「当ててから(矢を)放しているので
 外れることはありません。」

肥田春充
という方でした。
弓道で
的を外すことが
なかったそうです。



別なメモに
「時間は非直線的。
 実際のところ、
 球状をなしている。」
というのも発見。

これは
ドランヴァロ・メルキゼデク
『サーペント・オブ・ライト』より


Posted by しゅてるん at 2021年02月28日 13:06
>当ててから矢を放つので外れることはない

直線的な時間を超えたところからの極意ですね。

以前少し触れた、
「まるい時間を生きる女、まっすぐな時間を生きる男」
という本がありますが、
本来まるい時間を生きることのできる女性たちが、
直線的な時間に絡めとられているようなのが
もったいない気がしています。
Posted by Sachiko at 2021年02月28日 21:29
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