2021年01月27日

町のくらし・2

マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。

ローエラは児童ホームでも孤独だった。
ローエラに関心を寄せる子は多かったが、ローエラはテストしないうちは誰も友だちとして受け入れるつもりがない。

みんなは集会室でラジオを聴いたりゲームをしたりするが、ローエラは興味が湧かない。
ローエラには、娯楽を楽しんでいるつもりのみんなが惨めな生活をしているように思えた。

ある日アディナおばさんから手紙が来た。
ローエラのことをあれこれ案じ、励ましの言葉が添えられ、10クローナ札も入っていた。
ローエラは返信の中で、不平不満はこぼさなかったが、都会の人々の奇妙な暮らしぶりのことは書かずにいられなかった。

--------------------

《わたしはこのあいだ、台所へいってみましたが、火のたける、ちゃんとした暖炉なんてないのです。
いつもちょっとスイッチをひねるだけで、火をおこさずに、ぜんぶ食事のしたくをしてしまいます。暖房もそうです。

これはつまり、ものぐさな気分がそうさせるのです。町の人は世界一のなまけ者です。

外へごみをすてにいくのもめんどうがって、建物のまんなかにあるダストシュートというもののなかへほうりこみます。だから、建物はたちまちごみだらけになりそうです。

そのせいで、町の人々は、つぎつぎに高い家を建てていくのでしょう。そのうち町の人たちはみんな、天までとどくごみの山の上に住むことになるでしょうよ。》

--------------------

ローエラはまだ町の暮らしに慣れない(幸いなことに)。
興味の湧かないゲームに無理に参加しようともしない。
みんなでゲームをすれば楽しいだろう、という大人たちの発想...
私も既成の娯楽というものはどうにも苦手だった。

余談だが、高校生の時、展覧会を観る予定で男の子たちと街に出た。
途中彼らがゲームをしたいと言うので、私は手持無沙汰でゲームセンターの隅っこで待っていたら補導委員につかまった。

平日だったが、私たちは開校記念日で休みだったのだ。学校名を言って釈放してもらった。ゲームセンターに入ったのはその時だけで、こんなしょうもない思い出しかない。


今の暮らしは1970年代どころではないから、ローエラが我が家を見たら、惨めな暮らしに見えることだろう。
火が見えないのに空気だけ温まる暖房、確かに奇妙だ。

簡単便利、手間が省ける、時間がかからない、清潔・抗菌....
そうやって省いたものは、実は生命の充溢そのものだったりするのだ。
とはいえ、今は都会では、庭で焚火をすることすらできない。

都市生活をするなら、そういうことも受け入れるしかない。
そしてローエラも、町での友だちづきあいを体験し始めることになる。
ひとり部屋だったローエラの部屋に、新しい女の子が入ってきたのだ....
  
posted by Sachiko at 22:06 | Comment(2) | マリア・グリーペの作品
この記事へのコメント
意図されたように
本質から引き離されていき
いまや
まるで
鏡の向こうの国のように
すべてが
本質と反対のことで
成り立っているような
あべこべなこの世界。

鏡の向こうの世界の
奇天烈な登場人物は
それなりに魅力的だが
現実の
この奇天烈な世界の登場人物は
トランプカードよりも薄っぺら。

ローエラは
奇妙な世の中に迷い込んだ
アリスのようでも
ありますね。
Posted by しゅてるん at 2021年01月29日 08:36
本質から離れることは、
“家に帰るためには、家から離れなければならない”
という道だったのか....
放蕩息子の帰還のように。

現代の都市生活という形で現れた唯物論文明。
「それでもこの時代は、来なければならなかった」と
シュタイナーは言っていましたね。

ローエラは町の暮らしの中にも
楽しみを見出していくことになります。
Posted by Sachiko at 2021年01月29日 21:55
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]