マリア・グリーペ「森の少女ローエラ」より。
ローエラは近くのキイチゴのしげみにかかしを立て、家にあった父親の服を着せた。
そしてそのかかしを〈パパ・ペッレリン〉と呼んでいた。
森のさらに奥には、フレドリク・オルソンという老人が住んでいて、村にローエラ宛の手紙が来ていれば、パパ・ペッレリンの服のポケットに入れておくという方法で届けてくれる。
手紙が来ていないときでも、ガムやキャラメルなど、何かしらポケットに入れておいてくれる。
ローエラも、フレドリク・オルソンが蒐集している外国切手をポケットに入れておく。
ふたりは、姿の見えないなかよしの友だちのようなつきあいをしている。
ある日ローエラは、パパ・ペッレリンのポケットから一通の手紙を受けとった。
ママからだ!でもどこにも、帰ってくることについては書かれていなかった。
ママはひと財産作るためにアメリカへ行くそうだ。
昔なじみのアグダ・ブルムクヴィストという人物にふたごを引き取ってくれるように話をつけ、ローエラは町の児童ホームに入れるようとりはからってもらったという。
ローエラの深い落胆、怒り、何よりも恥辱感。
手紙をこまかくちぎって風に飛ばし、パパ・ペッレリンに話しかけた。
「子どもって、親がうむのがふつうよね。でも、あたしはあなたをつくったんだわ、パパ・ペッレリン。
いまのあたしは、ママもつくっとけばよかったって気持ちよ。」
この物語の原題は、PAPA PELLERINNS DOTTER(パパ・ペッレリンの娘)という。
マリア・グリーペは、スウェーデンではあのリンドグレーンと並ぶ存在で、多くの作品が映画やドラマになっている。
「万人受け」から外れたところに視点を置いて光を当てるからなのか、そこから降りてゆく「深さ」ゆえにか、どうも日本人受けしないようで、邦訳はほとんど絶版になってしまっている。
ローエラの物語で、森の描写は実は多くない。
でも不思議と、草の香りや露に濡れた手触り、空気の冷たさまで、少女が五感で感じ取っているものがそのまま映されているようにリアルだ。
そこにローエラという「存在」がいる。考え出された人物ではなく、まさにその存在が自らを立ち上げてくるかのように。
村人たちの気に入らないのは、この「存在」の強さだろうか。
2020年12月16日
パパ・ペッレリン
posted by Sachiko at 22:21
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