2020年08月29日

水の幽霊

グリーン・ノウ物語第3巻「グリーン・ノウの川」より。

カヌーを修理のために船大工に預け、代わりに平底舟を借りた子どもたちは、騒がしい夏の遊び客から逃れて、支流の奥まったところにある静かな池にたどり着いた。

葦の繁みに囲まれた、鏡のように静かな水面は、すべてのものをさかさまに映し出していた。
オスカーとピンの水に映った姿を見て、アイダは言った。

「どっちがほんとうのあんたたちか、わからないわ」

オスカーが言った。

「ふたりになってるのは、こっちが水の上にいるときだけなんだ。もし水にもぐれば、ぼくはむこうの中にそっくりすべりこんで、ひとりになってしまう。となると、下にいるのがほんもので、ぼくはただの水の幽霊かなんかだってことになるのかな?やってみよう。」

みんなで水の幽霊になるために、アイダとピンも飛び込んだ。


水に映った景色はほんとうに美しく神秘的だ。
そっくりのものがさかさまになっているだけなのに、まるで別の世界のような不思議さをまとう。

この静かな水の情景は、以前少しだけ紹介したことがある。
「グリーン・ノウの川」の中で、私は〈水の幽霊〉と題されたこの章がいちばん好きだ。

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こんなにすてきな日はなかった。音といえばただ、三人のとびこむ音、舟にすわったとき髪やひじから落ちるしずくの音、そしてとりとめのないおしゃべりの声だけだった。池は、心の中のいちばんないしょの考えと同じくらいに、かれらだけのものだった。

そしてずっとあとまで、アイダの見るいちばんすてきな夢は、いつも、ゆらゆらとゆれるあしでとりかこまれていたのである。

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ここでは大きな出来事も起こらず不思議な生きものも登場しない。静かな池と、それを取りまく植物、空と太陽、満足しきってしあわせな三人の子どもたち...

ほんとうの楽しさは、騒がしさとは違う次元にある。
波立つ水面では見えないものを、鏡のように静かな水は映し出す。

このあと、あたりを探検に行ったオスカーが、イグサの繁みの中から緑色のガラスびんを見つけてきた。中には何かが入っている。
このガラスびんが、次の不思議な出来事につながっていく....
   
posted by Sachiko at 22:07 | Comment(2) | ルーシー・M・ボストン
この記事へのコメント
特別なことが
何も起こったりしない
けれども
読ませる文学
観させる映画

日常の中にある
美しさ

幸せな瞬間を
映し出す作品。

これはとても
難しいことだし
当然ながら
秀逸な作品は
そう多くない。

スェーデンの映画
「やかまし村の子どもたち」も
そんな作品。

”ほんとうの楽しさは
 騒がしさとは違う次元にある”

ここを勘違いしているオトナの
なんと多いことか・・・。

教育現場では特に‐‐;




Posted by しゅてるん at 2020年08月30日 07:31
シュタイナー教育でも、
“子どもは騒がしくするものだと思われているが、
魂が安定しているとき、子どもはほんとうに静かに遊ぶ”
と言われていますね。

大人の気晴らしのための騒ぎなど、ほとんど
悲鳴のように聞こえます。
先日の、ほんとうの思い出はイベントよりも日常の中にある、
という話にもつながる気がします。
Posted by Sachiko at 2020年08月30日 16:35
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