隣のおばあちゃんが「採っていいよ」と言ってくれたので、大きめの入れ物を持って採りに行った。

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幼い頃、近所にあった杏の木の下で、KちゃんとJちゃん兄妹と毎日のように遊んだ。杏の木はとても大きく見えていた。
この二人とは、既成の遊びではない創造的な遊びができた。
「ここは海だ!」と言うと、すかさず「よし、船を出そう!」と言ってくれるのだ。そして即興劇はよどみなく続く。
春にはほんのりしたピンクの花びらが地面を覆い、風に舞ってあちこちの道路の縁に吹き溜まっていた。
夏には実をつけたが、実はほとんど虫食いだったらしい。アブラゼミがよくこの木で鳴いていて、抜け殻も見つかった。
秋、掃き集めて積まれていた落ち葉の山を、私たちはまた崩して木の下に敷き詰めた。
金色のじゅうたんの上で、この季節だけの特別な遊びがあった。
その後しばらくして彼らは引っ越して行った。そう遠くではなかったのだが、会うことはなくなった。
ある時、親の用事に伴って二人が来ると言うので、近所の他の子どもたちも集まった。
久しぶりに、以前みんなでよく遊んだ遊びをしようとKちゃんが提案した。
中学生になったKちゃんは、もう子どもの声ではなかった。
6年生の私は、古い子どもの遊びを小さい時のようには楽しみきれず、大きくなった子どもたちが走り回っているようすが、どこか幻影のように見えた。
二人にはそれきり会っていない。
子ども時代の最後の夏、杏の木はまだそこにあった。
周りの家とともに木が切り倒されたのがいつだったのかは知らない。
そのあたりはマンションが建ち並び、今は面影のかけらも残っていない。
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杏はジャムとコンポートになった。
杏のお菓子を作って隣に持っていこうか。
おばあちゃんが「採っていいよ」と言ったことを忘れていなければいいけれど....

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杏の木の下の物語
すぐれた児童文学の
一節のよう・・。
こども時代の思い出は
それからの人生の基点であり
励ましであると思うのです。
町育ちの私であっても
まだあの時代のことですから
素朴で暖かな思い出を
もつことができましたが
今の子どもは・・・?
オンラインゲームに夢中の
義理の孫(7歳)
あああああ
歩いて行けるくらいの
街なかで育ちました。
それで、当時の面影がまったく
残っていないわけですが、
他の場所でも似たようなものかもしれません。
今どきは、子ども時代に、草木や花や虫や
生身の人間とたっぷり遊ばずに、
塾通いやゲーム...
嗚呼......