2020年01月14日

「ともしび」

セルマ・ラーゲルレーヴ「キリスト伝説集」より。

------------------------

ラニエロは、フィレンツェで名のしれた乱暴者。その妻フランチェスカは町の有力者の娘だった。
結婚してもラニエロの粗暴さは変わらず、フランチェスカは自分の愛が壊れてしまうことを怖れ、父の家に帰って暮らす決心をした。

ラニエロは十字軍に加わった。武勲によって妻の心を取り戻すつもりだった。
エルサレムで取った一番の貴重品は、聖墳墓教会でともしてきたあかりだった。こればかりは到底フィレンツェに持ち帰るのは無理だと言われたラニエロは、自分が持ち帰って見せると公言する。

その時から、あかりはラニエロが守るべきただひとつの大切なものになった。道中、雨風から守り、盗賊から守り、片時も気の休まることがなかった。

ラニエロはフランチェスカのことを思いだした。フランチェスカが守ろうとしていた愛は、このともしびのようなもので、ラニエロによって消されることを怖れていたのだ。

嵐の中、吹雪の中、彼はともしびを守りつづけた。もうフィレンツェが近かった。
ラニエロは、自分がもうエルサレムを発った時と同じ人間ではないことを悟った。この旅は彼を、穏やかで思慮あるものを愛し、血なまぐさいものを厭う人間に変えていた。

復活祭の日に、ラニエロは、フィレンツェの町に入った。
人々は彼をからかい、何とかしてその火を消そうとして大騒ぎになった。

本聖堂に向かう道すがら、気がつけばフランチェスカが静かに傍らを歩いていた。
聖堂に入ると、ひとりの男が、これがエルサレムでともされた火だという証しを示すように言った。多くの者たちも、証しがたつまでは祭壇にその火をともさせてはならぬと言った。

証人などいるはずがない。ラニエロがあきらめかけた時、扉から小鳥が飛び込んできて、ろうそくに当たり、火を消してしまった。
ラニエロは思った。人間どもの手にかかるより、このほうがましだ。

そのとき、叫び声がした。鳥が燃えてる!
そして.....

------------------------

全く違う話なのに、この物語のラストは『指輪物語』のクライマックスを思い起こさせる。

長い苦難の旅の果て、最後の最後で絶望的な事態が起こる。
が....次の瞬間、思いもよらない方法で使命は果たされるのだが、それは本人の力によるものではなかった。

人類の旅もこのようなことなのだろうか、と思うのだが、それもあくまで「ともしび」を消さずに保ちつづけた後のことだろう。
万事休したと思った瞬間、最後に転換は起こるのかもしれない。それも自分の力ではなく。
  
posted by Sachiko at 21:30 | Comment(2) | 神話・伝説
この記事へのコメント
仏教では
自力を尽くしたのちに
他力が働く
といいますね。
Posted by しゅてるん at 2020年01月20日 07:53
エンデは「自力でへとへとになって最後にフッと力を抜いたとき、ひとりでに生じる」というようなことを言ってましたね。

バーナード・リーチが鈴木大拙に、自力道と他力道について尋ねたとき、「仏教に二種類あると思っているなら、あなたはまだ仏教をわかっていない」と言われたとか。
Posted by Sachiko at 2020年01月20日 21:45
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]