2019年11月21日

続・1+1の不思議

『エンデの文明砂漠』(ミヒャエル・エンデ)より。

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「・・・これはいわば近代的思考全体がもつ一種奇妙な先入観ではないでしょうか。つまり、何かを数字におきかえることで、あたかもその事象の真の現実性をとらえたと思い込むことです。この世界でもっとも抽象的なものが数字にほかなりません。」

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現代の7つの悪と言われるもののひとつがこの数字信仰で、現代科学では、あらゆるものが数値に置き換えられる。

人の考えや内面のはたらきなど、本来数字で表せないはずのものまでも数値化される。
「こう感じている人が何パーセント」など、ほんとうはありえないのだ。

エンデは一瞬何のことか?と思うような不思議な言葉を語る。
「私は森で“7”に会ったという経験もありません。」

森で7本の木や7羽の小鳥を見ることがあっても、“7”そのものを見ることはない。

「数字は人間精神の中にのみ存在し、外の世界には存在しません。」


二元論については、ユダヤの秘教カバラの話が出てくる。
そこでは“2”は本来存在せず、存在するのはあくまで“1”であり、それは数値の最小単位としての1ではなく、全体を意味する1だ...と。

「この全体を両極性に見ることはできますが、それはつねに全体であり続けます・・・」

前回書いたように、個も「1」であり、全体も「1」である.....私はほとんど子供の頃から、この不思議さのことを思っていた。
これがカバラにつながっているとは思わなかった。

両極性を持つ全体、このことも以前書いた気がする。
夜と昼、冬と夏....地球上では常に両極を見ることができるが、それは地球という全体性においてひとつである。

「・・・それが2になることはないのです。3になることはあります。それは次の現実なのです。」

対立したひとつずつの位置からは全体は見えない。両極性を持つ全体を見るには、第3の視点が必要だ。地球を離れたところから見るような....
1+1=3.....あれ??
   
posted by Sachiko at 21:45 | Comment(6) | 未分類
この記事へのコメント
先住民族のエスノグラフィーを読むと
1,2,3くらいは数えるけれど
それ以上は「たくさんある」でざっくり
が多数派。

彼らはもちろん数えられないのではなく、
あえて数えないことを選んでいるのだろうと
思われ
なんとエレガントで賢いのだろうと
感心します。

とはいえ、
素数とか
フィボナッチ数列とか
数字でしか表現することのできない
宇宙の真理もまた美しいですね。
Posted by しゅてるん at 2019年11月25日 10:46
巻貝の螺旋やヒマワリの花芯の中にも、
数式は美しいかたちで隠れていますね。
この世に存在しない虚数などという不思議なものもありますが。

自然界の、数式で表せる事象でも、
それが「美」として感じられるときの
「美」そのものは、数値化できないでしょう。
数値化できないものまで数値化しようとするのは
黒魔術の領域かもしれません...
Posted by Sachiko at 2019年11月25日 22:19
√i

数の精霊
と呼ばれていますね。
Posted by しゅてるん at 2019年11月27日 07:31
√i←あやしいヤツだと思っていたら
精霊でしたか...
Posted by Sachiko at 2019年11月27日 21:27
もとい。

√-i

でした^^;
Posted by しゅてるん at 2019年11月30日 08:32
√-i
おぉ、そうですね!(←気がつかぬヤツ^^ゞ)
Posted by Sachiko at 2019年11月30日 09:15
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