2019年11月12日

それは本心か?

かなり昔に読んだ北杜夫のエッセイに、子どもの頃の作文について書かれていた。自由題の作文はまだよかったが、テーマを決められると苦手だったという話だ。

私は読書感想文が苦手だった。得意だった人はいるのだろうか。あまり意味のある課題だとも思えなかった。

小学校2年くらいだったか、読書週間とやらでみんなで感想文を書かされた。その後の全校集会の場で、ひとりの先生がそのことを話題にしてこう言った。

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『...主人公はりっぱだとおもいました』『....かわいそうだとおもいました』『...えらいなあとかんしんしました』『わたしもみならおうとおもいました』

・・・こんな作文が山ほど集まった。ところで君たち、これはほんとうに本心からそう思ったのか?

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ギクリ!
いや、心からそう思ってなどいない。感想文というものはこんなふうに書いておけばいいだろうと思っただけだ。少なくとも私はそうだった。

学校は杓子定規で決まりや枠組みが大好きで、ほとんどの先生は頭が固い。
それに、ほんとうに魂が震えるような本に出合ったときは、子どもの語彙や表現力では到底書き表せるものではない。
無理に作文にして提出することで、何かが損なわれるような気がした。

それで、感想文用の本も、ほんとうに好きなものではなく当たり障りのないものを選んだりした。
そんなことをするのは私だけかと思ったらそうでもなかったようで、中学生の時友だちが、感想文用の三種の神器の話を持ち出した。
「困った時の赤毛のアン、若草物語、アンネの日記、このどれかで何とかする」と。

子どもたちは学校(先生)が何を気に入り何を気に入らないかは知っていた。たとえば当時子どもたちは「学校の歌」と「ふだんの歌」を分けていた。

学校の歌は、音楽の教科書に載っている“まじめな”歌で、ふだんの歌は、テレビで流れていたりヒットチャートに上っている歌だ。
時は流れ、当時のふだんの歌の幾つかは、やがて教科書に載って学校の歌になっているらしい。


「それは本心か?」と言った先生は私の担任ではなく、全く接点はなかった。
数年後の春、私は他の2、3人といっしょに、6年生が卒業したあとの教室の掃除当番に行くことになった。

それはあの先生のクラスで、なぜか先生はそこにいて、まだ壁に貼られたままだったたくさんの絵を私たちに説明しながら見せてくれた。

絵は普通の写生や学校行事を描いたのではなく、イマジネーション豊かな心象の世界を描いたものだった。
タイトルも独創的で、どれもすごい!と思い、何点かを今でも憶えている。
それらは本心からでなければ描けなかったのではないかと思う。
   
posted by Sachiko at 22:33 | Comment(0) | 未分類
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