2019年09月12日

「道」

昨日の「役に立つかどうか」という話で思い出すのは、もはや古典の映画、フェリーニの「道」だ。

ざっくりした話は、旅芸人のザンパノが、仕事の道連れの女性が死んだので、その妹で少し頭の弱いジェルソミーナを代わりに連れていく。

二人はいっしょに旅をするが、ザンパノの素行の荒さにジェルソミーナは不満だ。あるところで知り合ったサーカス団の青年に、彼女はこう言う。

「私は彼の役に立っているのかしら...」

青年は小石を拾い上げ、答える。

「どんなものも、何かの役に立ってる。ほら、この石ころだって。だから君も、きっと役に立ってる」

「石ころはどんな役に立ってるの?」

「ぼくは知らない。神さまだけが知ってる」


この短い会話は、映画のハイライトのひとつだと思う。
どんなものも存在する限り、神にみとめられた意味がある、その静かな安堵感。

古い時代のイタリア映画は、なんともいえない人間臭さに溢れている。現代物にはない土の匂いや血の温かさのようなものだろうか。粗野なザンパノも、けっして冷酷な男ではない。

ラストシーンを好きな人が多いが、私は、眠っているジェルソミーナを置き去りにするときのザンパノの表情がとても印象に残っている。

悲しい物語なのに、暗く湿った暖かい場所にすべてが包まれているようで、イタリアは“母”の国なのだと感じる。
  
posted by Sachiko at 22:03 | Comment(4) | 映画
この記事へのコメント
ゆうべ
「日日是好日」
という映画を見ましたらば

冒頭のシーン

主人公の女性が
小学生のころに
両親に連れられて
フェリーニの「道」を
見に行ったのだけれど
さっぱりおもしろくなかったな
と思いながら帰宅する。

おお!
このブログに
この映画。
これは「見よ」
ということね
と思った次第。

映画の女性は
大人になって
「道」をもう一度
見ます。
なんてすばらしい映画だろうと
思うほど彼女の心は
成長したのでした。
Posted by しゅてるん at 2019年09月16日 07:05
おお、「道」のシンクロ!
やはり小学生に「道」は無理があるでしょうね。
出会いにはタイミングがあり、映画でも本でも、
その時はよくわからなかったものが、
ずっと後になって輝き始めることも多々あり。
Posted by Sachiko at 2019年09月16日 21:50
やっと観ることができましたよ〜!

モノクロ
いっすね。

自分が幼いころは
写真もテレビもまだモノクロでしたから
ノスタルジーなのかな・・

モノクロ
なのに
お皿に山盛りのペンネが
とってもおいしそうだった!
(そこかい)

あの時代には
まだ人情というものが
人の心に息づいていましたね。

道端で眠ってしまったジェルソミーナの
傍らには
近所のおばちゃんが置いてくれた
スープ皿がありましたが
今ではいろんな意味で
ありえないシーンとなってしまいました。

感想が
どうも食べ物関連になってしまうな(笑)

Posted by しゅてるん at 2020年01月11日 08:48
私はDVD持っているのですが、再生機器のほうが壊れたままで....^^ゞ
モノクロには想像力が参加する余地がありますね。

あの時代の人間臭さ(良くも悪くも)から見ると、
現代人は半ば機械人間のように見えてしまいます。

半機械人間はAIに取って代わられるかもしれませんが、
純正の人間そのものを乗っ取ることはできないでしょう。
Posted by Sachiko at 2020年01月11日 13:33
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