フィンドホーンの創設メンバーであるドロシー・マクレーンも、機械の中のディーバに似た存在について言及している。
フィンドホーン創設から数年後、初めて印刷機を手に入れたときのことだ。その機械が人によって違う反応を示すことに気がついたのだ。
ドロシーが風景の天使に相談すると、機械にもディーバのような存在はいるということだった。
風景の天使の答えはこのようなものだった。
機械のディーバは違う種族であること、人間は無意識に高次エネルギーの中に機械の原型を作るが、彼の意識には限界があること。
聖なるエネルギーは機械のディーバに力を与え、教育し、その使命をまっとうさせるようにはたらいている、ということ。
そして機械の精はディーバたちの世界で働いているが、まだそこに完全にいるわけではない、いわば子どものようなものだということ。
「…彼らに対しては、私たちに対するのと同じように話しかけなさい。彼らの真の本質はやはり神であり、彼の限界を無視して彼を認めてあげるほど、彼の神の本能が引き出されるのです。」
ドロシーの、自分は機械に何の愛情も持っていない、という告白に対し、天使はこう言った。
「機械のディーバに直接コンタクトできる時はまだ来ていません。機械を見下して話しかけてはいけません。機械を扱うときのあなたの意識を上げなさい。」
そうしてドロシーたちは次第に機械を生き物として意識するようになった。やがて、機械のディーバからこのようなメッセージがやってきた。
機械は人間の愛と思いやりに応える。機械は頭脳によって生まれたが、その背後ではもっと大きな力が働いている。機械を扱うときは、その背後の力を使うように、と。
現在のような技術第一主義の時代には、機械を生命の意識の一部として認識する態度は、人間や他の生命体の質に大きな変化をもたらすだろう、とドロシーは言っている。
機械にも意識があるのではないかと感じる出来事は少なくないと思う。家電が壊れるときはなぜか立て続けに壊れたりする。
ある機械は、自動的に動いているのだからと思ってその場を離れると、戻ってきたときになぜかトラブルを起こしているということがよくあった。
それで、なるべく付いて見ているか、離れるときは一声かけることにした。
Windowsはやたら故障してすでに7台目くらいになるが、その前からあるもはやアンティークの古いMacは、今も作業用に使っていて故障知らずだ。
これも、単に昔のMacは性能が良かったというだけでなく、私の信頼度の問題かもしれない。
ここで紹介したフィンドホーンの印刷機の話は1960年代のことだ。ますます複雑化し、有害な電磁波を撒き散らすものも増えた今は、人間は更に高い意識レベルでそれらを扱わなくてはいけないということだろうか。
私もまだ、自然界の存在に対するのと同じように機械に愛情を持つことは難しいが.....
2019年08月19日
機械の霊・3
posted by Sachiko at 21:05
| Comment(2)
| フィンドホーン
助けてくれる
数々の機械や道具。
ひとつひとつ
大切に丁寧に
使っていきたいものです。
それらに意識があろうと
なかろうと・・。
修理するにももう部品がなかったり、
数年でサポート終了になったり、
大切に使うよりも買い替えろ!という
良からぬ力が働いてますね...(-_-;