2019年08月18日

キムンカムイ・2

以前「ある森の話」というのを書いたことがある(2018.7.5付)。
この時、キノコ採りに連れて行ってもらったのだが、それは熊の生息域でもある山の中だった。

案内してくれた人は道路際から山に向かって「熊さん、入らせていただきます。キノコを少し分けてくださいね」と挨拶してから入っていった。そうして熊除けの鈴を鳴らしながら歩き、食べられるキノコを教わった。


ドロシー・マクレーンの「大地の天使たち」の中には、ドロシーがヒグマの魂と同調したときのことが書かれている。
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そのヒグマは初めて人間から愛を直接投げかけられて、泣き出さんばかりに喜んでいました。そのとき、動物は人間とちがって、自分の形の外には出られないことがわかりました。

だから、荒野で熊と出会ったら、その熊としての本性と習性を忘れてはなりません。熊を熊として尊敬するのも、ひとつの愛の形なのです。

くろ熊は、「愛をもって歩く」ようにと、私たちに伝えてきました。人間が愛をもって歩けば熊にもそれがわかり、さらにすべての生きもののためになるそうです。

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「熊を熊として尊敬する」、まさに「キムンカムイ」として敬うことだ。
人間が愛をもっているか、それとも恐怖をもっているかが、彼らにはわかるのだろう。
もちろん山で(あるいは街なかで!)熊に遭遇したときは、その本性と習性を忘れてはいけない。

ドロシー・マクレーンは、畑を荒らすモグラやネズミの意識とコンタクトしたときのことも書いている。
ネズミの害についての恐怖と、そうなるであろうという期待がまさにその事態を実現していることを明らかにしていったのだが、もちろんそのプロセスは簡単ではなかった。

アイヌ民族など各地の先住民にとって、全ての生きものがひとつの大いなるいのちを分け合っていることはあたりまえだった。
恐怖でいっぱいの文明人がふたたびそのことを思いだすプロセスも簡単ではないだろうが、それはすでに始まっている帰還の道だ。
  
posted by Sachiko at 22:33 | Comment(0) | 北海道
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