Calwを何と読むのかは、カルヴとかカルプとかカルフとか諸説あったが、今はどうやらカルフで定着しているようだ。
この町へはどこを通って行ったのだったか、昔のことで記憶があやしげになっているが、たぶんテュービンゲンからだったと思う。
カルフはヘルマン・ヘッセ生誕の町だ。
生家は、私が行った時はブティックのような店になっていたが、今はどうなっただろう。家そのものはまだあるはずだ。
町なかには、「Demian」「Der Steppenwolf(荒野の狼)」など、ヘッセの作品名のついた店もあった。
ネッカーの支流ナゴルト川にかかる橋の上の小さなチャペル、これも作品の中に登場している。
私は「デミアン」以降の後期作品が好きだが、幾つかの美しい初期の短編も捨てがたい。作風が大きく変わったのは第一次大戦がきっかけだった。
シュタイナー研究者の高橋巌氏がある時、最も影響を受けた本が「デミアン」だと言われたのを聞いて驚いた。
「デミアン」に書かれているような思想が、きっとこの世界にはあるはずだ、それを探しにドイツに渡り、そこでシュタイナーの人智学に出会った、ということだった。
私も、一冊上げろと言われたら間違いなく「デミアン」なのだ。
この一冊については、いつかここで少しずつ書くかもしれないし、書かないかもしれない。簡単には手をつけられない気がする。
「車輪の下」が、中学生の読書感想文用の定番図書になっていたりしたので、多くの人がヘッセを甘い青春小説家と思って他の作品を読まなくなってしまうのは残念なことだ。
バーデン=ヴュルテンベルク州のあたりは古い名前ではシュヴァーベンと呼ばれ、シュヴァーベン気質は内省的でロマンティック、多くの詩人を輩出し、詩人の宝庫と言われていたそうだ。
教科書に載っていた「少年の日の思い出」は、現在は日本語でしか読めないという話を聞いたことがあるが、これは正確な情報ではない。
Das Nachtpfauenauge (ヤママユガ)というタイトルで、「Die schönsten Erzählungen(いちばん美しい物語)」というアンソロジーの中に入って、ずっとヘッセの本を出し続けていたズールカンプ社から出ている。
翻訳ではただ「客」となっていた人物にはハインリヒ・モールという名前があることがわかった。
この小品は何度か別の媒体で発表されてタイトルが変わったりしているので、少し書き換えられた部分があるのかもしれない。

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追記:
「少年の日の思い出」は日本語でしか読めないという話は、この作品は何度もタイトルを変えて別々の媒体で発表されたため、「少年の日の思い出(Jugendgedenken)」というタイトルのものは本国にも原文が残っておらず、日本語でしか読めないという意味だそうだ。
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